僕とあの子のツインテール

 高校二年生の春、僕は駅のホームに立っていた。
 心地よい疲れの部活帰り。重いカバンを足元に置き、電光掲示板に映る時刻をぼんやりと眺めていた。
 通っている進学校の授業は容赦ない。ちょっと油断すると置いていかれそうになる。けれど、それが逆に僕を奮い立たせてくれているのも事実だ。
 中学の頃の僕なら、自分を過小評価して「どうせ無理だ」と勝手に言い訳していただろう。でも今は、踏ん張ろうと思える。
 演劇部に入ったのも、その変わりたい気持ちの延長だった。人前に立つのは怖かったけれど、あの文化祭の舞台で味わった高揚感をどうしても忘れられなかった。
 いろいろな役を演じるうちに、不思議と猫背も矯正されてきた。少しずつだけど、人と目を合わせるのも平気になってきた気がする。中学の自分からは想像できないくらいだ。
 もちろん、陽奈ちゃんのことを忘れたわけじゃない。あの日、校舎裏で交わした言葉も、胸の奥にずっとある。
 ただ、彼女の言うとおり僕たちは別々の道を歩き始めた。進学先も違うし、生活リズムも違う。
 だからこそ、自分なりに気持ちに一区切りをつけ、前を向こうとしていた。

 ……そのはずだった。
 ホームの向こう側に立つ人影に、視線を吸い寄せられたのは偶然だった。
 最初は「きれいな人だな」と思った。背筋をすっと伸ばして立ち、雑踏の中でもひときわ目立つその姿は、まるで舞台に立つヒロインのようで。顔をはっきりと見た瞬間、僕は呼吸を忘れた。
 陽奈ちゃんだった。
 耳の横で結ばれたツインテールはなかった。でも、肩まで伸びた艶やかな髪と、凛とした顔立ち、そして何より右目の下にある小さなほくろが彼女であることを告げていた。
 彼女はあの頃のようにどこか快活さを残しつつも、上品で大人びた雰囲気をまとっていた。久しぶりに見るせいなのか、それとも高校生活が彼女をさらに磨いたのか。どちらにせよ、僕の記憶にある「中学のアイドル」よりも、さらに輝きを増していた。
 それはきらきらと輝く、まさに“美少女オーラ”と呼ぶほかない存在感だった。ああ、オーラって本当に目に見えるんだ――そう思った。
 心臓が早鐘を打つ。今すぐ声をかけたい。駆け寄って、その名前を呼びたい。
 けれど、その勇気が出なかった。
 彼女の隣には誰もいなかったけれど、制服は見慣れないデザインで、僕とは違う世界にいることを思い知らされる。中学の頃のように、何気なく言葉を交わせる空気ではなかった。
 今はもう、環境そのものが僕たちを隔てているのだ。
 迷っている間に、ホームの間に電車が滑り込んできた。
 ガラス越しに見えていた陽奈ちゃんの姿が揺らぎ、やがて完全に視界から遮られた。ちょうど、僕たちの間に壁を作るように。
 跨線橋を駆け上がれば、間に合うかもしれない。息を切らしてでも向かえば、彼女に「久しぶり」って声をかけられるだろう。
 そう思った瞬間、不意にあの日の言葉がよみがえった。
 “あたしたちがもっともっと大人になった時、またどこかで会えたらいいね”
 卒業式の日。彼女は最後にそう言ってくれたのだ。
 あの時は前向きに受け止められなかったけれど――今ならわかる。
 僕も、彼女も、いまはまだ途中なのだ。
 高校生活の真ん中にいて、それぞれの道を歩んでいる。彼女はきっと陸上に打ち込んでいるのだろうし、僕は勉強と演劇に向き合っている。再会を急いで、今の彼女を引き止めるべきじゃない。
 けれど、それでも……会いたかった。声をかけたかった。胸の奥で葛藤が渦巻く。
 やがて発車のベルが鳴り、僕は意を決して電車に乗り込んだ。もう引き返せない。
 座席に腰を下ろすと、急に力が抜けた。
 ほんの数メートルの距離に、彼女は確かにいたのに。声をかける勇気が出なかった自分を責めつつも、「いまはこれでよかったのかもしれない」と心のどこかで納得している自分もいた。
 だって僕たちは、まだ成長の途上なのだから。

 やがて電車が静かに動き出す。
 窓に映る自分の顔を見て、思わず苦笑した。あの日から少しは変われたと思う。だけど、陽奈ちゃんを前にすると、やっぱり中学の頃の僕のままなんだな、と。
 できれば陽奈ちゃんにも、あの頃のままでいてほしい――そう願ってしまう自分がいる。だけど同時に、人気があって積極的な彼女のことだ、そうもいかないんだろうとも感じてしまう。
 遠ざかっていくホームを見送りながら、胸の奥に残されたのは懐かしさと切なさ、そしてほんの少しの後悔だった。
 けれどその全部を抱えて、僕はまた明日から、自分の場所で生きていくのだろう。
 いつか、胸を張って彼女に会える日まで。