明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

 部屋に静寂が戻る。
 将吾は湯呑みに手をかけたまま、しばし微動だにしなかった。

 ふう、とひとつ長く息を吐き出した。
 その吐息に込められたのは、怒りでも憤りでもない。静かな、けれど確かな覚悟だった。

(当主の重みとは、こういうものか)

 本家の嫡男として育てられることに、特別な抵抗はなかった。
 将吾にとって藤堂の名は、誇りであり、己を律するための礎だった。
 厳しい教えも、理不尽ではなかった。ただ、歩むべき道を指し示してくれるものだった。

 だが、祖父・一将が亡くなり、地方へ赴任した父に代わって家を支える立場となった今、あの頃とは違う“責任”の重さを肌で感じている。

 家を継ぐというのは、ただ名を継ぐだけではない。
 一族の未来、この家に仕える者たちの生活、そして関わるすべての人々の命運を、その手に預かること。

(しかし、心を偽るわけにはいかない。)
 
 将吾は静かにまぶたを閉じた。
 思い返すのは、あの夜、涙をこらえながらも笑おうとした彼女の姿。
 ぎこちなく、けれど必死に気丈さを保とうとするその姿。
 震える指先ごと抱きしめたとき、将吾の胸には、ただひとつの願いが芽生えた。

 守りたい。彼女のことを。

 それは、当主としての責務とは違う。
 藤堂将吾というひとりの男の、純粋な願いだった。