「……話しかけないで!!」

あの瞬間、教室の空気が凍った。

花音の声が、あまりにも強くて、俺は何も言えなかった。

花音に、あんなふうに言われたのは初めてだった。

今まで、どんなに距離があっても、冷たくされることはなかった。

だからこそ、心臓がぎゅっと締めつけられるように痛かった。

放課後、家に帰っても、ずっと考えていた。

——何があったんだ。

——俺のせい? ——それとも、誰かに何か言われたのか?

考えても答えは出ない。

でも、花音の親友なら、何か知ってるかもしれない。

俺は、クラスのグループLINEから向坂ひよりを個別に追加した。

指が震えた。

ひよりは、花音と仲いいから、結構話すけど、LINEまでは持っていなかった。

「追加してごめん。リル。 ひよりに聞きたいことあって。」

すぐに既読がついた。

スマホを見ていたのかもしれない。

「仲いいけど、詳しくはちょっと……」

ひよりの返事は、躊躇しているようだった。

でも、その“ちょっと”の中に、何かがある気がした。

俺は、どうしても知りたくて、花音にもLINEを送った。

「花音、何があったんだよ。」

送った瞬間、後悔した。

怒ってるみたいに見えるかもしれない。

すぐに送信取り消しをして、もう一度打ち直した。

「花音、何があったのか教えてくれないか」

しばらくして、花音から返事が来た。

「べつに。いつもしつこいからめんどくさくなっただけ。ごめんね」

その言葉に、胸がざわついた。

そんな花音、見たことなかった。

“めんどくさい”なんて、言われたことなかった。

俺は、もう一度ひよりにLINEを送った。

「お願い。何があったのか、少しでも教えてほしい。 花音が、あんなふうになるなんて、俺……本当にわからないんだ」

送信したあと、スマホを握りしめた。

ただ、花音のことが心配だった。

しばらくした後、ひよりからメッセージが届いた。

「だれかさんがモテてるせいでこうなってんの! 好きなら気づいてあげなさいよ!」

ひよりからのLINEを読んだ瞬間、俺はスマホを見つめたまま固まった。

は? 俺が? モテてる? ……いや、それは置いといて。

「好きなら気づいてあげなさいよ」って、どういうことだよ。

俺が花音のこと好きなの——誰がばらした!? 誰にも言ってない。

本当に、誰にも。

ひよりにも、言ってない。

男子にも、もちろん言ってない。

花音にも、絶対言ってない。

なのに、なんでバレてんの!? 俺、そんなに顔に出てた? いや、出てたかも。

でも、そんなにわかりやすかったか?

「……まじかよ」

思わず、声に出してしまった。

スマホを握りしめたまま、ソファーに倒れ込む。

でも、ひよりの言葉は、確かに俺の胸に刺さってた。

「好きなら、気づいてあげなさいよ」

——気づいてなかった。

花音が、何かに傷ついてること。

俺が、何もできてなかったこと。

好きなのに、守れてなかった。

俺は、スマホをもう一度手に取った。

「……よし」

今度こそ、ちゃんと助ける。

部屋着姿なのも気にせずに、花音の家に向かった。

でも、今は違う。

どうしても言葉を聞きたかった。

花音の家の前に立って、一瞬ためらった。

——いいかな? ——迷惑じゃないか? ——でも、俺のせいなんだよな。

俺が、気づかなかったから。

俺が、守れなかったから。 俺が、好きなのに、何も言えなかったから。

深く息を吸って、インターホンを押した。

ピンポーン。

静かな夜に、チャイムの音が響いた。

しばらくして、玄関のドアが開いた。

「……律?」

花音は 驚いた顔でこっちを見ている。 でも、怒ってはいなかった。

「……ちょっとだけ、話せる?」

花音は、少しだけ目を伏せて、 それから、ゆっくりとうなずいた。

「……入って」

俺は、靴を脱いで、花音の部屋に上がった。

何度も来たことがあるはずなのに、今日は空気が違って感じた。

机の上には、開きかけのノート。

俺は、部屋の隅にあるクッションに腰を下ろした。

沈黙がちょっとあったけど、俺は、思い切って、口を開いた。

「今日、あんなふうに言われたの、初めてだった。 “話しかけないで”って……正直、すげぇショックだった」

「……ごめん。あんな言い方、するつもりじゃなかった」

「じゃあ、なんで?俺、何かした?」

「……してない。律は、何も悪くないよ」

「でも、俺のせいなんだろ?ひよりにも迷惑かけてるって、そう思ってるんだろ?」

花音は、少しだけ顔を上げて、ぽつりと答えた。

「……うん。私が律と話すから、ひよりが守ってくれてた。 それで、ひよりが風邪で休んだ日に、全部わかって……先生にも怒られて……」

「……美羽か?」

「……なんで、わかったの?」

「ひよりが、ちょっとだけ教えてくれた。 “誰かさんがモテすぎてこうなってる”って。 」

花音は、目を見開いて、少しだけ笑った。

「 俺は、花音が困ってるのに、何もできてなかった。 」

「律が悪いわけじゃない。 私が、勝手に怖くなって、勝手に距離置いて…… ただ、自分を守りたいだけだった。」

「じゃあ、もう一回、話しかけてもいい?」

花音は、ゆっくりうなずいた。

「……うん。今度は、ちゃんと聞くから」

その言葉に、胸が少しだけ軽くなった気がした。