「……あった。この辺だな」
 妖魔に関する書物はほんの数冊しか見つからなかった。棚の中からそれらを選び、自習用の机に置く。見ると、二冊が古書だった。難しすぎて読めないので、伝記のようなものから読んでみる。

「なになに? 妖魔は人間を嫌い、人間に危害を与える危険な生き物である……? そうかなぁ? オルド、煩いだけで別に危険っぽくはないけどなぁ?」
 小さな声でひとりごちる。
 確かに我儘だし、無茶苦茶だし、あまり頭よさそうではないけれど、人に危害を加えるようなことはしないように思う。現に、今だってミシェルの言うことを聞いてレグラント校の生徒に化け、授業を大人しく受け、クラスメイトと普通に話をしているのだ。

 しかしそこから先、なにを読んでも妖魔に関していい話は記載されておらず、如何にずる賢く、悪質で、危ないか。オルドからしたら悪口のオンパレードにしか感じないだろう内容が並んでいるのだった。
「禁断の書に関しての本ってないのかな?」
 封印されていたということは、封印した誰かがいるわけで、その人物さえわかればオルドを再び封印する方法もわかるはずなのだが。

「……おい」
 ぶっきらぼうな物言い。振り向くと、怒ったように口を尖らせる銀色の美少年が立っている。
「なによ」
 思わずこっちもつんけんした態度になる。
「ひとりでなにやってんだよ」
 もう、チャイムは鳴っている。戻らないミシェルを心配して探しに来たのだ。

「……調べてるの。あんたとのこと」
 元に戻す方法、とは言えず、そんな言い方になる。
「俺との(えにし)……そんなに切りたいのかよ」
 無意識に薬指を触りながら、オルドが言った。
「そりゃ……私たちを繋いでる縁って、結局のところ手違いっていうか間違いっていうか、たまたまっていうか偶然っていうか……無理矢理じゃない?」
「無理矢理……」
「望んでこうなったわけではないじゃない? 少なくとも」

 そう。あの時あの場所で、ミシェルはただ焦っていただけだ。あの部屋から出たくて、でも出られなくて、そうしたらなんだか大切そうに保管されている本を見つけて、触っちゃダメですよ、って雰囲気をバンバン醸し出していたからこそ気になってしまった。封印を解いてしまったのは偶然というかたまたまというか、意図せず、なのは間違いない。

「オルドは? 私とのおかしな縁なんか切って自由になりたいって思わない?」
「自由?」

 口の中で繰り返す。
 だがわからなかった。
 閉じ込められている間、考えていたのは禁断の書から解き放たれることだった。しかしそれはオルドにとって、自由を求めてのことではなく、どちらかというと、自分の伴侶になる誰かに出会える期待の方が大きかったのだ。ずっと独りだった自分に、伴侶が出来る! そのことが単純に嬉しかったし、楽しみだった。

「そんなに俺が嫌なの?」
 そう呟くオルドの声が、何だか泣き出しそうなほど小さく震えているのに気付き、ミシェルは困ってしまう。
「……それは、さ、オルド」
「わかってるよっ。ミシェルには好きなやつがいるってんだろ? それは聞いたっ」
「……うん」
「けどさっ、そいつはミシェルのこと好きじゃないんだろ? なんで自分のこと好きじゃないやつのことなんか好きなんだよっ。俺のこと好きになればいいじゃん!」

 無茶な話だ。でも、言わんとしていることはわかる。レイドリックは、多分ラスティに恋をしている。ミシェルの思いは、届かない。

 でも……

「今、オルドが私を好きだって思ってるんだとして、だけどそれって本に掛けられてた呪いのせいだよね? 私のこと、本当に好きなわけじゃないよね?」
 オルドを責めたかったわけではない。が、言われたオルドは目を丸くして息を呑んだ。
「それは……」
「ううん、オルドが悪いって言ってるわけじゃないよ? ただ、呪いのせいで私を好きなんだったらさ、そんなんで勝手に決められちゃうって、嫌じゃない? オルドにだってちゃんと恋をしてさ、好きになった人と結ばれてほしいな、って私は思うし、私だってただ本の呪いみたいなので好きって言われても困るもんっ」

 そう。恋とは、生きる上でこの上なく大切なものである、と普段から思っているミシェルである。呪いのせいで結ばれた縁など、本当の恋ではない!

 それを聞いたオルドが、しばし考えこむ。そしてポンと手を打った。
「じゃ、こういうことだな。一旦この縁を切って、それでも俺がミシェルを好きだったら問題ないわけだ」
「ふぇ?」
 禁断の書に掛けられた呪いの力ではなく、素の自分で恋の証明をすればいい。オルドはフンッと鼻を鳴らしミシェルに向き直る。
「証明してみせるぜ。俺がミシェルを好きなのはチンケな呪いのせいじゃないってことを!」
 俄然、やる気がわいてきたオルドである。

「ちょ、証明ってどうやって?」
「だぁかぁら、お前の言うように、この縁を切るんだ。そしてその時、俺は改めてお前に求婚する。それなら文句はねぇよな?」
 キラッキラの笑顔でそう言われ、焦る。
「いや、それは……文句っていうかさ、そこまで私に執着する意味が分かんない、」
「はぁぁ? 執着ってなんだよっ。俺は、ミシェルが好きなのっ」
 駄々っ子のようにそう口にするオルドを見て、なんだか恥ずかしくなってくるミシェル。あとにも先にも、異性からここまで好きだと迫られたことはない。
「おっきな声出さないでよっ」
 恥ずかしさから、怒った口調でそう言うと、廊下から足音が聞こえた。壁の向こうで立ち止まり、
「誰かいるのか?」
 と呟く声が聞こえる。

 革靴……ということは、先生だ。そして今は授業中なのだ。図書室で本を読んでいていい時間ではない。

「やばっ、オルド、こっち!」
 小声でそう言うとオルドの手を掴み、本棚の奥へ。靴音は廊下から図書室の中へ入ってくる。ミシェルは本棚と本棚の隙間にオルドを押し込み、自分もその隙間に身を滑らせる。狭い隙間にピッタリと密着している状態だ。
「おい、ミ」
「しっ」
 ミシェルが手を伸ばし、オルドの口を塞いだ。

「誰かいますか?」
 入り口から声が聞こえる。図書室の司書、リチャードの声だ。図書委員をしているのでよく知る人物ではある。
 何とか気付かれずやり過ごしたい。

『やべぇ、近いっ。ミシェルの手が俺の口をっ、うわぁぁぁ、なんかぽわぽわするっ。今ぎゅってしたら怒られるか? ああ、いい匂いするっ。これ、昼に食べてたなんとかベリーって果物の匂いかっ? ミシェル可愛いなぁ。先生に見つかりそうになって、ちょっと焦った顔してるのもなんかいい。……ここはやっぱ、俺がギュッと抱きしめて、安心させてや』
「黙れ」
 ギッとオルドを睨み付ける。
「ふがっ」
 なにか言ったようだが、無視した。

 口を塞がれているのだから、オルドは黙っているのだ。だとするなら、今ミシェルに聞こえてきたのは、オルドの心の声……?

「物音がしたような気がしましたが……勘違いでしたか」
 リチャードがそう呟き、ふと、出しっ放しの本に気付く。
「おや、誰でしょうね、こんなところに」
 伸ばした手を、止めた。
 妖魔に関する本。

「……誰でしょうねぇ?」
 その双眸が、きらりと光った。