夜、デスクに頬杖をつきながら、小さく息を吐いた。
窓の外には病院の明かりだけが点々と揺れている。

……スマホを見ると、彼女からのメッセージがあった。

『日向さん、今日も遅いですか?
私も試験勉強で図書館残ってるので、一緒に帰れたら嬉しいです!』

その無邪気な文面に思わず笑みが溢れる。

助教という全く望んでいなかった肩書きを手に入れて数年。
それでも、彼女と一緒にいる為にも降りることはできないのだと心を決めてから、もう迷うことは少なくなった。

それでもふとした折に思い出す。

(……あの頃の俺は、ボロボロだった)
(向坂の駒にされて、同期からも孤立して、何をやっているのかわからなくなって……)

指先が知らず知らずのうちに震えている。

(だからこそ――君のような、何も知らず、まっすぐで、純粋無垢なものに触れたがった)

その“君”の顔が、鮮明に浮かぶ。
病室で理緒の手を握っていた桜の横顔。
無邪気に笑いながら「日向さんってすごいですね」と言ってくれた声。

胸の奥が、痛いほど熱くなる。

(……触れたかったのは、あの子を汚したいからじゃない。
ただ、自分がまだ人間でいられることを確かめたかっただけなんだ)

ひとりごとのように呟いて、深く息を吐いた。