二月十四日。
僕にとっては毎年、できればカレンダーから消してほしい日だった。
いわゆるバレンタインデー。
「誰から何個もらった」とか、そういう話題で盛り上がるのは決まって男子の間で。
誰も触れないけれど、ゼロの人間にとっては地獄のような時間になる。
僕自身は、チョコをもらえないこと自体はそんなに嫌なわけじゃなかった。
けれど「もらえない」ことで、どこか「惨めなやつ」と見られるのが、何よりつらかった。実際、毎年そうだったから。
でも今年は、少しだけ違う。
陽奈ちゃんと出会ってから、僕の毎日は大きく変わった。勉強を一緒にしたり、夏祭りに行ったり、林間学校の夜に一緒に踊ったり。
彼女と過ごした時間を思い返すと――きっと、僕にもついに春が来るはずだって、期待してしまう。
「今年こそは」
そんな気持ちで、朝からそわそわしていた。
予想通り、慧はモテた。
昇降口でも廊下でも、朝から女子に呼び止められて、どんどんチョコが積み重なっていく。十個以上はもらっていたんじゃないだろうか。
「やっぱモテるなー」「ずるいぞ慧!」
男子たちが冷やかす中、慧は照れ隠しの笑みを浮かべながらも軽く受け流していた。
さすが、としか言いようがない。
僕の机の上には――当然、何もない。分かってたけど、やっぱり寂しい。
でも、陽奈ちゃんがいる。きっと彼女がくれる。
そう思って待っていた。
けれど昼になっても、放課後になっても、彼女からの気配はない。声をかけられることもなく、カバンの中に何かを入れてくれるでもなく。
あぁ……僕は何を期待していたんだろう。
慧みたいにモテるわけでもない僕が、勝手に夢を見ていただけかもしれない。数なんて競うまでもない。ゼロが当たり前。
でも、陽奈ちゃんからは絶対もらえるはずって思い込んでいた自分が、何より恥ずかしかった。
結局、重たい気分のまま昇降口に向かっていると――。
「朋希くん!」
聞き慣れた声が背中から飛び込んできた。
振り返ると、そこには陽奈ちゃんがいた。ツインテールが少し揺れて、息を弾ませた顔がまっすぐ僕を見ている。
「え、陽奈ちゃん?」
彼女はカバンの中を少し探って、小さな包みを取り出した。
ほんの少しだけ顔を赤らめて、言葉を選ぶみたいにして。
「その……出来が悪くて、渡そうかどうか、ずっと悩んでたんだけど」
差し出された包みを見た瞬間、胸がいっぱいになった。思わず受け取った手が、少し震えていたかもしれない。
「ありがとう」
小さな声しか出せなかったけど、それが精一杯だった。
「ちょっと食べてみようか?」
おそるおそるといった雰囲気の陽奈ちゃんに言われて、二人で公園に寄った。
冬の夕方の空気は冷たくて、ベンチに座ると体温をじわじわと持っていかれる気がした。だけど彼女が隣にいるだけで、不思議と胸のあたりが温まった。
可愛らしいラッピングをほどくと、中から出てきたのは少し形がいびつなチョコレート。
「形、変でしょ?」
僕が何か言う前に、彼女が遮るように口を開いた。
「いや、その……味、だよね」
苦笑しながら口に運んだ瞬間、思っていた以上の苦味が広がった。ビターなチョコとか、そういうレベルではなかった。
顔に出さないようにしたつもりだけど、きっと隠しきれていなかっただろう。
「……苦い?」
「ちょっと、ね」
正直に答えると、陽奈ちゃんは小さく視線を伏せた。
「ごめん。あたし、実は料理ダメでさ。家庭科もごまかしてきただけで……。幻滅されちゃうよね」
その声は、小さくて、今にも消えそうで――。
「幻滅なんてするわけないよ。僕、手作りなんてもらうの初めてだし、本当に嬉しい。……それに、陽奈ちゃんの秘密、また知れたし」
慌てて首を振り、必死で言葉を紡ぐ。もちろん僕の本気の想いだ。
「……ありがと」
陽奈ちゃんの表情がふわっと和らいだのを見て、胸が温かくなった。
そして、彼女は少し間を置いて――。
「でもこれから頑張るから、将来は期待しててね!」
思わず心臓が跳ねた。
将来。
その言葉は、僕には少し大きすぎて、眩しいものに思えた。
「しょ、将来って……?」
動揺して聞き返すと、彼女は顔を真っ赤にして手を振った。
「べ、別に深い意味はないし!」
慌てふためく陽奈ちゃんが本当に可愛くて。
でも、そんな彼女の声の端々に、どこか未来を見据えているような響きがあった。
だから僕は、その未来を信じたいと思い、彼女の目を見てはっきりと伝えた。
「――約束だよ」
チョコは確かに苦かったけど、今日という日は僕にとって何よりも甘い一日になった。
明るくて可愛くて、スポーツも万能で、勉強だってできないわけじゃない。そんな陽奈ちゃんが隠していた苦手な部分。
なんだか、それすらも愛おしく思えてくる。
――こういう気持ちを、なんて呼ぶんだろう。
僕にとっては毎年、できればカレンダーから消してほしい日だった。
いわゆるバレンタインデー。
「誰から何個もらった」とか、そういう話題で盛り上がるのは決まって男子の間で。
誰も触れないけれど、ゼロの人間にとっては地獄のような時間になる。
僕自身は、チョコをもらえないこと自体はそんなに嫌なわけじゃなかった。
けれど「もらえない」ことで、どこか「惨めなやつ」と見られるのが、何よりつらかった。実際、毎年そうだったから。
でも今年は、少しだけ違う。
陽奈ちゃんと出会ってから、僕の毎日は大きく変わった。勉強を一緒にしたり、夏祭りに行ったり、林間学校の夜に一緒に踊ったり。
彼女と過ごした時間を思い返すと――きっと、僕にもついに春が来るはずだって、期待してしまう。
「今年こそは」
そんな気持ちで、朝からそわそわしていた。
予想通り、慧はモテた。
昇降口でも廊下でも、朝から女子に呼び止められて、どんどんチョコが積み重なっていく。十個以上はもらっていたんじゃないだろうか。
「やっぱモテるなー」「ずるいぞ慧!」
男子たちが冷やかす中、慧は照れ隠しの笑みを浮かべながらも軽く受け流していた。
さすが、としか言いようがない。
僕の机の上には――当然、何もない。分かってたけど、やっぱり寂しい。
でも、陽奈ちゃんがいる。きっと彼女がくれる。
そう思って待っていた。
けれど昼になっても、放課後になっても、彼女からの気配はない。声をかけられることもなく、カバンの中に何かを入れてくれるでもなく。
あぁ……僕は何を期待していたんだろう。
慧みたいにモテるわけでもない僕が、勝手に夢を見ていただけかもしれない。数なんて競うまでもない。ゼロが当たり前。
でも、陽奈ちゃんからは絶対もらえるはずって思い込んでいた自分が、何より恥ずかしかった。
結局、重たい気分のまま昇降口に向かっていると――。
「朋希くん!」
聞き慣れた声が背中から飛び込んできた。
振り返ると、そこには陽奈ちゃんがいた。ツインテールが少し揺れて、息を弾ませた顔がまっすぐ僕を見ている。
「え、陽奈ちゃん?」
彼女はカバンの中を少し探って、小さな包みを取り出した。
ほんの少しだけ顔を赤らめて、言葉を選ぶみたいにして。
「その……出来が悪くて、渡そうかどうか、ずっと悩んでたんだけど」
差し出された包みを見た瞬間、胸がいっぱいになった。思わず受け取った手が、少し震えていたかもしれない。
「ありがとう」
小さな声しか出せなかったけど、それが精一杯だった。
「ちょっと食べてみようか?」
おそるおそるといった雰囲気の陽奈ちゃんに言われて、二人で公園に寄った。
冬の夕方の空気は冷たくて、ベンチに座ると体温をじわじわと持っていかれる気がした。だけど彼女が隣にいるだけで、不思議と胸のあたりが温まった。
可愛らしいラッピングをほどくと、中から出てきたのは少し形がいびつなチョコレート。
「形、変でしょ?」
僕が何か言う前に、彼女が遮るように口を開いた。
「いや、その……味、だよね」
苦笑しながら口に運んだ瞬間、思っていた以上の苦味が広がった。ビターなチョコとか、そういうレベルではなかった。
顔に出さないようにしたつもりだけど、きっと隠しきれていなかっただろう。
「……苦い?」
「ちょっと、ね」
正直に答えると、陽奈ちゃんは小さく視線を伏せた。
「ごめん。あたし、実は料理ダメでさ。家庭科もごまかしてきただけで……。幻滅されちゃうよね」
その声は、小さくて、今にも消えそうで――。
「幻滅なんてするわけないよ。僕、手作りなんてもらうの初めてだし、本当に嬉しい。……それに、陽奈ちゃんの秘密、また知れたし」
慌てて首を振り、必死で言葉を紡ぐ。もちろん僕の本気の想いだ。
「……ありがと」
陽奈ちゃんの表情がふわっと和らいだのを見て、胸が温かくなった。
そして、彼女は少し間を置いて――。
「でもこれから頑張るから、将来は期待しててね!」
思わず心臓が跳ねた。
将来。
その言葉は、僕には少し大きすぎて、眩しいものに思えた。
「しょ、将来って……?」
動揺して聞き返すと、彼女は顔を真っ赤にして手を振った。
「べ、別に深い意味はないし!」
慌てふためく陽奈ちゃんが本当に可愛くて。
でも、そんな彼女の声の端々に、どこか未来を見据えているような響きがあった。
だから僕は、その未来を信じたいと思い、彼女の目を見てはっきりと伝えた。
「――約束だよ」
チョコは確かに苦かったけど、今日という日は僕にとって何よりも甘い一日になった。
明るくて可愛くて、スポーツも万能で、勉強だってできないわけじゃない。そんな陽奈ちゃんが隠していた苦手な部分。
なんだか、それすらも愛おしく思えてくる。
――こういう気持ちを、なんて呼ぶんだろう。

