ついにミュージカル初演の日がやって来た。
その日も朝から社長は最高のご機嫌斜めぶりを発揮し、私もデスクの前を素通りする社長を、形式的には頭を下げつつ白い目で見送った。
朝は社長が出社するとコーヒーを入れるのが日課だ。いくら険悪なムードでも日課は欠かさない。
それにしても、なぜこうも嫌な空気の中で仕事をしなくてはいけなくなったのか。コーヒーの粉をセットしながら、私は口を尖らせた。
こういう場合、私があやまるべきなのだろうか。
(でも、何に対してあやまるというの――?)
ふう、とため息をつく。最近はため息ばかりついている。
仕事だから仕方ない。多少の理不尽なできごとは給料日が来ればすべて解決。それまでの我慢だ、と自分に言い聞かせる。
私は気を取り直し、いつもと同じように社長室へコーヒーを運んだ。
「濃いな」
久しぶりに聞いた社長の声がそれだった。
「入れ直しますか?」
私は慌ててコーヒーカップに手を伸ばした。社長が私の顔をじろりと見る。
「メイクが濃い」
そこで私は彫像になったかのように固まった。
確かに今朝は普段より少し気合の入ったメイクの仕上がりになっていると思う。
ワクワクしていたせいなのか、やけに早起きしてしまったので、下地もきれいに塗れたし、普段は省略することの多いマスカラを念入りにつけ、アイメイクは通常の三倍くらい丁寧に重ねてグラデーションにした。小顔に見えるようにシェーディングもほんの少し入れた。フェイスパウダーはとっておきの高価なものを使った。
だけど私のよそいきメイクより、澤田さんの通常メイクのほうが断然濃いと思う。
どうして彼女は許されて、私は苦情を言われなくてはならないのか、ちっとも納得できない。
わざとらしい嘆息を漏らしてから「失礼します」ときっぱり告げる。それから苛立ちをなんとかこらえて退室した。
せっかくの楽しい日の始まりが最悪だ、と社長室のドアを閉めた後でもう一度ため息をつく。
自分のデスクに戻って仕事を始めた私は、急に気になって自分のポーチからこっそり鏡を取り出した。
いつもとそんなに変わらないと思う。
だけど、いても立ってもいられない気分になり、トイレに立った。
メイク直しを終えてデスクに戻ると、社長が外出の準備をして出てきた。
「今日はもう戻らない」
ぶっきらぼうにそう言い残して足早に去った。
エレベーターが社長を乗せて動き出すと、ようやくホッとして気持ちが落ち着いてくる。
その後は夜の公演への期待に胸を弾ませながら、意欲的に仕事をこなした。
その日も朝から社長は最高のご機嫌斜めぶりを発揮し、私もデスクの前を素通りする社長を、形式的には頭を下げつつ白い目で見送った。
朝は社長が出社するとコーヒーを入れるのが日課だ。いくら険悪なムードでも日課は欠かさない。
それにしても、なぜこうも嫌な空気の中で仕事をしなくてはいけなくなったのか。コーヒーの粉をセットしながら、私は口を尖らせた。
こういう場合、私があやまるべきなのだろうか。
(でも、何に対してあやまるというの――?)
ふう、とため息をつく。最近はため息ばかりついている。
仕事だから仕方ない。多少の理不尽なできごとは給料日が来ればすべて解決。それまでの我慢だ、と自分に言い聞かせる。
私は気を取り直し、いつもと同じように社長室へコーヒーを運んだ。
「濃いな」
久しぶりに聞いた社長の声がそれだった。
「入れ直しますか?」
私は慌ててコーヒーカップに手を伸ばした。社長が私の顔をじろりと見る。
「メイクが濃い」
そこで私は彫像になったかのように固まった。
確かに今朝は普段より少し気合の入ったメイクの仕上がりになっていると思う。
ワクワクしていたせいなのか、やけに早起きしてしまったので、下地もきれいに塗れたし、普段は省略することの多いマスカラを念入りにつけ、アイメイクは通常の三倍くらい丁寧に重ねてグラデーションにした。小顔に見えるようにシェーディングもほんの少し入れた。フェイスパウダーはとっておきの高価なものを使った。
だけど私のよそいきメイクより、澤田さんの通常メイクのほうが断然濃いと思う。
どうして彼女は許されて、私は苦情を言われなくてはならないのか、ちっとも納得できない。
わざとらしい嘆息を漏らしてから「失礼します」ときっぱり告げる。それから苛立ちをなんとかこらえて退室した。
せっかくの楽しい日の始まりが最悪だ、と社長室のドアを閉めた後でもう一度ため息をつく。
自分のデスクに戻って仕事を始めた私は、急に気になって自分のポーチからこっそり鏡を取り出した。
いつもとそんなに変わらないと思う。
だけど、いても立ってもいられない気分になり、トイレに立った。
メイク直しを終えてデスクに戻ると、社長が外出の準備をして出てきた。
「今日はもう戻らない」
ぶっきらぼうにそう言い残して足早に去った。
エレベーターが社長を乗せて動き出すと、ようやくホッとして気持ちが落ち着いてくる。
その後は夜の公演への期待に胸を弾ませながら、意欲的に仕事をこなした。



