「詩乃さん?」

 家の最寄り駅前で、詩乃は慕わしい声にぱっと振り向いた。

「珍しいですね。こんな時間に」

 スーツ姿の明人だ。明人の方こそ、この少し遅い時間に駅前にいるのは珍しい。

 驚いてじっと見詰めると、明人はやはりなぜか少し目を逸らした。

 寒さのせいか、頬が赤い。

「あ、明人くん。お疲れさま」

 それ以上、言うべき言葉が見つからない。

 そんなことは、初めてだった。伊達に営業をやっていたわけではない。

 口の重い詩乃の異変を感じ取ったのか、明人は様子を伺うように詩乃の顔を覗き込んだ。

 どんな状況でも、何かしら前向きな言葉を言うのが得意だった。

 それが今、明人の気遣わしげな目に見詰められて、何も言えなくなってしまっている。

「何があったんですか」

 明人は、限りなく優しい声でそっと言った。

 低い、暖かい、聴き慣れた明人の声。

 鼻の奥が、つんとする。涙ぐみそうなのをこらえながら、詩乃はただこくんと頷いた。