寒さが一段と増してきたある夜、
理緒は珍しく、俺が帰ろうとすると強く袖を掴んだ。
「……嫌だよ。行かないで」
「……どうした?」
いつもなら「また明日ね」と笑って手を振る彼女が、
その夜だけは、泣きそうな顔で首を振っていた。
「……夜が怖いの。
眠れないから……」
その言葉を聞いた瞬間、
頭の中で“起座呼吸”という単語が浮かんだ。
体を起こしていないと呼吸が苦しくなる。
心不全が進行している証拠だ。
「苦しいのか?」
理緒は小さく頷いた。
「横になると……胸がぎゅってして……」
俺は椅子を引き寄せて、
彼女の背中を支えながら体位を整えた。
呼吸音を聞くと、
湿ったラ音が肺の奥で鳴っている。
「少し、楽になった?」
「……うん。でも……」
彼女は目を伏せて、
かすかに震える声で続けた。
「……また、眠って……目が覚めなかったらどうしようって思うの。だから……寝るのが怖い」
言葉が喉の奥で止まった。
医者として何を言うべきか、
一瞬、わからなくなった。
点滴ラインの流量を確認して、
できるだけ穏やかな声で言った。
「大丈夫だ。今は俺がここにいる。
……眠っても、ちゃんとまた朝が来るよ」
彼女は小さく頷き、
そのまま、安心したように目を閉じた。


