……え?
う、うぷっ?
今、「うぷっ」って言った?
え、聞き間違い?
ジローさんは青ざめた顔で口元を押さえ、ほっぺたがハムスターみたいに膨らんでいた。
これは……。
「待ったジローちゃん!!ダメだって!ここで吐くなよ!?」
後ろから、ハイジの焦った声が飛んでくる。
は、吐く!?
なんで!?なんでジローさんいきなり吐いちゃうの!?
くるりと回れ右をするとジローさんは蹲り、背を丸めて懸命に吐き気に耐えているみたいだった。
よくわかんないけど、私もジローさんの隣にしゃがみ込み、彼の背中をさすってあげた。
「ジローさん……大丈夫ですか?」
「むう……」
しきりに「うーむ」とか「うーん」とか唸っているジローさん。
心配でしばらく背中をゆっくりさすってあげていると、次第に吐き気が治まってきたのか、込み上げたモノを彼はごっくんと飲み込んだ。
「ねえ、どうなってんの?」
私は顔だけを、ハイジに向ける。
「限界超えると、アガってくんだとよ」
限界?
白けた表情のハイジは、マットレスに腰を下ろしている。
ま、まさか鼻血のさらに上が『吐く』ってこと……?
しかも、ハイジと私のあんな体勢を見ちゃったから!?
やがてジローさんは、落ち着きを取り戻したようだった。
青白い顔で、私をじっと見てくるから……鼓動が大きくなる。
こんなに近くで彼に見つめられたら、ドキドキしないはずがない。
どんな女の子だって、きっとそう。
みんなが憧れる、遠い、遠い、人。
ふと、ジローさんの手が私の頬へと添えられる。
彼の温もりに、胸が一層、高鳴った。
突然のことに固まっていると、そのまま顔を寄せてきて──唇が触れる前に、彼は動きを止めた。
何かを見つけたのか、彼は視線を私の首元へ留めた。
「ソレつけたの、俺だよ」
ハイジがジローさんに、一言投げた。
どこか試しているような、そんな含みを持った声。
ジローさんは無言のまま立ち上がり、ゆらりとハイジの方へ歩き出した。
静かな彼が、殺気立っているように見えた。
私はただその後ろ姿を見守るしかなくて、胸のドキドキは嫌な意味に変わっていく。
張り詰める空気に苦しくなって、胸にあてた手を握りしめた。
ハイジの真正面で立ち止まり、ジローさんはアイツの胸倉を掴みあげた。
けれど全く動じずに、ハイジは尖った目で見上げるだけ。
「何だよ。俺は何も違反しちゃいねえぞ」
強気な姿勢を、崩さない。
「ここは“そーいう”部屋だろ?」
その目は冗談めかすことなく、真剣だった。
「あんたからすれば、アイツはペットかもしんねえけどよ」
その怖いくらいに真っ直ぐな目が、ジローさんじゃなくて……
「俺にとっちゃ、“女”だ」
私を、捕らえる。
ハイジ……何、言い出すの?
さらに挑戦的な強い眼差しで、アイツはジローさんを射抜く。
「抱こうがどうしようが、俺の自由だろうが」
ねえ……
何、言ってるの?
「あんたにとやかく言われる筋合いはねえよ」
私は、ただただ自分の耳を疑うばかりで、頭が追いつかなくて。
私のことを言われてるのに、部外者のような感覚だった。
二人を遠目に、ぼんやりと眺めていることしかできなかった。

