彼とあたしのツインテール

 春の風が、校庭の桜をまだ固いつぼみごと揺らしていた。
 三月の卒業式。体育館に並んだ椅子の上で、着慣れた制服に身を包んだあたしは、壇上の校長先生の言葉を聞いているふりをしながら、時々こっそり男子の列を眺めていた。
 視線が向かうのは、もちろん朋希くん。
 真面目な顔で前を向いていて、きっとちゃんと聞いてるんだろうな。そういうところ、彼らしい。
 式が終わって教室に戻ると、クラスのみんながわいわいと最後の時間を楽しんでいる。慧もいつもの調子で「俺のこと忘れんなよ!」なんて大声をあげて、女子たちを笑わせている。
 あたしも一緒に笑っていたけれど、胸のどこかが火種のように落ち着かずざわついていた。
 ――今日で最後。
 今日が終われば、この日常にも幕が下りる。
 もちろん、卒業しても会えないわけじゃない。電話だってできるし、街でばったり会うこともあるだろう。だけど、毎朝同じ時間に学校に来て、同じ教室で顔を合わせる――そんな当たり前が、今日で終わってしまうんだ。
 寄せ書きを書き終えた頃、朋希くんと目が合った。彼が、ほんの少しだけあたしに目配せする。
 心臓がどくんと跳ねた。
 あたしは軽く頷いて、友達に「ちょっと行ってくるね」と言って教室を抜け出した。

 向かったのは校舎裏。人影の少ない静かな場所。春風が少し冷たくて、セーラー服のスカーフがふわりと揺れた。
「陽奈ちゃん」
 そこに立っていた朋希くんの声は、少し震えていた。けれどその目は真剣で、背筋を伸ばした姿が眩しかった。
「今日で最後だね」
 あたしが口を開くと、静かでいて、それでもしっかりと意志を感じる声が返ってきた。
「……うん。だから、ちゃんと伝えておきたいんだ」
 息を呑む間もなく、彼の言葉が続いた。
 丁寧で、まっすぐで、まるで演劇の時の王子様みたいに。いや、それ以上に――本物の朋希くんとしての告白だった。
 胸が熱くなった。
 あたしだって、もちろん同じ気持ち。彼と出会ってから過ごしてきたこの一年間は、間違いなくあたしの人生の中で一番輝いてる時間。
 でも――だからこそ、怖かった。
「……あたしだってもちろん大好きだよ」
 まずそう言って、笑おうとしたけど、声がかすれていた。彼の目を見ながら、あたしは続ける。
「たくさん思い出作れて、こんなにも輝いてる時間を過ごせて、本当に幸せだった。だけど……前に少し話したよね? 別々の高校行ったらどうなるのかな、って」
 彼の目が一瞬揺れたのがわかった。だけど黙って聞いてくれている。
「あたし、あれから考えたんだ。でも、わからなかった。あたしたちが付き合ったとして、この先どうなるか。違う環境の中で過ごしていれば、そのうち気持ちにすれ違いが生まれて、この輝きが失われるかもしれない……そんな未来を想像するのが、怖いんだ」
 喉の奥がきゅっと締まって、言葉が震える。でも、ここで逃げちゃいけない。ちゃんと伝えなくちゃ。
「だから、駆け抜けてきたあたしの初恋、ここで一区切りつけたいんだ。別れるとかじゃなくて、かと言って束縛するつもりもなくて……。高校で新しい友達ができて、新しい趣味に打ち込んで、もしかしたら――ううん、なんでもない」
“――恋愛だってしちゃうのかも”という言葉を必死で飲み込んだ。大好きな人の前でこんなこと言おうとするなんて、ひどいよ、あたし。
「でも、それもまた人生経験だと思うんだ。お互い、高校でもいろんな経験しよう。いまと同じように、高校生でしかできないことがきっとあるから」
 呼吸を整えて、噛みしめるように伝える。
「そして……あたしたちがもっともっと大人になった時――またどこかで会えたらいいね」
 言い終わった瞬間、涙がこぼれそうになった。けれど、必死で笑顔を作った。あたしは泣き顔じゃなくて、ちゃんと笑った顔で、彼の記憶に残りたいから。
 朋希くんは、しばらく黙っていた。けれど、やがて静かに頷いた。
 その表情に、苦しさと同時に強さがあった。彼なりに受け入れてくれたんだ。

 少しの沈黙のあと、あたしは小さな声で言った。
「……でもね、わがまま言ってもいい?」
「うん」
「最後に――思い出が欲しいな」
 ゆっくりと目を閉じる。本当にわがままで勝手だな、と思いつつ。
 彼の手がそっとあたしの肩に触れた。心臓がまた跳ねる。
 次の瞬間、抱き寄せられて、唇が重なった。
 演劇の時の姫と王子じゃない。あたしと、朋希くん。本当の、初めてのキス。
 時間がひっそりと息をひそめたみたいに、長く、静かなキスだった。
 だけど、現実は決して止まらない。春風は校舎裏を通り抜けて、遠くからは教室の笑い声が聞こえてくる。世界は動いている。だから、あたしたちも進まなきゃいけないんだ。
 ――さよならじゃない。でも、恋人でもない。
 抱きしめられたぬくもりを胸に刻んで、あたしは彼と別れた。

 家に帰ってベッドに寝転んだ時、ようやく涙があふれた。これでよかったのかな。未来のあたしは笑っていられるのかな。
 誰かさんの不器用さが、いつの間にかうつってしまったのかもしれない――そんなふうに苦笑した。
 高校に行ったら、あたしにも彼氏ができるのかもしれない。友達はきっと「青春だね」って笑うんだと思う。
 でも――胸の奥がちくりと痛む。
 初めての恋が、いつまでもこのまま続けばいいのに。そんなの、無理だってわかってるけど。
 ぼんやりと天井を見つめながら、未来を想像する。
 大人になった自分。再会した二人。結婚して、子供と三人で手を繋いで。……それとも、まだ出会っていない全く違う人と結ばれているのかもしれない。
 いったんほどけた二人の糸が、再び交わる日は来るのかな――。
 その答えがどこにあるのか、あたしにはまだわからなかった。