「わっ!」

 バシャッと顔に水がかかり、私はパニックになった。

「……っ!」
「大丈夫ですよ!」

 ぐっと力強く体が(ささ)えられる。
 だが、蓮見(はすみ)くんが体に手を()れたのは一瞬で、おかげで恥ずかしさを感じる(ひま)もなかった。

「落ち着いてください。ほら、足もつきますから」
「う、うん……」

 またもや失態(しったい)を見せてしまった。
 可愛いなんて言われたのはいつくらいぶりだろう。

 顔が赤くなっているのがバレないよう、私はうつむき加減になった。

 いい会社に就職したくて、大学の時も必死で勉強した。
 運良く第一志望の会社に入れたから、のし上がりたくて一生懸命働いた。

 (かげ)で男性社員たちが私のことを、『怖い』だの『女と思えない』って言っているのも知っている。
 それでいいと思っていた。

(不思議だな……)

 年下の男の子に可愛いなんて言われたら、きっと以前の私なら『()められてる!』と思って不快になっただろう。
 だけど、今は照れくさいだけだ。

(どうして? 相手が蓮見くんだから? それとも弱い部分を(さら)け出しているから?)

「田中さん? どうしたんですか?」

 沈黙が長かったのか、少し心配そうに蓮見くんが尋ねてくる。

「蓮見くんはなんで水泳のコーチをしているの? もしかして、経済的に厳しいとか……?」

 彼がよくカップラーメンを食べていたのは、単に面倒なだけでなく昼食代を節約していたのかも。
 蓮見くんがフッと微笑(ほほえ)む。

「ご心配なく。実は知り合いがこのジムにいて、人手不足(ひとでぶそく)の時は来てほしいって頼まれたんです」
「そうなんだ」

「マンツーマンレッスンの予約が入ったから来ているだけです」
「そう……」

 私は少しホッとした。
 ウチの会社は副業を禁止していないので、特に問題はない。