その朝、鏡の前で思わずため息をついた。
「えぇ~、なくしたのかなぁ……」
両耳の横で結ぶ、二つお揃いのピンクのヘアゴム。なぜか片方だけ見つからない。
鏡台の引き出し、机の上、通学カバンの中。どこを探してもない。昨日の夜はちゃんと机の端に置いていたはずなのに。
ツインテール用のお気に入りだったんだけどな。仕方なく他のゴムを探したけど、派手すぎたり地味すぎたりでピンとこない。
「……仕方ないか」
気分転換も兼ねて、今日は思い切って髪型を変えてみることにした。
髪を下ろしてセミロングにまとめて、残った片方のヘアゴムで、右頬の近くにワンポイントで細い三つ編みを添えてみる。
鏡の中の自分は、いつもより少しだけ大人びて見える……そんな気がした。
「まあ、あたしならなんでも似合っちゃうんだけどね」
そう心の中で強がって、家を出た。
教室に着くと、あたしの髪型を見てみんな大騒ぎ。注目されることには慣れていたけど、こんなにだなんて。
「お、なんか懐かしいな」
慧に声をかけられて、思わず「えっ?」と聞き返す。
「昔、そんな感じの髪してただろ。中一の頃だっけ」
「あ……言われてみればそうかも」
照れ笑いを浮かべながら答える。
確かに中学に入ってしばらくは、この髪型をしていることが多かったかもしれない。でも陸上部で毎日走るようになると、髪をまとめたくなってツインテールを始めたんだった。
慧は口の端を上げて、「やっぱ似合うよな。ツインテールもいいけど、それもアリだわ」と軽く言ってくれた。
こういうところ、本当にずるいんだよなあ。さりげなく褒めるのが上手で、自然体だから嫌味に聞こえない。
そんな会話をしていると、隣で朋希くんが何か考え込むような顔をしているのに気づいた。
目を細めて、あたしの横顔をじっと見ている。
「ど、どうしたの?」
「あ、いや……なんか……僕も見覚えがある気がする」
見覚え? あたしの昔の髪型に?
「確か、小学生のときの美化委員会で……みんなで落ち葉を集めて、先生が焼き芋を作ってくれた日。今の陽奈ちゃんと同じ髪型で、すごく元気で……優しい子がいたんだ」
まさかの展開に心臓が跳ねた。
美化委員会。焼き芋。朋希くんの言葉で、あたしの頭の中にもぱっと映像が浮かんでくる。
――あたしだ。その子、絶対にあたしだよ。
あれは今日と同じくらいの秋の日だった。
美化委員会で校庭の掃除をして、みんなで落ち葉を集めていた。
大きな袋に入れてもすぐいっぱいになっちゃうから、何度も往復して落ち葉をかき集めていたっけ。
集めるのはちょっと大変だったけど、運動神経には自信があるあたしは人一倍張り切って走り回っていた。
すると、先生が「せっかくだから焼き芋でも作ろうか」なんて言い出した。掃除して終わりだと思ってたから、みんな大喜びだった。
ほくほくの甘い芋を頬張りながら、友達と「おいしいね」って笑い合ったのを覚えている。
そのとき、ふと視線を横にやると、遠慮がちに焼き芋を持っている男の子がいた。
同じ委員会の子だけど、クラスも違うし名前も知らない。
目の前の焼き芋を食べようとせず、落ち葉の山をぼんやり見ていた彼が、なぜかあたしに声をかけてきた。
「……半分、食べる?」
焼き芋を差し出しながら、恥ずかしそうに。
あたしは一瞬「えっ?」って思った。なんであたしに? そんなに食い意地張ってるように見えた?
でも、真剣な顔をしていたから、断るのも悪いかなって思って。
だから「ありがとう」って笑って受け取ったんだよね。
あのときの焼き芋の甘さ、今も少し覚えてる。
――そっか。あれって、朋希くんだったんだ。あのおとなしい男の子の雰囲気が、今の彼にぴったり重なる。
一方のあたしは、小麦色に日焼けして、おてんば全開で。どちらかといえば「可愛い」というより「元気いっぱい」なタイプだった。今の清楚で可憐なあたしとは似ても似つかない……なんてね。
「……あたしも思い出した。あの頃から一緒だったんだね!」
目を輝かせながら、彼の顔をまっすぐに見つめた。心の奥に隠れていた記憶が繋がった瞬間、運命めいたものを感じずにはいられなかった。
当時は恋愛になんて興味がなかったし、女子扱いされるのさえ恥ずかしくて苦手だった。だからあの日の男の子とはそれっきりだったけれど。
「なんか、不思議だね」
何年も経ってから、隣の席でまた出会って。そして今――。
「髪型ひとつでこんなこと思い出すなんて」
髪を揺らしながら微笑み、あたしは小さく呟いた。
朋希くんは少し照れくさそうに頷く。
「……でも、思い出せてよかった。あのまま忘れていたら、きっともったいなかったから」
胸がじんわりと温かくなる。あたしの中で、彼と過ごしてきた時間が一本の線で繋がった気がした。
その日、なくしたヘアゴムのことなんてすっかり忘れていた。
放課後、校門を出るときに思わず空を見上げた。
秋の空は高く澄み渡り、風に揺れる三つ編みがそっと頬をかすめた。
あの日の髪型でいる自分は、昔のあたしと今のあたしを繋ぐ架け橋。
「……ねえ、朋希くん」
「ん?」
「明日からはまたツインテールに戻すけど――今日のことは、覚えててほしいな」
いたずらっぽくウィンクしてみせると、彼は頬を赤らめながら小さく頷いた。
やっぱり、あたしはこの人にときめいてるんだ。
そしてきっと、あたしたちは――ずっと前から繋がっていたんだ。
「えぇ~、なくしたのかなぁ……」
両耳の横で結ぶ、二つお揃いのピンクのヘアゴム。なぜか片方だけ見つからない。
鏡台の引き出し、机の上、通学カバンの中。どこを探してもない。昨日の夜はちゃんと机の端に置いていたはずなのに。
ツインテール用のお気に入りだったんだけどな。仕方なく他のゴムを探したけど、派手すぎたり地味すぎたりでピンとこない。
「……仕方ないか」
気分転換も兼ねて、今日は思い切って髪型を変えてみることにした。
髪を下ろしてセミロングにまとめて、残った片方のヘアゴムで、右頬の近くにワンポイントで細い三つ編みを添えてみる。
鏡の中の自分は、いつもより少しだけ大人びて見える……そんな気がした。
「まあ、あたしならなんでも似合っちゃうんだけどね」
そう心の中で強がって、家を出た。
教室に着くと、あたしの髪型を見てみんな大騒ぎ。注目されることには慣れていたけど、こんなにだなんて。
「お、なんか懐かしいな」
慧に声をかけられて、思わず「えっ?」と聞き返す。
「昔、そんな感じの髪してただろ。中一の頃だっけ」
「あ……言われてみればそうかも」
照れ笑いを浮かべながら答える。
確かに中学に入ってしばらくは、この髪型をしていることが多かったかもしれない。でも陸上部で毎日走るようになると、髪をまとめたくなってツインテールを始めたんだった。
慧は口の端を上げて、「やっぱ似合うよな。ツインテールもいいけど、それもアリだわ」と軽く言ってくれた。
こういうところ、本当にずるいんだよなあ。さりげなく褒めるのが上手で、自然体だから嫌味に聞こえない。
そんな会話をしていると、隣で朋希くんが何か考え込むような顔をしているのに気づいた。
目を細めて、あたしの横顔をじっと見ている。
「ど、どうしたの?」
「あ、いや……なんか……僕も見覚えがある気がする」
見覚え? あたしの昔の髪型に?
「確か、小学生のときの美化委員会で……みんなで落ち葉を集めて、先生が焼き芋を作ってくれた日。今の陽奈ちゃんと同じ髪型で、すごく元気で……優しい子がいたんだ」
まさかの展開に心臓が跳ねた。
美化委員会。焼き芋。朋希くんの言葉で、あたしの頭の中にもぱっと映像が浮かんでくる。
――あたしだ。その子、絶対にあたしだよ。
あれは今日と同じくらいの秋の日だった。
美化委員会で校庭の掃除をして、みんなで落ち葉を集めていた。
大きな袋に入れてもすぐいっぱいになっちゃうから、何度も往復して落ち葉をかき集めていたっけ。
集めるのはちょっと大変だったけど、運動神経には自信があるあたしは人一倍張り切って走り回っていた。
すると、先生が「せっかくだから焼き芋でも作ろうか」なんて言い出した。掃除して終わりだと思ってたから、みんな大喜びだった。
ほくほくの甘い芋を頬張りながら、友達と「おいしいね」って笑い合ったのを覚えている。
そのとき、ふと視線を横にやると、遠慮がちに焼き芋を持っている男の子がいた。
同じ委員会の子だけど、クラスも違うし名前も知らない。
目の前の焼き芋を食べようとせず、落ち葉の山をぼんやり見ていた彼が、なぜかあたしに声をかけてきた。
「……半分、食べる?」
焼き芋を差し出しながら、恥ずかしそうに。
あたしは一瞬「えっ?」って思った。なんであたしに? そんなに食い意地張ってるように見えた?
でも、真剣な顔をしていたから、断るのも悪いかなって思って。
だから「ありがとう」って笑って受け取ったんだよね。
あのときの焼き芋の甘さ、今も少し覚えてる。
――そっか。あれって、朋希くんだったんだ。あのおとなしい男の子の雰囲気が、今の彼にぴったり重なる。
一方のあたしは、小麦色に日焼けして、おてんば全開で。どちらかといえば「可愛い」というより「元気いっぱい」なタイプだった。今の清楚で可憐なあたしとは似ても似つかない……なんてね。
「……あたしも思い出した。あの頃から一緒だったんだね!」
目を輝かせながら、彼の顔をまっすぐに見つめた。心の奥に隠れていた記憶が繋がった瞬間、運命めいたものを感じずにはいられなかった。
当時は恋愛になんて興味がなかったし、女子扱いされるのさえ恥ずかしくて苦手だった。だからあの日の男の子とはそれっきりだったけれど。
「なんか、不思議だね」
何年も経ってから、隣の席でまた出会って。そして今――。
「髪型ひとつでこんなこと思い出すなんて」
髪を揺らしながら微笑み、あたしは小さく呟いた。
朋希くんは少し照れくさそうに頷く。
「……でも、思い出せてよかった。あのまま忘れていたら、きっともったいなかったから」
胸がじんわりと温かくなる。あたしの中で、彼と過ごしてきた時間が一本の線で繋がった気がした。
その日、なくしたヘアゴムのことなんてすっかり忘れていた。
放課後、校門を出るときに思わず空を見上げた。
秋の空は高く澄み渡り、風に揺れる三つ編みがそっと頬をかすめた。
あの日の髪型でいる自分は、昔のあたしと今のあたしを繋ぐ架け橋。
「……ねえ、朋希くん」
「ん?」
「明日からはまたツインテールに戻すけど――今日のことは、覚えててほしいな」
いたずらっぽくウィンクしてみせると、彼は頬を赤らめながら小さく頷いた。
やっぱり、あたしはこの人にときめいてるんだ。
そしてきっと、あたしたちは――ずっと前から繋がっていたんだ。

