女子更衣室のざわめきは、いつもよりも一段と大きかった。
 今日はプール開き。肌をさらすことに浮き立つ子もいれば、少し落ち着かない顔をしている子もいる。あたしもその「少し落ち着かない」側だった。
 鞄から水着を取り出し、制服を脱いで着替え始める。
 周りの子たちは何気ないように見えて、鏡の前で髪を整えたり、友だちとふざけ合ったりしている。あたしはといえば、水着を身につけた瞬間に、胸のあたりをそっと押さえてしまった。
 ……やっぱり、あんまり大きくないな。
 みんなの視線がそこに集まっているわけじゃないってわかっているのに、こういうときはどうしても気になってしまう。
 同じクラスの子の中には、すでに女性らしいラインが出てきている子もいる。比べてしまっては、ため息がこぼれそうになる。
 「まあ、仕方ないか」なんて、心の中でごまかす。
 体型で競うために来ているわけじゃない。泳げば気持ちいいはずだ。そう思おうとしても、鏡に映る自分を見て、ほんの少しだけ目を逸らしたくなる。

 プールサイドに出ると、湿ったコンクリートのにおいと、照りつける初夏の陽射しがいっせいに押し寄せてきた。
 眩しさに目を細めながら列に並ぶ。
 男子の視線がいくつもこちらに向かっているのを感じた。露骨に見る人は少なくても、ちらちらと泳ぐような目線はごまかしきれない。
 その中心にいるのが、あたし自身だと気づいてしまうのは――正直、悪い気がしない。むしろ、少し誇らしくもある。けれど、同時に恥ずかしさがこみ上げて、無意識にツインテールをいじってしまった。
 先生の笛が鳴り、準備体操が始まる。肩を回し、腰をひねり、腕を振る。そのたびに肌に陽射しがじりじりと焼きついていく。
 やがて、プールに入る合図が出た。足を水に浸けると、思わず「冷たっ」と声が漏れる。隣の子が笑い、「早く慣れなー」と肩を押してくる。
 最初の授業は、バタ足やクロールの確認だった。あたしはそれなりに泳げる方だから、特に問題もなくこなしていく。水をかくたび、髪が頬に張り付いて、頬を撫でていく感覚が妙にくすぐったい。
 プールの中央で顔を上げたとき、ふと反対側のプールサイドに立つ男子の姿が目に入った。朋希くん。
 視線がほんの一瞬交わったような気がした。
 けれど彼はすぐに目を逸らし、足元の水面を見つめてしまう。
 ……やっぱり、彼らしい。目が合うと緊張してしまうのか、それとも単にあたしなんか気にしていないのか。わからない。でも、胸の奥で何かがふっと揺れた。

「はい、ここまで。じゃあ自由時間」
 先生の声に、わっと歓声が上がる。授業の緊張が解け、みんな思い思いに水へ飛び込んでいく。水しぶきが太陽を反射して、きらきらと輝いて見えた。
 あたしもプールの端に腰掛けて、水に足をぷらぷらと浸す。涼しい感覚が心地よくて、つい目を細めた。
 すると、すぐ隣に影が落ちる。振り向くと――(けい)が立っていた。
「よっ、陽奈。お前、泳ぐの速いな」
 そう言って、にかっと笑う。濡れた髪を手ぐしでかき上げる仕草が、妙に様になっていた。
 本宮(もとみや)慧。中一のときから同じクラスで、誰とでも気さくに話せる。サッカー部のエースで、背が高くて運動神経も抜群。先生に当てられても堂々と答えるし、ムードメーカーとして場を盛り上げるのも得意だ。
 だから、自然と人が集まってくる。男女問わず、友だちが多い。あたしから見ても、眩しい存在だった。
「そうかな」
「そうだよ。みんな見てたぜ。俺、途中で息あがったし」
 からかうような言い方じゃない。純粋に褒めてくれているのがわかる。だからこそ、ちょっと照れくさくなった。
 そのまましばらく並んで話す。今日の水の冷たさとか、これからの夏の行事とか。話題は他愛もないのに、隣に慧がいると、空気が明るくなる。声をかけられれば、自然に笑ってしまう。
 ……もし、あたしが慧と付き合ったら?
 不意に、そんな想像が頭をよぎった。みんなから「お似合い」って言われるのかもしれない。放課後に一緒に帰ったり、休日にデートしたり。そんな光景が、なんだか簡単に想像できる。
 きっと慧は、堂々とあたしの隣を歩いてくれるだろう。手を繋ぐのも、まるで当たり前みたいに。
 悪くない――むしろ、楽しそうだ。
 でも、なぜだろう。胸の奥がすっきりしない。
 ……ふと、視線を感じて顔を上げる。反対側のプールサイドに、朋希くんがいた。
 いつもの教室ではすぐ隣にいるのに、今はずいぶん遠くに見える。距離のせいなのか、それとも雰囲気のせいなのか。とにかく、目が合った瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
 彼はちょっと不器用そうに、でもちゃんとこちらを見ていた。
 その表情を見ていたら、なんとなく笑いたくなって――自然とはにかんでみせる。ほんの数秒。それだけのことなのに、なんだか特別な瞬間みたいに感じられた。
 ――あたしのこと、どう見てるのかな。
 胸の奥で、言葉にならないざわめきが広がっていく。くすぐったいような、不思議な気持ち。
 水面を渡る風が髪を揺らす。
 ――ま、いっか。プール開きだし、楽しんだ者勝ちだよね。
 そう思って、あたしは軽く背伸びをした。