初夏の夜会が開かれると聞き、玲奈は透真に伴われて会場へ向かった。
 きらびやかな照明、ドレスに身を包む女性たちの笑い声。
 その中にいると、玲奈は自分だけが透明な存在になったような感覚に陥る。

 透真は相変わらず冷静な表情で、周囲に笑みを振りまいていた。
 その横顔は完璧で、手の届かない彫刻のよう。
 玲奈の胸はじわりと締めつけられる。

(私は……ただの飾りにすぎないの?)



 しばらくして、玲奈はバルコニーへと逃げるように歩いた。
 夜風が肌を撫で、少しだけ心が軽くなる。

 そこに、柔らかな声が響いた。

「またお一人なのね。……やっぱり透真の隣は、まだ似合わないみたい」

 振り返れば、美咲が立っていた。
 漆黒のドレスに真紅のルージュ、視線には冷たい光が宿っている。

「あなた、本当に透真のことを理解しているの?」

「……私は――」

「彼がどんな思いであの香りを作ったか、知っている?
 それは私と過ごした記憶を閉じ込めたもの。……彼は、まだ忘れられないのよ」

 美咲の声は、甘く冷たい毒のように玲奈の心に染み込む。



 玲奈は息を呑んだ。
 胸の奥に積もっていた疑念が、一気に炎となって広がる。

(やっぱり……透真さんは、美咲さんを……)

 声を出そうとしても、喉が塞がれたように言葉が出てこない。
 ただ視線を落とし、震える指先をドレスの裾に隠した。

 美咲はそんな玲奈を見下ろすように微笑む。
「あなたに透真は抱えきれない。だから“契約”なんて形で縛ってるだけ」

 そう囁き残し、優雅な足取りで会場へと戻っていった。



 玲奈は一人、夜風の中に立ち尽くした。
 頬を伝うのは冷たい涙。
 心は影に覆われ、光を見失っていく。

(信じたいのに……どうしても信じられない)

 胸に残る透真の香りが、かえって苦しい。
 愛を告げられた夜の言葉と、美咲の囁きがせめぎ合い、心を引き裂いていた。



 その後、透真は玲奈を探してバルコニーに現れた。
「……ここにいたのか」
 冷静な声。だが瞳の奥にはわずかな焦りが揺れていた。

 玲奈は必死に涙を拭き取り、微笑を作った。
「少し……風に当たりたかっただけです」

 透真は一歩近づいたが、その先に言葉はなかった。
 玲奈もまた、心の影に囚われたまま、声を上げることができなかった。