僕の隣の席の子は学校のマドンナだ。

容姿端麗(ようしたんれい)文武両道(ぶんぶりょうどう)な彼女の裏側を知っているのは僕しかいない。

目が合った。


「おはよう胡蝶さん。今日も素敵な髪ね」


「ありがとうございます、鳥羽さん。僕も貴女を見習わなくてはいけません」


作った笑顔を浮かべる。

こうしていると周りの人間は「カッコイイ」だの「王子様」だの好きなように言ってくる。

今日も今日とて退屈だ。

真面目に授業を受けている振りをしながら、手帳を開けた。

夜に家族と食事か……。

憂鬱な気分になりながら隣を見た。


「意外と不真面目なのね」


「少し退屈になってしまいまして……今日は本当に憂鬱です」


「あら、何かあったの?」


長いまつ毛の奥の瞳は真っ黒だ。

一切の光も通らないぐらいに。

少し黙っていると、先生の質問にいとも簡単に答える。

周囲から「さっすが鳳様!」「可愛い上に頭もいいなんて」という声が飛び交った。

それに微笑んだ後、席に着く。

本当……どこを切り取っても華が咲いている。

自分とは大違いだ。

手に触れてみたくてそっと寄せてみる。

案の定ぬるっと避けられた。

可愛い。

…………?

今可愛いと思った……?

…………どうして。

自分の気持ちに理解が出来ず、もう一度試してみる。

今度は避けられず逆にがっしりと掴まれた。

一気に心拍数が上がる。

バクバクとうるさい。


「そんなに手が触りたいの?」


「貴女の勉強の邪魔をしようかと」


「もっと違う方法を試しなさいよ」


呆れた目線はすぐに正面に切り替わった。

何なんだこの感じは……。

風邪でも引いたのか?

今はまだ答えの分からない問題に目をつぶるしか無かった。

ーーー昼休みになって教室は美味しい匂いで充満した。

僕は誰もいない屋上への階段を登っていく。

そこに行くルートは2種類ある。

1つは壁をよじ登る、もう1つは合鍵を作ること。

流石にこの見た目で壁を登っていたら解釈違いにも程がある。

扉を開けるとそこには先客がいた。

黒いショートヘアが背の高い彼女によく似合っている。


「鳳、」


「モルフォか……誰かと思った」


化粧で大きくなった目で僕を見る。


「あっその……ここなら誰もいないかなって」


急に緊張してきて声がうわずる。

やっぱり人前で素を出すのは苦手だ。

気分が悪くなって吐きそうになる。

彼女は袋いっぱいのパンを次々食べていく。


「ねぇ、ヘアアレンジしていい?」


「えっ」


頬が紅潮していくのが分かる。

スラッと長い指で髪を触れられ、思わずドキッとしてしまった。


「やっぱり綺麗な髪だね。羨ましいな」


「鳳も綺麗だよ」


「そりゃあウィッグは大切に扱わないとすぐに傷んじゃうから」


ブラシでゆっくりととかれていく。

キュッと少しキツめに編まれていく髪にそわそわした。

人生で初めての感覚に追いつけずにいる。

数分経ったあと2つの三つ編みが風に揺れた。


「でーきた」


「凄い上手」


「いっぱい練習したからね。人気者になるために」


寂しそうな目線を僕は初めて見た。

守ってあげたいっていう利己心がボンっと頭に沸き上がる。


「じゃあモルフォ、チャイム鳴る5分前に起こして。ちょっと寝るから」


「えっあっうん。おやすみ鳳」


「おやすみ」


1分も経たないうちに寝息が聞こえる。

すっかり食べ損ねていたお昼ご飯を口の中に入れて、空を見つめた。

大きな雲がまだらに浮かんでいて鯨に見えたり狸に見えたりして面白い。

ミニトマトが弾ける。


「もっと自信持ちたいな」


ぼそりと呟いた言葉は誰にも届いていないはずだった。


「自分に正直になる練習からはじめよう」


バッと彼女を見るが寝ているようだ。

気のせいかと思ったら「気のせいじゃないよ」と凛とした声が響く。


「狸寝入りだったわけ?」


「地獄耳なもんで……でもモルフォさ、昨日とは違うよ」


寝転んだ体勢から脚をブンと動かし、上体を起こす。

グッと伸びをすると関節がボキボキと鳴った。


「さっそろそろ帰ろう。5分前だし、ウイッグ直さなきゃ」


パンの袋とは別の袋から髪を取り出す。

スポッとはめると、彼女は学校のマドンナへと早変わりした。

髪の毛の印象って凄いんだなぁと思った。

固く結われた三つ編みに触れる。

そこからは何事もなく授業は進み放課後になった。

モンキチョウがヒラヒラと舞っている。

あまり目立ってはいないけれど自然と目を奪われてしまう。

去年までだったら他人にヘアアレンジなんかされたらすぐに解いていたのに今日はほどけなかった。

電話が鳴る。


「もしもし」


「よぉモルフォ、今日はバックれるなよな。父さんの機嫌取りは大変なんだから」


「分かってるよ。でも今日は魔法があるから大丈夫」


電話越しにふっと笑う。


「魔法ってなんだよ?」


「秘密。じゃあまた後で」


「おう」


男らしい声が聞こえなくなった。

兄は20歳で経済学を学んでいる。

いい人ではあるんだが、言葉の節々に毒が混じっているので嫌いな人は嫌いだろう。

かくいう僕も嫌いだった。

見下されたような視線が酷く腹が立った。

歩きスマホは悪いことだが、鳳とのトーク画面を開く。


『次はどこのカフェ行く?』


すぐに返信が来る。


『ここ行こう』


そう送られてきた場所は猫がいた。

猫カフェと言うやつだろうか。

前髪みたいな模様のある猫が可愛い。


『いいね。猫好きなの?』


『犬の方が好き』


長々とせず語らない文章がいいな。

ちょっと素っ気ない気もするけど。

ふっと前を見ると電柱にぶつかりそうになった。

1回しまおう。

中学生までは送迎されていたけど今はない。

1人で通学とかしてみたかったから断ったのだ。

父からは怪訝な顔をされたけれど、今より良い成績を維持し続けることで許して貰えた。


「鳳」


意識を介さずに言葉が流れ出る。


「呼んだ?」


「えっわっ!?」


見た目はマドンナの姿だった。


「その姿なんだ」


「まだ人が多いから。話し声は聞こえる距離感だからこのままで……途中まで一緒に帰ろうよ」


「うん……うんっ!」


ニコッと今日1番の笑顔を浮かべる。

やっぱり彼女といると楽しい。

けどドキドキするのはなんだろう。

とんっと押される。


「何?」


「質問してるんだから答えてよ。犬か猫、どっちが好きかって」


ベッと舌を出す。

少しだけ怒っているような楽しんでいるような表情。

僕も二っと笑って答えた。


「猫の方が好き!」