神社の夏祭りの準備は終わった。
 夏休みが始まって、部活や合同運動会の打ち合わせで私たちはすれ違っていた。
 守り神さまのいる配信部屋だった祠のある建物は、千尋おばあちゃんが作ったお布団と、榊くんたちが作ったベッドが置かれているけれど起きているのか眠っているのか私にはわからなかった。
 皆が私に守り神様を見えなくていい。見なくていい。知らなくていい。
 そう思っているのではないかと思うと、関わらない方がいいのかなって思って一歩足が出ない。
 私が見えたら早苗お姉ちゃんは自分の事のように胸を痛めて心配してしまうんだ。
「お、今日は早かったな」
 部屋に戻って着替えてからリビングに向かうと、お兄ちゃんと榊くんがゲームしていた。
「二人は暇そうだね」
「今、大輝と一矢と四人で対戦ゲームしてんだ。おい、百夜、やめろってば」
 百夜。
 お兄ちゃんが山の中の池を探そうと決めて見つかったのが百日目の夜だったから、百夜。素敵な名前だけど、一度見てしまったらもう見えなくなった守り神様の姿を探すのは泣きたくなった。
「咲良、ちょっといい?」
「榊くん……うん。どうしたの?」
 宿題でもしようかと麦茶を取りに来ただけだったのに、榊くんが隣に並んでくれた。
 
 私が早苗お姉ちゃんの話しや守り神さまが見えなくなった話を聞いても、表情があまり変わらなかった。だから何を考えているのかわからない。
 大輝くんや一矢くんは修行したいとうちの親に何度か言って断られたし、配信も禁止になったし学校から注意喚起も出たので私たちの夏休みはバラバラだった。
 榊くんだけがお兄ちゃんやお父さんに妖力のコントロールを教えてもらいに遊びに来るぐらいだ。
「その守り神さまが子どもみたいな容姿になっちゃった」
「力が弱くなったんだね」
「ん。おじさんたちも柊さんも、守り神さまがまた眠ってしまうって感じてるみたい。夏祭りを見てから、また深い眠りにつくかなって」
「そうなんだ」
 夏祭りの日、守り神さまがお面をかぶって一緒に参加するのを夢見ていたのが、もうずっと前のこと。百年ぐらい前のことのように思えてしまう。
「咲良は合同運動会の打ち合わせどうだったの? 他の中学の放送委員会で打ち合わせあったんでしょ」
「うん。きっと守り神さまに早苗お姉ちゃんの話を聞いていなかったらもっと緊張していたんだと思うけど、平気だった。けっこう自分から喋れたんだ」
 数校の中学が集まって合同で体育祭をしたところで、百人もいなかった。
 守り神さまのファン登録数より少ない。
「俺は妖なんて見えなきゃいい、見たくないって思ってたんだけど、だから見えなくなった咲良がうらやましいと思う方が正解なんだろうけどさ」
 覚えているよ。妖に近づかれてフラフラと道路を歩いていた榊くん。
 見えるだけで追い払う力はなく、穢れに振らるように体調が悪くなってしまうのも。
「嬉しくなさそうな、苦しそうな咲良を見ていたらうらやましくないよ。そうなりたくないとさえ思う」
「榊くん……」
 榊くんにはきっとひどい事してるよね。簡単に見えるようになって簡単に見えなくなって。
 でも難しい。私が見えない方がいい。そうすれば早苗お姉ちゃんも安心。お姉ちゃんに影響を受けていた私を心配している家族も安心。早苗お姉ちゃんのことを持って身を引いた守り神様の気持ちも無駄にしない。
「守り神さまも言っていたよ。咲良なら修行は一日で終わるって。もし修行を望めば、守り神様自身で池まで案内するからって」
「できないよ。私がまた守り神さまに近づいた早苗お姉ちゃん悲しむもん」
 お姉ちゃんの意志を無駄にしたくない。
「守り神さまは自分の存在が守りたい町の人にとって邪魔になるからと、封印してほしいっておじさんに言ってたんだ。それで咲良はいいの?」
 封印されたいって自分から言ったんだ。
 あんなに力を蓄えて千尋おばあちゃんに会いたがってたのに。
 夏祭りで皆に混ざるのを楽しみにしていたのに。
 お姉ちゃんの話をしているとき、寂しそうに微笑んでいたのに。
「守り神さまは、千尋おばあちゃんもお兄ちゃんもお父さんもお爺ちゃんもいる。
 榊くんもいるもの。私なんていなくても幸せだよ」
「そんなはずないよ」
 榊くんが私の手を掴んで、強引に振り向かせた。
 真っ直ぐに私を見る榊くんの目は綺麗で、学校の窓から見える遠くの海みたいだった。
「咲良が真っ白な絵の具だって陽葵が言ってたの覚えてる?」
「う、うん」
 数日前の事だから流石に覚えている。
「俺もそう思う。なんか疑わないよね。言われた言葉の裏も考えずに受け止めてちょっと危ういなって思った。だから周りが心配して過保護になるのはわかる」
 まあ私が親せきが沢山いる場とか人が多い場所が苦手で怖がりなのも原因なんだろうな。
 だから頑張ろうって放送委員に立候補したんだけど。
「でも俺は一緒に頑張りたい。あんなに真っ赤になりながら、声を震わせながら他校と関わる放送委員に立候補してた。お祭りで放送も担当するんだろ。変わろうって一歩踏み出してる咲良を見て、俺も頑張ろうって思ったんだ」
 引っ張られた手を強く握られた。
 それなのに痛いなんて感じない。ただただ指が熱くて、握った手から榊くんの体温が映ってくる。
「俺も君に謝りたいと思ってこの神社に足を踏み入れた瞬間、守り神様に呼ばれた。あの日、君を追いかけなければ変わらず妖におびえ、妖に体調を狂わされてた。俺は変わりたい。変わるよ」
 だから一緒に頑張ろう。
 優しい彼の言葉に胸がじいんと熱くなった。
 私たちは保育園のころからずっと一緒だったから、榊くんはきっと居心地が悪かったと思う。彼の妖が見える力も理解できなかったから。
「……でも誰かの迷惑になる」
「ならないよ。だって咲良はいつも頑張ってる。迷惑なんて思う人はいないよ」
 あんなにお姉ちゃんが怒っていたのに。
 自分が傷ついたのに、一番私を心配していたのに。
「おい、絢人っ。百夜が大変だっ」
 お兄ちゃんが手のひらを見せながら走ってくる。
「百夜が赤ん坊の姿になった。もう妖力が封印時ぐらいに戻ってきてる」
「急いでおじさんたちに封印を頼もうか」
 二人がバタバタとあわただしく神社の中を駆けていく。
 また守り神様が深い眠りについてしまうかもしれない。
 それはとても胸が痛んだ。

 急いで走って走って、陽葵ちゃんがいて千尋おばあちゃんが入院している病院へ向かった。
 すると廊下で千尋おばあちゃんが手すりを持って立ち上がろうとしては車椅子に何度も何度も座り込んでいた。
「おばあちゃん、無理しなくていいよ。まだマッサージだけでも」
「だって夏祭りに妖狐さまが舞い降りてくるんだもの。私も一緒に踊りたいわ。踊りが無理でも横に立ちたい」
 フラフラになりながら立とうとしてまた座り込む。
 陽葵ちゃんと看護師さんが応援しありささえていても、とても顔をゆがませて痛んでいた。
 もとから足が弱かったし、歩けるようにならないと言われていたのに、千尋おばあちゃんも頑張っている。
 私だけが守られて安全な場所から皆を眺めていたんだ。
「あれ、咲良じゃん。どうしたの」
 陽葵ちゃんが駆け寄ってくる。
 私は手も足も震えていたけれど、何度でも立ち上がろうとする千尋おばあちゃんを見て、守られながら何をそんなに逃げているのかわからなくなった。
 安全圏から周りを心配しているなんて、ただの偽善だ。
「陽葵ちゃん……。私、私、やっぱり頑張りたい」
「どうしたの?」
 陽葵ちゃんの肩を掴んで深呼吸し、息を整えた。
 そして大きく大きく息を吸い込む。

「守り神様のファン登録数を百万人達成するまで絶対にあきらめない」
 私の言葉に、大きく目を見開いた後大きくうなずいた。
「そうだよ! 早苗さんの優しさを呪いのように背負うのも違うよ! 早苗さんも安心させてあげようね」
 感動したように涙ぐむ陽葵ちゃんに私も大きく頷いた。