その日、世界は少しだけ音を失っていた。
テレビの速報テロップには、
〈若き天才ピアニスト・結城聖、突然の意識不明〉
という文字が流れていた。
橘未来は、朝の食卓でスプーンを握ったまま、画面を見つめていた。
「……嘘、でしょ。」
母がぽつりと呟く。
「昨日まで、元気に演奏してたのに…」
「……原因は?」
「過労だって。世界ツアーの途中だったらしいわ…」
未来は黙ってテレビの音を下げた。
ニュースキャスターの声が遠ざかる。
テーブルの上には、冷めかけたコーンスープ。
食器の音すら、どこかよそよそしかった。
——昨日まで、“遠い世界の人”だと思ってたのに。
それが急に、同じ現実に落ちてきたような感覚があった。
「未来?」
母が心配そうにのぞきこむ。
「……うん。別に、なんでもない。」
未来は小さく笑ってみせた。
けれど心の奥で、何かがざらついていた。



