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学校帰りに病院に寄った。
千尋おばあちゃんが家の旅館から持ってきてもらった布団を縫っているところだった。
「なにしてるの?」
「あら咲良ちゃん。ふふふ。これは夏のお布団、こっちが冬のお布団、そしてこれが夏祭りで着てほしい浴衣」
真っ赤な金魚が夜の海を泳いでいるような、真っ赤な金魚が綺麗な浴衣。
お父さんやおじいちゃんが着る紺や青のような落ち着いた浴衣じゃない。
今にも踊り出しそうな楽しくなりそうな柄だ。
「誰よりも目立つのが大好きな妖狐さまにぴったりだから、病院を半日外出許可貰って旅館から取ってきたのよ」
「すごーい。確かに赤とか好きそう」
「よくわからないけど、『ふぁんとうろく』すれば妖狐さまの力が戻って、夏祭りに参加できるんでしょう? 娘や息子にふぁんとうろくさせたのよ。ふふふ。美しい青年までお姿が回復したらきっと夏祭りで誰もが妖狐さまに惚れてしまうわね」
今は私たち中学生みたいなお姿だけど、大人の姿になった守り神様は確かにどれだけ美しいんだろう。
榊くんみたいな人をイケメンというけど、守り神様は色気というか神秘的だから美しいって言葉がぴったりだ。
「そうそうそう。浴衣を引っ張り出してたら、これ息子が着なかった浴衣が出てきてね」
おばあちゃんが車椅子でちょこちょこと病室の中を動き回りながら、紙袋を一つ差し出してきた。
中をのぞくと青空みたいな色の浴衣。雨のしずくみたいな白いストライプが入っている。
「格好いいね!」
「でしょ。この前の天狐さまと会わせてくれたあの美少年くんに渡してちょうだい。えっと」
「榊くんです。榊絢人くん」
「あらあ。名前もハイカラで素敵ね。お願いね」
まだお布団はできあがっていない。後回しになったマフラーもテーブルの上に置いてある。
「天狐様って村の人から忘れられるたびにお力が弱くなっていくでしょ。自分ではどうしようもできない消失感ってきっと苦しいと思うの。だから咲良ちゃんたちには感謝しているのよ。本当に楽しみ」
千尋おばあちゃんは夏祭りには本来の姿に回復した守り神さまが参加してくれると思っているんだ。
もしかしたら昔からずっと夢見ていたことを私たちに希望を感じてくれたのかもしれない。
「ありがとうございます。頑張ります」
紙袋の中に入った榊くんへの浴衣を持って私は、夏の暑い街を走った。
走った。
走って走って蝉の声を弾き飛ばして、田んぼの中を駆け抜ける。
千尋おばあちゃんの気持ちは痛いほど伝わってくる。優しい千尋おばあちゃんと優しくてきれいな守り神さまのお話は、物語みたいに素敵だ。
でも私は現状何もできない。
皆の意見に賛成も別の案も言えるわけじゃないのに、親にバレて怒られることばかり気にしている。いや、本当は親に言わなきゃいけないことも分かっている。
千尋おばあちゃんや守り神様にもなにかしてあげたいのに、自分の無力を感じるだけで辛い。
「そ、そうだ。電話、電話だ」
早苗おねえちゃんに電話してみた。
「お姉ちゃん……」
何コール響いてもお姉ちゃんは電話にでてくれない。
でも声が聴きたい。忙しくても一言でも声が聴きたい。
お姉ちゃんへのメッセージに、千尋おばあちゃんとお話ししている守り神さまのURL
を送ってみた。既読はつかないけれど、じっとしていられなかったんだ。
「おかえりー」
「あら、もう中学は下校なんだ」
「咲良、冷蔵庫にスイカ入ってるから」
走って噴き出た汗をぬぐいながら神社の階段を上ると、私に次々と近所の人たちが声をかけてくれる。
今日は夏祭りのために神社の清掃と明かりの点検、装飾らしい。
出店の荷物も境内に運び始めている。
「ただいまー。スイカかあ」
昨日も食べたからそろそろお洒落なものが食べたい。
早苗お姉ちゃんはカフェでマカロンやケーキと可愛いものばかり食べてるのに、うちには栗饅頭しかない。栗饅頭とスイカは、SNS映えしないよね。
「なんだ。そのスイカいらんのか」
「守り神様……」
配信部屋から賑やかな曲が流れてくる。
私のパソコンが完全に守り神様のものになってしまった。
「早苗お姉ちゃんが食べてるような虹色の綿菓子とか絵が描かれたカプチーノとか、可愛いものが食べたいです」
「早苗、なあ」
お姉ちゃんの名前を口の中で転がしたのち、スイカを奪って手招きされた。
「はよう来い。もう絢人は来ておるぞ」
「えっ早く行ってくださいよ!」
制服のまま急いで配信部屋へ行くと、パソコンの前で首をかしげている榊くんがいた。
「榊くん、千尋おばあちゃんから」
「ん?」
首を傾げたまま起用に立ち上がると、紙袋を受け取って中身を見ると嬉しそうに目を輝かせた。
「かっけー」
「そうか? 地味で目立たぬぞ」
「渋いのが格好いいんだよ」
「嬉しいな。でもうちは着付けできないし、着方の動画調べるか」
「うちは私以外全員出来るから、夏祭りで着るならやってもらえるよ」
私も毎年お祭りに浴衣を着ている。
でもずっと同じピンクの子供っぽいのだから、榊くんの横に並ぶと恥ずかしいかも。
「そういえば千尋おばあちゃん、布団と守り神さまの鮮やかな浴衣も用意してたよ」
「お、良いではないか。見たい!」
尻尾をちりんちりんと鳴らして嬉しそう。
電話を繋げて配信もつなげなきゃいけないから榊くんがバタバタ準備しだした。
「あの守り神さまは千尋おばあちゃんとの連絡以外にどんな配信がしたいですか?」
「そんな配信?」
今日一矢くんや大輝くん、陽葵ちゃんが考えてくれた案を説明し、ファン登録を増やすには色んな人の注目を集めて興味を持ってもらえることが大切なことを伝えた。
「なるほど。目立って皆が興味を持つようなことか」
うーんと悩んだ後、思いついたのかにやりと笑った。
その笑顔がイタズラを思いつた子どもみたいだ。
「僕以外はできないような配信じゃな。ちょっと待っておれ」
「え、もう千尋さんと電話と配信繋がるよ」
「問題ない。すぐに戻る」
ふわふわ浮いていた守り神さまがびゅっと山の中へ飛んでいくと、何かの首根っこを掴んで戻ってきた。
「なに、それ」
「山に住む魑魅魍魎じゃ」
「ちみもうりょう!?」
掴んでいたのは耳が鳥の羽のようになっている山ウサギだった。
ぱたぱたと耳で浮遊している。
「可愛い!」
「僕の山は、僕の力で満たされているから人間に害のある妖は生息していない。また、力のないものには見えない」
こんなに可愛い妖が見えなかったのは、私に力がなかったからね。
「だが修行もろくにしておらず自分の妖気のコントロールもできないものの隣に居れば見える。溢れた妖気のおこぼれだな」
それって榊くんのことだよね。
もっと言い方があると思うけど、榊くんは気にしていないようだった。
「じゃあ、俺が触ったら配信に映るかな」
「やってみろ。千尋は純粋だから僕を見えるが妖気はない。魑魅魍魎は見えないのじゃ」
妖様の言う魑魅魍魎って山に住む善良な妖のことなんだ。
確かに修行は山の奥でするってお兄ちゃんが言ってたから、山にはまだ何か色々と隠されているのかもしれない。
「千尋、この妖が見えるか」
私の携帯から配信を確認すると、まだ守り神さましか見えていない。
「ちょっとなでるね」
配信に一瞬だけれど榊くんの横顔が映る。そして榊くんが山ウサギを触った瞬間、パタパタと飛んでいるウサギが映った。
それと同時に配信開始をSNSで通知する。
私が通知すると、陽葵ちゃんや大輝くん、一矢君も反応してくれた。
そして都会の友達がたくさんフォローしてくれている榊くんのアカウントでもイイネおしてくれた。
じわじわと同接が増えているけれどそれでも五十人も見ていない。
「僕に鮮やかな浴衣を作っておるらしいが、大人の姿用に作っておるか?」
配信と携帯の通話で会話しているとかなりのラグがある。
返事を待つ間にウサギをなでたり、自分の尻尾を鳴らしたりと穏やかな空気が流れている。
『史上初! 本物の神様が配信中』
『山に住む可愛い妖を紹介』
大輝くんと一矢くんは、何も相談なしにいきなり始まった配信にもかかわらず大げさに宣伝してくれている。
ただの信仰してくれている千尋さんとの会話だけが流れる配信だったけれど今日はウサギの妖と一緒だから少しは注目されるかもしれない。
「すごいよ。事務所に入ってない、SNSでバスってないでここまで見てるんだから」
「凄い、の?」
配信を見てくれている人はまだ百人にもいっていない。
「なんじゃ? 沢山まだみてないのか」
「い、いや、でもうちの町の小学生よりも人数は多いです!」
何もフォローになってないけど、榊くんは少しだけ吹き出してくれた。
「そうかあ。じゃあ千尋、いったん『ふぁんとうろく』を増やすために働くでな。身体を大事にするように」
「それは天狐さまもですよ」
おばあちゃんとの通話を切った後、榊くんを手招きした。
「ウサギを山へ戻してくるから代打をしておけ」
「えっあ、どうも。えーっとサカキンです」
イケメンの口から適当な名前が飛び出て吹き出しそうになった。
「今配信中に飛び出していったのは、数百年前から町を守ってくれている守り神様です」
しどろもどろになりながら話していくと、初めてのコメントがついた。
『格好いいです。守り神さまの名前なんて言うんですか』
「えーっと。なんて説明すればいいのかな。本当は普段、人間には見えないんです。見える人は妖力が強い人、純粋で清らかな人、あとは修行をして妖力を上げた人、かな?」
私に確認するように視線を向けてくるので、縦にぶんぶんと頷く。
「そうだ。だから見えた者に特別な名前で呼ばせておる。今見ているお前たちは妖力があるからでも清らかだからでもない。僕が特別に映ってあげている。だから名前はない。守り神様と呼べ」
「守り神様が認めた人しか名前を呼べないってことだね。ではでは」
真っ赤になって両手で顔をパタパタさせながら榊くんがこちらに向かってくる。
同接百人とはいえ頑張った。私ならできないけど、すごいよ。
こんなことを早苗お姉ちゃんは定期的にしていると思うと尊敬する。
「魑魅魍魎で可愛いやつを紹介しようと思ってな。こいつは火蝶。夜になると七色の灯をまとって飛ぶ。静かな花火のようで風情がある」
キラキラ輝く超が配信越しに飛んで綺麗だ。
「こちらは白い蛇の百陀。こやつが這ったあとの土の上は作物がよく育つ。数百年に一度しか目覚めないので、僕に似ている」
白い蛇を首に巻き、にこにこ説明している。
妖が二体、守り神さまが一人、イケメン榊くんが代打。
そのおかげで配信の同接がいきなり増えていく。
百人、三百人、四百人、千五百……?
千五百人?
ファン登録数が百しかないこのアカウントの生配信にしては、異例の千五百人が視聴している。
『どうなってるの?』
陽葵ちゃんからメッセ―ジが飛んでくる。
『まあこんなすごい配信、普通なら千五百人でも少ない方だけど』
『いきなり見てる人が増えてくるってどこかで宣伝されている?』
守り神さまは二千人ちかくの人が配信を見ていると榊くんに説明され、嬉しそうだ。
「よいぞ。今見ている者たちよ、ふぁんとうろくとやらをしろ。すれば僕は力が戻り昔の姿に戻れるのじゃ」
微量ながらファン登録が増えている。
やっぱりこれは守り神様の見目が美しいのと、神様の力なのかな。
私たちも焦っていたけれどだんだんと正気に戻っていた時だった。
『作りこまれた設定ですね笑』
書き込まれたコメントに、守り神様が目を細める。
「設定とはなんじゃ? 配信設定は信者にさせたぞ」
『CGだってばらされてますよ』
「しーじー?」
首を傾げる守り神さまに、衝撃的なコメントが書き込まれた。
『早苗ちゃんがこんな作り物、面白くないって』
早苗ちゃん……。
心臓がきゅうに痛くなった。
息を吸うのも吐くのも苦しくなったけれど、私は恐る恐る早苗お姉ちゃんのSNSを覗いてみた。
『守り神さまだって。今時本当の神様なんて信じないでしょ笑』
『今は細かく設定されたアバターが人気だよね』
『よく見たらただのCGだよ』
榊くんが宣伝した投稿文を引用して、早苗お姉ちゃんが何回も守り神様を否定している。
早苗おねえちゃんの投稿には、イイネが何百もついている。
フォロワーは八万人。次々とイイネが増えていく。
どうして……。
アバターじゃないってこの町出身のお姉ちゃんが一番知っていることなのに。
どうしてこんな……。
「うむ。お前たちは悪意があるな。一ミリも信じておらぬ」
『じゃあ何か魔法使ってくださいよ』
『俺たちを信じさせるような魔法』
早苗おねえちゃんの投稿を見て、面白がって見に来た人たちが悪意のあるコメントをしていっている。中には好意的なものも多いけれど、面白がっている人も増えていく。
「力が戻っておらぬからな。どれぐらいふぁんとうろくが増えたら力が戻ると思うか?」
『一億』
『百億かな』
うー。
純粋に楽しんでいる守り神様に酷い!
「守り神様、いったん配信終わりましょう!」
「ん? どうしてじゃ。こやつらは僕の美しさに魅了されているだけだぞ。美しくて嫉妬しているが話せばわかる」
「いいところで終わった方がファン登録は増えます」
「そうか。ではまた明日話すから、ファン登録しておくように」
逃げるように配信を終わると、『図星だったから配信終わっちゃった』と馬鹿にするようなコメントが残っていた。
ひどい。守り神様がどんな気持ちで千尋おばあちゃんと配信でお話ししたと思っているの。
「早苗さん、どういうことですか」
振り返ると、榊くんが携帯を耳に当てて電話をしていた。
「……お姉ちゃんと電話してるの?」
ハッとこちらを振り返った榊くんは、怒りで震えていた顔をなんとか緩めて頷いた。
「私の電話にはもう一年以上出てくれたことなかったのに」
言葉にした瞬間、目頭が熱くなっていった。
忙しいからって思ってた。都会に引っ越して慣れない中、配信したりモデルのお仕事してるから忙しいって思ってた。
でも違った。
私の電話やメッセージは無視していたってことだ。
「お姉ちゃん、聞こえてる?」
震える涙声で話しかけると、榊くんが携帯を渡してくれた。
『咲良?』
「お姉ちゃん! なんでなの!」
『咲良、あのね』
「どうして守り神様の配信を荒らすようなことしたの! 守り神様はただ昔のように私たちと同じ目線で街を守りたいだけなのに」
『いい加減、やめなさい!』
お姉ちゃんの大声に、驚いて涙が頬を伝った。今までにこにこ優しかったお姉ちゃんが声を荒げたことなんてなかったから委縮してしまう。
『妖力があるとかお化けが見えるとか、そんなの都会に出て話したら笑われるわよ? あなたのために言ってるの。あんなの見えても見ないふりして、普通に過ごしなさい』
「……なんで自分の力を使って弱ってまで守ってくれている守り神さまを、見えていないふりするの?」
私の言葉に、お姉ちゃんが息をのむ。
階段を上ってくる音と、自転車の錆びたブレーキ音が響く。
「私はもう見えたよ。こんなに魂を削ってまで私たちの事ばかり心配してくれている守り神様が、私にはもう見えたよ。真実を知っちゃったよ」
配信部屋に飛び込んできた一矢くん、大輝くん、陽葵ちゃんたちが私が泣いているのをみてその場で固まった。
「早苗お姉ちゃん。何十年も眠っていた守り神様が、今にも消えそうになりながらも起きてくれているの。お願い、協力して。私に力を貸してほしいの。配信の事なんて何も知らないから」
お願い。
私が目を閉じて頭を下げると、電話の向こうで小さくため息を吐くのが分かった。
『なんで見えるようになったのよ。あんたが苦労するだけなのに』
それだけを言うとお姉ちゃんは電話を切った。
足から崩れるように倒れると、榊くんと陽葵ちゃんが私の体を支えてくれた。
「お姉ちゃん、私の事、嫌いになっちゃったんだ」
うわああんと声に出して泣くと、もう止まらなくなっちゃった。
親戚や祭りに来た人たちに、守り神様が見えないことを才能がないと言われた。
お兄ちゃんが見えれば、貴方は楽でいいわね、とも言われた。
いつも私の、神社で生まれた娘として観察して値踏みされているようで私は人前に出るのが怖くなった。大勢の前でいるのが怖くなった。
でもいつも手を差し出して探しに来てくれたり、遊び相手になってくれたのは早苗お姉ちゃんだった。
お姉ちゃんが人前で出て頑張っているのを見て、私もお姉ちゃんみたいに強くなりたいから放送部に入って配信活動とかしてみたいって憧れから一歩踏み出そうと思っていたのに。
お姉ちゃんは私と関わりたくなくて都会に引っ越したんだ。
『原石よ。泣くな。早苗はお前ではなく僕が嫌いなだけだ』
ふわりと周りが軽くなって輝き出したので目を開けると、守り神さまが私を包み込むように抱きしめてくれていた。
『少しだけこの原石と二人ででーとする。それと早苗の行いを許してくれな』
そう言うと私の手を取って山の奥へ連れ出してくれた。



