「だからって、何もここまでしなくても……」
きっと、私が彼に向ける瞳が、頼りなさげに映ったからかもしれない。
その頬を指でぎこちなくなぞれば、彼がふっと、笑った。
薄く、柔らかく。
「加減なんてしてたらケンカにならねえ。それじゃあ、つまらねえだろ」
音が息を潜めるこの空間で。
私とあなた、二人しかいないこの場所で。
交わす声だけが、緩やかな時間を作り出す。
「思いっきりどつき合ってりゃ、そのうちどうでもよくなってくる。ケンカってのはそういうもんだ。それがいい」
そう言って、ジローさんは笑ってくれる。
私には理解し難い世界だとしても。
私に向けてくれる、穏やかな瞳が好き。
たまにしか見せてくれない笑顔が好き。
それがどんなに……些細なものでもいい。
私の体温とあなたの体温が湯の中に溶け合って、同じ温もりが私たちを包みこむ。
まどろみそうになるほど、安らかで。
この胸の高鳴りが、あなたにまで届いてしまうんじゃないかって恥じらう気持ちが、わずかな距離を生む。
向かい合って、彼を見つめる私の視線には、冷めることのない熱が籠められて。
ジローさんが……優しい瞳で、受け止めてくれる。
彼は濡れた指で私の髪を梳くと、そのまま後頭部にまわされて支えられ……
自然な流れだったのかもしれない。
ジローさんは顔を少し傾け、ゆっくりと近づいてくる。
ほんの少し、戸惑いに身を強ばらせたけれど。
でも、そうすべきじゃないって思った。
二人の間の距離が無くなるにつれ、瞼を閉じた。
微かに唇に触れたのが、彼のそれだとわかってから──すぐに、深く重なった。
熱く柔らかな感触に、一瞬にして心も体も……何もかも虜になって、溺れてしまう。
だけど。
「今、お前の中にいんのは……誰?」
どこか思い悩むように唇を離した彼の言葉に、胸がざわめく。
「……アイツ?」
次に零れ落ちた一言と、寂しげな瞳が──
私の心を乱した。


