「でも、ま」

そう言って、日向さんは少し照れくさそうに頭を掻いた。

「色々これから困ることとかあるだろうし、連絡先ぐらいは渡しとくよ。
 ……何か困ったことがあれば、いつでも連絡していい。
 生活のこととか、勉強のことでも、なんでも」

そう言いながら、
白衣のポケットから一枚の名刺を取り出した。

「……職場のだと連絡しにくいかな?
 なら、裏にプライベートのも書いとく。
 学生とあんまりそういうことすると怒られそうではあるけど……
 ま、君ならいいだろ」

ペン先がさらさらと紙を滑る音が、
不思議と静かなナースステーションに響いた。

差し出された名刺の裏面には、
彼の丁寧な字で番号が書き添えられていた。

「……ありがとうございます」

そう言いながら、
私はその小さな紙を両手で受け取った。

指先が触れた一瞬、胸の奥が少しだけ痛くなった。

——あぁ、やっぱりこの人は優しい。
でもその優しさに、甘えちゃいけないんだ。

そんなことを思いながら、
名刺をそっと鞄のポケットにしまった。

「無理しないでくださいね、先生」

「おいおい、それ俺の台詞」

いつもの調子でそう返す声が、
どこか懐かしくて、
胸の奥が少し温かくなった。

病院を出ると、
春の風が少し強く吹いた。

鞄の中で、名刺の角がかすかに指に触れる。
その感触が、
新しい日々へ向かうための小さなお守りみたいに思えた。