今日は、どうにも体が重かった。
夏休み明けを迎えたばかりの学校。普段なら朝から元気いっぱいで、陸上部の朝練だって誰より先に駆け出すあたしなのに、今日はなんだか足取りが鈍い。
ツインテールを結ぶ手も少しおっくうで、鏡に映る自分の顔が心なしか青白い気がして、思わず「ふぅ……」とため息が漏れた。
教室に入れば、いつもどおりクラスメイトの視線が一斉に集まる。
「おはよー、陽奈!」
「昨日の宿題やった?」
声をかけられると、にこっと笑って返す。アイドルみたいに扱われることには慣れてる。……いや、慣れてるふりをしてるだけかもしれない。でも、そうしているうちに自分でも「そういう存在なんだ」って思い込める。
ただ今日は――笑顔を作るのに、ほんの少し力が要った。
席に着けば隣には朋希くん。
彼はいつも通り、教科書を机に広げて背筋を少しだけ丸め、目立たないようにしてる。けれどちらっと視線を上げると、あたしを気にしてるような、でも声をかけようか迷ってるような、そんな眼差し。
……気づいてるんだろうか。今日のあたしが、元気ないって。
でも結局、彼は何も言わなかった。声をかけてくれるかなって、ちょっとだけ期待したけど。
放課後、部活を休んで家に帰る。ツインテールをほどいて部屋着に着替えるとき、ふと違和感に気づいた。
「……え?」
下着に、赤い染み。
一瞬、胸の奥がひやっとした。転んで怪我をした覚えもないのに。
でも、すぐにわかった。あたしがずっと心のどこかで気にしていたこと。クラスの子たちが当たり前のように話題にしていたこと。
――初潮。
「……来たんだ、あたしにも」
小さく声にすると、どこか現実感が増した。
安心、だった。
「まだ来ないの?」と友達に言われて笑ってごまかした日。部活のとき、なんとなく不安でロッカーに行くのが遅れたこと。みんなより遅れてるんじゃないかっていう焦り。そういうものから解放される気がした。
でも、同時に胸の奥にざわつくものがあった。
――大人になっていく。
嬉しいはずなのに、なんでだろう。少し怖い。知らない世界に踏み出すような気がするから。
洗面所でタオルを濡らして、丁寧に拭く。新品の下着に着替えてベッドに座り込むと、カーテンの隙間から夕焼けが差し込んでいた。
オレンジ色に照らされた自分の脚。陸上で鍛えられた、しなやかなふくらはぎ。そこから目を上げれば、まだ発育が遅れてる胸元。
――本当に、あたし、大人になれるのかな。
ふと、夏祭りの夜を思い出した。
線香花火を手にしゃがんだときの、一瞬の油断が招いたあたしの失態。
朋希くんが一瞬、ぎゅっと目を見開いた顔。
そして、あたしが「……見た?」と囁いたときの、彼の慌てた表情。思い出すだけで頬が熱くなる。
あれは、ただの偶然。……だけど、あの瞬間から二人だけの秘密が生まれた。
彼は今夜、そのことを思い出したりしてるんだろうか。まさかね。
思わず笑みがこぼれる。
「大丈夫、あたしなら平気」
不安がないなんて言ったら嘘になる。だけど今は今。朋希くんともクラスメイトとも、いろんな思い出を作っていこう。
翌朝。
少しだけすっきりした気分で登校した。昨日の気怠さはまだ残っていたけど、心の奥に「一歩進んだんだ」という気持ちが芽生えている。
教室に入ると、朋希くんがこちらを見て、少しぎこちなく笑った。
「おはよ、朋希くん」
なんだか様子がおかしいので、先に挨拶してみる。昨日あんまり話せなかったし。
「お、おはよう」
彼は目を泳がせて、なんだか変に肩に力が入っている。
――どうしたんだろう?
何か、隠してるみたいな。
でも、問い詰めるのはやめた。
あたしたちの間には、あの夏祭りの夜の秘密がある。
昨日のあたしと同じように、きっと彼も、彼なりに大人になろうとしてるんだろう。
ツインテールを揺らして席につくと、窓の外で夏の名残の入道雲が、ゆっくり形を変えていた。
夏休み明けを迎えたばかりの学校。普段なら朝から元気いっぱいで、陸上部の朝練だって誰より先に駆け出すあたしなのに、今日はなんだか足取りが鈍い。
ツインテールを結ぶ手も少しおっくうで、鏡に映る自分の顔が心なしか青白い気がして、思わず「ふぅ……」とため息が漏れた。
教室に入れば、いつもどおりクラスメイトの視線が一斉に集まる。
「おはよー、陽奈!」
「昨日の宿題やった?」
声をかけられると、にこっと笑って返す。アイドルみたいに扱われることには慣れてる。……いや、慣れてるふりをしてるだけかもしれない。でも、そうしているうちに自分でも「そういう存在なんだ」って思い込める。
ただ今日は――笑顔を作るのに、ほんの少し力が要った。
席に着けば隣には朋希くん。
彼はいつも通り、教科書を机に広げて背筋を少しだけ丸め、目立たないようにしてる。けれどちらっと視線を上げると、あたしを気にしてるような、でも声をかけようか迷ってるような、そんな眼差し。
……気づいてるんだろうか。今日のあたしが、元気ないって。
でも結局、彼は何も言わなかった。声をかけてくれるかなって、ちょっとだけ期待したけど。
放課後、部活を休んで家に帰る。ツインテールをほどいて部屋着に着替えるとき、ふと違和感に気づいた。
「……え?」
下着に、赤い染み。
一瞬、胸の奥がひやっとした。転んで怪我をした覚えもないのに。
でも、すぐにわかった。あたしがずっと心のどこかで気にしていたこと。クラスの子たちが当たり前のように話題にしていたこと。
――初潮。
「……来たんだ、あたしにも」
小さく声にすると、どこか現実感が増した。
安心、だった。
「まだ来ないの?」と友達に言われて笑ってごまかした日。部活のとき、なんとなく不安でロッカーに行くのが遅れたこと。みんなより遅れてるんじゃないかっていう焦り。そういうものから解放される気がした。
でも、同時に胸の奥にざわつくものがあった。
――大人になっていく。
嬉しいはずなのに、なんでだろう。少し怖い。知らない世界に踏み出すような気がするから。
洗面所でタオルを濡らして、丁寧に拭く。新品の下着に着替えてベッドに座り込むと、カーテンの隙間から夕焼けが差し込んでいた。
オレンジ色に照らされた自分の脚。陸上で鍛えられた、しなやかなふくらはぎ。そこから目を上げれば、まだ発育が遅れてる胸元。
――本当に、あたし、大人になれるのかな。
ふと、夏祭りの夜を思い出した。
線香花火を手にしゃがんだときの、一瞬の油断が招いたあたしの失態。
朋希くんが一瞬、ぎゅっと目を見開いた顔。
そして、あたしが「……見た?」と囁いたときの、彼の慌てた表情。思い出すだけで頬が熱くなる。
あれは、ただの偶然。……だけど、あの瞬間から二人だけの秘密が生まれた。
彼は今夜、そのことを思い出したりしてるんだろうか。まさかね。
思わず笑みがこぼれる。
「大丈夫、あたしなら平気」
不安がないなんて言ったら嘘になる。だけど今は今。朋希くんともクラスメイトとも、いろんな思い出を作っていこう。
翌朝。
少しだけすっきりした気分で登校した。昨日の気怠さはまだ残っていたけど、心の奥に「一歩進んだんだ」という気持ちが芽生えている。
教室に入ると、朋希くんがこちらを見て、少しぎこちなく笑った。
「おはよ、朋希くん」
なんだか様子がおかしいので、先に挨拶してみる。昨日あんまり話せなかったし。
「お、おはよう」
彼は目を泳がせて、なんだか変に肩に力が入っている。
――どうしたんだろう?
何か、隠してるみたいな。
でも、問い詰めるのはやめた。
あたしたちの間には、あの夏祭りの夜の秘密がある。
昨日のあたしと同じように、きっと彼も、彼なりに大人になろうとしてるんだろう。
ツインテールを揺らして席につくと、窓の外で夏の名残の入道雲が、ゆっくり形を変えていた。

