「……朋希くん? どうしたの?」
 こっちを振り向いた陽奈ちゃんに聞かれて、思わず姿勢を正す。
「いや、その……」
「ふふ、やっぱり気にして来てくれたんだ」
 口ごもる僕に、彼女はくすっと笑った。その笑顔に、胸の奥がきゅっと掴まれる。
 キャンプファイアーのときに、彼女が口にした「お風呂まだなんだ」の一言。それが気になってここまで来たというのは間違いではないが、どちらかと言えば無意識に足が向いていたという方が近い。
 そもそも、来てどうするというのだ。
 答えに窮している僕に、陽奈ちゃんがいたずらっぽい笑みを浮かべてこう言ってきた。
「ねえ、どうせ誰も来ないよ。一緒に入ろ?」
 耳を疑った。
 何を言ってるんだ、この子は。
「な、何言ってるの! そんなの無理に決まってるだろ! だいたい僕はさっき入ったし……」
 声が裏返る。慌てて両手を振る僕をものともせず、陽奈ちゃんは一歩近づいてきてさらに言葉を続ける。
「そんなこと言わないの。なんか怖いから、一人じゃ入りたくなかったんだもん」
 ――怖い? 彼女らしくもないなと思いつつも、そう言われたら断りづらいじゃないか。いや、でも万が一誰かに見つかったらどうすればいいのだ。女湯だから僕が一方的に悪いことになるのだろうか。
 僕が逡巡しているうちに、気づけば手を引かれて脱衣場に連れて行かれていた。ああ、こうなるともう完全に彼女のペースだ。
 思えば「陽奈ちゃん」と名前で呼ぶことになったときも、こんな感じで押されて負けた気がする。夏祭りでも、席替えでも。僕はこういう運命なのだろうか。
 ――それも悪くはないのかもしれないと思いつつ、僕は覚悟を決めて浴場の中へ足を踏み入れるのだった。

 背中合わせに腰を下ろす。
 ひんやりした石床と、がらんとした静けさ。
 ぱしゃん、と水をかける音や、石鹸を泡立てる音が反響する。広い空間なのに、互いの気配がやけに近い。
「こっち、見てもいいんだよ?」
 陽奈ちゃんがいつもの調子でからかってくる。
「っ……! み、見ないって!」
 プールの授業で見た、陽奈ちゃんのすらりとしたスクール水着姿を思い出す。
 あのスタイルはそのままに、いまは生まれたままの姿で僕の真後ろにいる。改めて、そんなとんでもない状況にいることを実感する。
「ふふっ、残念。……洗いっこでもしようかなって思ったのに」
「そ、そんなことするわけないだろ!」
 冗談だってわかっていても、言われたら想像してしまうのが男の性だ。
 石鹸を付けた僕の手が、そっと陽奈ちゃんのすべすべの背中に触れる。「きゃっ」と小さく声を上げる彼女。そんな光景が脳内を駆け巡る。
「あはは、声裏返ってるって」
 顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。陽奈ちゃんの声が、湯気に反射して鼓膜を直撃するみたいにくすぐったい。
 ふと視線を落とす。――これ以上想像すると、いろいろとまずい。
 気を紛らすために、僕は大げさに身体を洗い始めることにした。

 腰にバスタオルを巻いて湯船に浸かったものの、心臓の鼓動はちっとも落ち着かない。
 やがて、あとから入ってきた陽奈ちゃんが隣に腰を下ろす。その姿を横目で見た瞬間、思わず息を呑んだ。
 ツインテールじゃない。
 長い髪をほどいて湯気に濡れた姿が、そこにあった。
「……髪、下ろしたんだね」
「え? あ、これ? 似合わないかな」
 少しはにかんだ顔で聞いてくる陽奈ちゃん。湯気に包まれた彼女の姿はあまりにも艶やかで。
「……すごく、きれいだ」
 言ってしまった後、頬がさらに熱を帯びる。けれど本当にそう思った。鎖骨に沿って濡れた髪が流れ、湯に浮かぶ肩の白さが星の光のように透き通って見える。
「えへへ。そんなはっきり言われると恥ずかしいな」
 目を逸らして、首まで湯に浸かる彼女。そんな愛らしい反応を見ながら、少し考えてみる。
 本当にただ「怖い」だけで僕をお風呂に誘ったのかどうかはわからない。だけどこうして現実に、無防備な陽奈ちゃんが僕の隣に座っている。
 春の頃はほとんど会話もできず、距離感さえあった彼女。それがいつの間にか、こんなにも僕の近くにいる。付き合っているわけでもないのに、陽奈ちゃんを他の誰にも渡したくないなどと、おこがましいことを考えてしまう。
 だけど、きっと陽奈ちゃんも――“僕だから”誘ってくれたんじゃないか。根拠はないけど、そう思った。

 そのときだった。
 陽奈ちゃんが片腕を上げた拍子にできた、胸元のタオルのわずかな隙間。そこには――。
(……っ!)
 白い素肌の奥に見える、健康的でなだらかな丘。その先端に、小さな桜色のつぼみ(・・・・・・)が宿っていた。
 生まれて初めて目にする同級生のそれが、僕の視線を釘付けにする。
 見てはいけない。絶対に。頭ではわかっているのに、瞬きさえできない。
「……見たでしょ。わかるんだから」
 小さく囁く声に、全身が跳ねた。
「ち、違っ……!」
 だけど、彼女は嫌がるでもなく、軽蔑するでもなく。
「ふふっ。秘密、また増えちゃったね」
 その言葉とともに、濡れた指先が頬に触れた。
「……陽奈ちゃんっ」
 湯よりも熱い体温が伝わり、心臓が破裂しそうになる。
「ご、ごめん。僕、先に上がるから!」
 湯船から立ち上がり、慌てて浴場を出る。背後で小さく笑う声が聞こえた気がしたけれど、振り返る余裕はなかった。
 脱衣場で身体を拭いても、胸の奥に渦巻く熱はいっこうに冷めやらない。
 ――さっき見てしまった光景は、きっと一生忘れられない。
 あの笑顔の裏に隠された気持ちを、僕はまだ知らないのだった。