「じゃあ、お疲れさまです!」

 仕事を終えた私はちらっと時計に目を走らせた。
 思ったより遅くなってしまった。

 もう八時を過ぎてしまっている。
 でも、九時からのレッスンには間に合うはずだ。

「あっ」

 早く帰ろうと焦ったせいで、机の角に足をぶつけてしまった。
 手からバッグが落ちてしまう。

「大丈夫ですか!」
「うん、ちょっとぶつけただけ……」

 すぐ蓮見(はすみ)くんが飛んできてくれ、バッグを拾ってくれた。

田中(たなか)先輩、時々ドジっ子になるからなあ」
生意気(なまいき)言わないの!」

 じろっと睨んでみたものの、蓮見くんは気にした様子もない。

「なんですかこのバッグ。大きいですね」

 私は慌ててバッグを取り返した。
 ショルダーバッグとは別に持ってきた黒いバッグには、水着やタオルなどの水泳セットが入っているのだ。

「女性の持ち物に興味を持たないの! セクハラになるよ!」

 蓮見くんが照れくさそうに笑う。

「すいません。でも、田中先輩だから訊いたんですよ。他の女性には言わないんで安心してください」
「は?」

 なんか私だけ特別みたいに言うのはやめてほしい。
 ほら、周囲の女性たちが聞き耳たてているんだから。

「蓮見くんもそろそろ上がりなさいね」
「はい。これだけ入力したらすぐ出ます。お疲れさまでした」
「お先に」

 私は足早にエレベーターホールへと向かった。
 胸がドキドキして、頬が熱っぽい。

(嫌だ! 年下の男の子の気まぐれ言葉に振り回されて!)

 私はパタパタと手で顔を(あお)いだ。