アイツ?
誰のことなんだろう。
ジローさん……どうして、そんなことを言うの。
キスをして、本当なら恥ずかしくて目も合わせられず、彼の前から蒸発しちゃいたいくらいなのに。
投げかけられる言葉に、私は縛られる。
甘ったるい余韻になんか、浸らせてはくれない。
だって、ジローさんの瞳が──いつもと違う。
眠たげで生気の薄い“あの目”ではなく、強い光を宿しているから。
「アイツって誰のこと……ですか?飛野さん?タイガ?ケイジくん?太郎さん?ハレルヤさん?小春?それとも──」
だけど、ジローさんのことだもん。
いつもみたいに脳内でジローワールドが炸裂してるに違いない、って。
どうせ“お前は誰の犬なんだ”とか、“俺のだろ”とか、聞きたいことはどうせそういうことでしょって、タカをくくってた。
そうに決まってる。
今までも、散々私を惑わせる発言を繰り返してきたけれど、結局はミラクルなジローワールドに振り回されただけだったもの。
だから、たいして考えもせず、彼に笑いかけた。
冗談なんでしょ、って。
もう、騙されないんだからって。
……ううん。
もしかしたら、恐れていたのかもしれない。
ジローさんの口から零れる言葉が、
「ハイジじゃ、ねえの?」
決して私にとって、心穏やかなものじゃないことを。
「……え?」
ハイジ?
「アルプスの少女、ですか?いや、そこまでハイジのファンではないというか、普段から意識してないというか……。そんな私の大部分を占めるほどハイジ推しってわけでは……。どちらかといえば大人しそうなヨーゼフがいたいげなカタツムリさんをパクッと食べちゃう獰猛さの方に興味津々というか……あははは」
ジローさんが挙げた相手が、余りにもありえなくて。
笑いすらこみ上げてくる。
口が勝手に動いて、くだらないことを並べ立て、しまいにはくすっと笑ってた。
ジローさんったら、またまた~。うふふふー。
なんて、ちらりと視線を向ければ。
彼はちっとも笑ってなどいなかった。
むしろ氷のごとき冷たい視線に突き刺され、私は噴き出す冷や汗に、心底自分の浅はかさを悔やんだ。


