「好き。」
しかし、その言葉は、轟音と共に到着した電車の音にかき消されてしまった。
「桜井さん?」
有澤先生は首を傾げた。
列車がホームに入ってきて、轟音と共に停車した。ドアが開くと同時に人々が乗り降りしていく。
「あ、…いえっ、なんでもないです。」
蕾は慌てて言い直した。本当はもう一度伝えたいのに、喉が詰まって言葉が出ない。
有澤先生は不思議そうな表情を浮かべていた。
電車のドアが閉まる直前、蕾は小さな声で言った。
「では有澤先生、、お疲れさまです。さようなら。」
「桜井さん、気をつけて。また、明日。」
ドアが閉まり、窓越しに見える有澤先生の姿が少しずつ遠ざかっていく。
彼はあのあと続けて何か言いたげに口を開いたままだったが、その言葉は電車の走行音にかき消されてしまった。
電車の中は暖かく、乗客たちは皆無関心にスマートフォンを見つめている。
蕾だけが、窓の外を見つめていた。
雪がさらに激しさを増し、街の灯りを幻想的に照らしている。
電車は、雪景色の窓の外を滑るように進んでいった。
蕾は、ホームに残された有澤先生の姿が、だんだんと小さくなっていくのを見つめていた。
彼の表情は、雪明かりに照らされて、どこか切なく見えた。
「もう一回、言えば良かったのかなぁ……」
電車に乗る前に、もっとしっかりと、彼の気持ちを聞くべきだったのかもしれない。
そんな思いが、蕾の胸を締め付けた。
自問しながらも、答えは出てこなかった。
あの瞬間に全ての思いを込めることができなかった自分が悔しい。
でも、もし本当に伝えていたら—何が変わっていたのだろうか?
窓の外を舞う雪が、まるで蕾の代わりに泣いてくれているかのようだった。
彼女の呟きは、誰にも届くことなく、電車の振動と共に、空気に溶けていった。
年末年始は慌ただしく過ぎた。
蕾と有澤先生の噂も75日、病棟では落ちつきを取り戻しつつあった。
忘れかけていた頃にふと話題に上ることがあっても、「もう古いでしょ」と誰かが言う程度に収まっていた。



