「……それで、あなたは平気なんですか」

「うん。慣れれば平気になる」

静かな声だった。
心底からの本音に聞こえた。

その瞬間、吐き気がした。

“慣れれば平気になる”
——そんなもの、医者じゃない。
俺がやりたかった仕事はこんなものじゃない。

気づいたときには立ち上がっていた。
机の上に置いていたペンが、床に転がって音を立てた。

「……俺は、慣れたくなんかない」

自分でも驚くほど、声が掠れていた。

向坂先生は笑っていた。
その笑みが、たぶんこの世界の本質そのものだった。

白衣の袖を強く握りしめて、部屋を出た。

廊下の明かりが眩しかった。
一歩外に出た瞬間、息を吐くことさえ怖かった。

……やっぱり、ここはもう駄目だ。

胸の奥で、ようやく決意が固まった気がした。


頭の中ではいつ辞表を出そうか、辞めてどこに行こうか、
現実的な計算が走りはじめていた。