中間テストが近づいてきた休日の朝。
陸上部も今日は練習が休みで、本来なら午前中くらいは寝坊していたいところなのに、あたしはいつになく早起きをしていた。だって今日は――朋希くんの家に、勉強会に行く日なんだから。
そう、ただの「勉強会」。わかってる。
でも、心臓はずっとドキドキしている。だって文化祭の舞台で……あたし、しちゃったんだ。キス。
観客席にも、クラスメイトにもばれてないはずだから、朋希くんとだけの秘密。あの日からずっと、唇の感触を忘れられない。思い出すだけで、顔が熱くなっちゃう。
(初めてのキス……あたし、朋希くんと……)
歩道の真ん中でぼんやり立ち止まり、両手で頬を覆った。通りすがりのおじさんに不思議そうに見られて、慌てて歩き出す。あぶないあぶない。
テスト勉強に行くんだってば、あたし。なのに頭の中は全部「朋希くんとのこと」でいっぱいだ。
しかも今日は、ちょっとだけおしゃれもしてみたんだ。普段着で行くなんて、なんだかもったいないって思っちゃって。
白いブラウスに、紺色のプリーツスカート。いつものツインテールも、細めのリボンで軽やかに。鏡の前で「これならデートっぽいかも」なんて思った自分が、ほんと図々しい。
(だめだってば、勉強会なのに……でも、少しぐらい期待してもいいよね?)
胸の奥でそんな勝手な言い訳をしているうちに、朋希くんの家が見えてきた。玄関先に立っただけで、また心臓が跳ね上がる。
深呼吸してから、インターホンを押した。
「い、いらっしゃい……」
出てきた朋希くんは、いつも通りちょっと頼りなげな笑顔だったけど、その視線が一瞬であたしの全身をなぞったのを、見逃さなかった。
そして小さな声で「……今日、すごく可愛いね」って。
「なっ……!」
顔が一気に熱くなる。言われ慣れてるはずなのに、彼に言われるとどうしてこんなに心臓が痛いくらいに跳ねるんだろう。
照れ隠しに「べ、別に普通だし!」なんて言っちゃったけど、内心はもうガッツポーズだった。
ぼーっとしているようで、ちゃんと気づいてくれてるんだ。――そういうところに、胸の奥がきゅんとさせられる。
朋希くんの部屋は、想像よりずっと整っていて居心地がよかった。机の上にきちんと並べられた教科書やノート。壁際の本棚。
そして――夏祭りで撮った、あたしの写真。ツインテールを揺らしながら笑ってる自分が、フォトフレームに収まっていた。
「……ふふっ」
思わず頬が緩む。気づかれないように横目で覗いただけなのに、幸せで胸がいっぱいになった。
勉強会どころじゃなくなる危険を感じながらも、あたしはにやけ顔を何とか抑えつけて机に向かった。
でも、始まってみれば勉強は意外と真面目に進んだ。
苦手な数学を、朋希くんが根気強く教えてくれる。ノートに図を描きながら説明する横顔が、びっくりするくらい輝いて見えた。
(朋希くんって……かっこいいな)
それはきっと、あたしだけが知ってる格好良さだと思う。
いつも物静かで、慧みたいな派手さはない。だけど、こういう「わかるまで付き合ってくれる真面目さ」って、あたしにとってはすごく頼もしい。
頬杖をついて彼を見上げていたら、彼のほうが気づいて顔を赤らめた。せっかく丁寧に教えてくれてるのに、悪いことしちゃったかな。
少し休憩を挟もうと立ち上がったときだった。長く座っていたせいか足が痺れて、ぐらりと体勢を崩した。
「わっ……!」
倒れそうになった瞬間、朋希くんが反射的に腕を伸ばしてきて――そのまま二人、ベッドに倒れ込んだ。
彼の身体があたしの上に覆いかぶさる。顔の距離が近すぎて、思わず息を止めた。
でも、不思議と怖さはない。それどころか――いつかの夢で見た光景がよみがえる。教室で誰かに抱きしめられて、名前を呼ばれて……。
気づいたらあたしは、自然に目を閉じていた。
「……陽奈ちゃん」
あの夢と同じだ。耳もとで名前を囁かれて、背中にまわされた腕の力が強くなる。心臓が暴れるみたいに早鐘を打った。
そしてもう片方の手が――あたしの胸元に触れてきた。控えめな膨らみを、確かめるように。
「んっ……」
声を抑えられず、甘い吐息が漏れる。拒絶の気持ちはまったく湧いてこない。むしろ、嬉しいって思ってしまった自分に驚く。
このままキスをしてくれたら、どうなっちゃうんだろう。朋希くんとだったら、あたしは――。
でも彼は、ぎりぎりのところで顔を離した。荒い息を整えながら、ゆっくりと身体を起こす。
「ご、ごめん……!」
慌てて謝る彼を見て、あたしは「真面目だなあ」って心の中で呟いた。だけど、ものすごく必死に耐えてくれたんだろうな。
胸の奥がじんわりと温まる。大切にされてるんだ、あたし。
その後の勉強は、正直まったく頭に入らなかった。
気まずさに何度も目が合っては逸らし合って、結局は早めに切り上げることになった。
夕暮れの道を、二人で並んで歩く。
沈黙が続いたあと、あたしは意を決して小さな声で言った。
「さっき……ありがとね」
彼はぎこちなく笑って、「ごめん」と返す。なんで謝るの、って思ったけど、口には出せなかった。
代わりに、わざと意地悪を言った。
「でも、なんか抱きつかれたみたいだったよ? ちゃんと抱き止められるように、早くあたしより大きくなってね」
朋希くんはむっとした顔をして、少し考えたあとに――。
「陽奈ちゃんも……大きくなるといいね」
そう言って自分の胸を軽く押さえる仕草をした。
「なっ……! どういう意味それっ!?」
怒鳴りながらも、頬は真っ赤になっていた。彼の言葉が悔しいのに、なぜか笑いそうになる。
いつの間にか、軽口を言い合える関係になってるんだ。
そう気づくと、未来が急に眩しく見えてきて――。
(やっぱり、あたし……朋希くんと、もっと近づきたい)
その気持ちは、もうごまかせなかった。
陸上部も今日は練習が休みで、本来なら午前中くらいは寝坊していたいところなのに、あたしはいつになく早起きをしていた。だって今日は――朋希くんの家に、勉強会に行く日なんだから。
そう、ただの「勉強会」。わかってる。
でも、心臓はずっとドキドキしている。だって文化祭の舞台で……あたし、しちゃったんだ。キス。
観客席にも、クラスメイトにもばれてないはずだから、朋希くんとだけの秘密。あの日からずっと、唇の感触を忘れられない。思い出すだけで、顔が熱くなっちゃう。
(初めてのキス……あたし、朋希くんと……)
歩道の真ん中でぼんやり立ち止まり、両手で頬を覆った。通りすがりのおじさんに不思議そうに見られて、慌てて歩き出す。あぶないあぶない。
テスト勉強に行くんだってば、あたし。なのに頭の中は全部「朋希くんとのこと」でいっぱいだ。
しかも今日は、ちょっとだけおしゃれもしてみたんだ。普段着で行くなんて、なんだかもったいないって思っちゃって。
白いブラウスに、紺色のプリーツスカート。いつものツインテールも、細めのリボンで軽やかに。鏡の前で「これならデートっぽいかも」なんて思った自分が、ほんと図々しい。
(だめだってば、勉強会なのに……でも、少しぐらい期待してもいいよね?)
胸の奥でそんな勝手な言い訳をしているうちに、朋希くんの家が見えてきた。玄関先に立っただけで、また心臓が跳ね上がる。
深呼吸してから、インターホンを押した。
「い、いらっしゃい……」
出てきた朋希くんは、いつも通りちょっと頼りなげな笑顔だったけど、その視線が一瞬であたしの全身をなぞったのを、見逃さなかった。
そして小さな声で「……今日、すごく可愛いね」って。
「なっ……!」
顔が一気に熱くなる。言われ慣れてるはずなのに、彼に言われるとどうしてこんなに心臓が痛いくらいに跳ねるんだろう。
照れ隠しに「べ、別に普通だし!」なんて言っちゃったけど、内心はもうガッツポーズだった。
ぼーっとしているようで、ちゃんと気づいてくれてるんだ。――そういうところに、胸の奥がきゅんとさせられる。
朋希くんの部屋は、想像よりずっと整っていて居心地がよかった。机の上にきちんと並べられた教科書やノート。壁際の本棚。
そして――夏祭りで撮った、あたしの写真。ツインテールを揺らしながら笑ってる自分が、フォトフレームに収まっていた。
「……ふふっ」
思わず頬が緩む。気づかれないように横目で覗いただけなのに、幸せで胸がいっぱいになった。
勉強会どころじゃなくなる危険を感じながらも、あたしはにやけ顔を何とか抑えつけて机に向かった。
でも、始まってみれば勉強は意外と真面目に進んだ。
苦手な数学を、朋希くんが根気強く教えてくれる。ノートに図を描きながら説明する横顔が、びっくりするくらい輝いて見えた。
(朋希くんって……かっこいいな)
それはきっと、あたしだけが知ってる格好良さだと思う。
いつも物静かで、慧みたいな派手さはない。だけど、こういう「わかるまで付き合ってくれる真面目さ」って、あたしにとってはすごく頼もしい。
頬杖をついて彼を見上げていたら、彼のほうが気づいて顔を赤らめた。せっかく丁寧に教えてくれてるのに、悪いことしちゃったかな。
少し休憩を挟もうと立ち上がったときだった。長く座っていたせいか足が痺れて、ぐらりと体勢を崩した。
「わっ……!」
倒れそうになった瞬間、朋希くんが反射的に腕を伸ばしてきて――そのまま二人、ベッドに倒れ込んだ。
彼の身体があたしの上に覆いかぶさる。顔の距離が近すぎて、思わず息を止めた。
でも、不思議と怖さはない。それどころか――いつかの夢で見た光景がよみがえる。教室で誰かに抱きしめられて、名前を呼ばれて……。
気づいたらあたしは、自然に目を閉じていた。
「……陽奈ちゃん」
あの夢と同じだ。耳もとで名前を囁かれて、背中にまわされた腕の力が強くなる。心臓が暴れるみたいに早鐘を打った。
そしてもう片方の手が――あたしの胸元に触れてきた。控えめな膨らみを、確かめるように。
「んっ……」
声を抑えられず、甘い吐息が漏れる。拒絶の気持ちはまったく湧いてこない。むしろ、嬉しいって思ってしまった自分に驚く。
このままキスをしてくれたら、どうなっちゃうんだろう。朋希くんとだったら、あたしは――。
でも彼は、ぎりぎりのところで顔を離した。荒い息を整えながら、ゆっくりと身体を起こす。
「ご、ごめん……!」
慌てて謝る彼を見て、あたしは「真面目だなあ」って心の中で呟いた。だけど、ものすごく必死に耐えてくれたんだろうな。
胸の奥がじんわりと温まる。大切にされてるんだ、あたし。
その後の勉強は、正直まったく頭に入らなかった。
気まずさに何度も目が合っては逸らし合って、結局は早めに切り上げることになった。
夕暮れの道を、二人で並んで歩く。
沈黙が続いたあと、あたしは意を決して小さな声で言った。
「さっき……ありがとね」
彼はぎこちなく笑って、「ごめん」と返す。なんで謝るの、って思ったけど、口には出せなかった。
代わりに、わざと意地悪を言った。
「でも、なんか抱きつかれたみたいだったよ? ちゃんと抱き止められるように、早くあたしより大きくなってね」
朋希くんはむっとした顔をして、少し考えたあとに――。
「陽奈ちゃんも……大きくなるといいね」
そう言って自分の胸を軽く押さえる仕草をした。
「なっ……! どういう意味それっ!?」
怒鳴りながらも、頬は真っ赤になっていた。彼の言葉が悔しいのに、なぜか笑いそうになる。
いつの間にか、軽口を言い合える関係になってるんだ。
そう気づくと、未来が急に眩しく見えてきて――。
(やっぱり、あたし……朋希くんと、もっと近づきたい)
その気持ちは、もうごまかせなかった。

