着替えを終えて外に出ると、
日向さんは病棟の窓際にもたれて、外の雨を見ていた。

夜は十分に深まっていて、
外の街路樹がぼんやりと濡れ光っていた。

「……もう、大丈夫です」

小さな声で言うと、彼は振り向いた。
一瞬だけ視線をこちらに向け、
それからふっと息を吐く。

「……そうか。なら、よかった」

その声は静かだったけれど、
どこか遠く、ガラス越しに聞こえるみたいに感じた。

(……やっぱり、嘘だったんじゃないか)

そう思った。
この人の優しい視線に触れるたびに、
“理緒がもう病院から出られない”なんて言葉、
どこかの間違いだったんじゃないかと信じたくなる。

けれど――。

「……理緒。……本当に、駄目なんですか」

思わず、口にしていた。
彼は少しだけ目を伏せ、
言葉を選ぶように息をついた。

「……理緒の病気は、根本的な治療法が――
 心臓移植ぐらいしか存在しない。
 ……初めから、時間を延ばせるだけ延ばして、
 その間にドナーが見つかれば勝ち……そんな勝率の悪い戦いを挑んでた」

言葉は淡々としていた。
でも、その静けさの奥に、どうしようもない疲れと無力感が見えた。

「……騙してたわけじゃない」
低く続ける声が、少しだけ掠れた。
「ただ、守秘義務もあって、君には真実をなかなか伝えられなかった」

沈黙。

雨はもう上がっていた。
ガラスの外には、街の街灯の薄い光が滲んでいる。

「……送ってやりたいけど、まだ仕事が残ってる。
 ……タクシー呼んでやるから、それで帰れるな?」

彼の言葉は、もう完全に“先生”のそれだった。
さっきまでの優しい体温は、どこにもなかった。

「……はい」
そう答える声が震えているのを、
自分でも止められなかった。