『お医者さんってだけでモテそう』――理緒はそんなふうに言っていた。
……確かに、そういう面もあるのかもしれない。
それでも、自分なんて大した存在じゃない。
医者だとか、大学病院勤務だとか。そんな肩書きで好意を寄せられても困る。
俺は、どれだけ頑張っても足掻いても、苦しんでいる子どもひとり救ってやれない。夢を見せてやることすらできない。……それが現実だ。
そして組織の中では、人間扱いすらされない。
ただの、駒。
「ねぇ、御崎」
背後から軽い声がかかる。振り返れば、上司である向坂伊織が、いつも通り底知れぬ笑みを浮かべて立っていた。
……その瞬間から、嫌な予感しかしなかった。
「坂崎に任せてた心不全の症例なんだけどさ、彼、英語も構成もホントにダメで。だから君がファーストでまとめてくれない?」
胸の奥が冷たくなる。
「……業績を、奪えってことですか」
「いや? そう思うの?」
向坂先生は飄々と肩をすくめた。
「真面目だなぁ。僕に言われてやったって言えば済む話だろう?」
「……できません」
吐き捨てるように返す。
「じゃあ、上司命令にしたらやってくれる?」
にこりと笑い、声色を変える。
「僕としては君を早く助教に上げたいんだよ。優秀だからさ」
――アカデミックハラスメントの片棒を担げってことか。
そこまでして手に入れるような出世なんて1ミリも望んでいない。
けれど“正義感に従って立場を失う”ことを、俺のプライドは許せない。
言葉を飲み込みかけた時、さらに追い打ちが来た。
「坂崎は……セカンドでいいですか」
勇気を振り絞ってそう確認すると、目の前のサイコパスは悪びれもせず笑った。
「いや? サードでもいいんじゃない? どうせ彼じゃ形にならないんだから」
――血の気が引いた。
人の努力を、まるで数字の駒のように扱うその軽さに。
言葉を失った。だが、彼はさらに淡々と告げる。
「……坂崎はもうダメだよ、どうせ。そのうちどこかの関連病院に飛ばすことになる。だから気まずくなることもない」
反論したい。声を荒げたい。
だが、ここで逆らえば自分の立場が危うくなる。
結局、飲み込むしかなかった。
「……わかりました。自分がまとめます」
向坂先生の口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
その笑顔を見ながら、俺は深く息を吐いた。
(……患者を救うために選んだはずの道で、どうしてこんなものまで呑み込まなきゃならないんだ)


