「...桜井さん、ちょっといいかしら?」








 
 そんなある日、松村師長に呼び出された。









空き個室に通されると、師長は真剣な表情で蕾に向き合った。
 









 「桜井さん、最近、有澤先生との距離が近いように見えるけれど...何か、あるのかしら?」









 
 師長の突然の問いに、蕾は動揺を隠せなかった。









「(うそ…、……))









まさか、あの有澤先生の言葉の件だろうか。









 
 「え、いえ、そんなことは...」









 
 「嘘をついても無駄よ。あなたの様子を見れば分かるわ。有澤先生が赴任されてから、あなたは明らかに変わった。中庭で、二人で話しているところも何度か見かけたわよ」








 
 師長の鋭い指摘に、蕾は顔を赤らめるしかなかった。










確かに、有澤先生に惹かれているのは事実だ。








しかし、それが師長にまで気づかれるほど、あからさまだったとは。









 
 「師長...」








 
 「あなたには、過去があったわね。猪尾さんのこと...だから、私は今まで、あなたのことを何も言わなかった。でも、有澤先生と、そんな関係になってしまうのは、医療者として、許されることではないわよ。」





「あなたの仕事ぶりは評価しているわ。だからこそ、言っておくけれど、有澤先生とは適切な距離を保ちなさい。」






「もし、このまま有澤先生と個人的な関係を深めるようなことがあれば、私も守ってはあげられない。今後、あなたのキャリアにも関わってくるかもしれないのよ。」










「それは…っ!分かってます。」








 
 師長は、蕾の過去の出来事に触れながら、諭すように続けた。






「桜井さん、あなたはまだ若い。今は、仕事に集中すべき時期よ。有澤先生は、あなたにとって、まだ遠い存在だということを忘れないで。」






蕾の胸に、重い鉛が沈んでいくような感覚がした。









 
 「有澤先生関連の仕事には、暫く外れてもらうわ。それが、あなたのためでもある。いいわね?」









 
 師長の言葉は、蕾の心を締め付けた。











有澤先生との関係を、これ以上深めることは許されない。










冬の冷たい風が、窓ガラスを叩く音が、まるで蕾の心の叫びのように響いた。







有澤先生との距離は、さらに遠ざかっていくのだろうか。










蕾は、師長から突きつけられた現実に、ただただ立ち尽くすしかなかった。









冬空の下、彼女の心は、一層冷え込んでいくのを感じていた。
 







 「…はい。すみません…」








 
 絞り出すような声で答えるのが精一杯だった。








師長は、溜息をつき、蕾の肩に手を置いた。「あなたを、見守っているわ。だから、今は仕事に集中しなさい」








という言葉が、かろうじて蕾の耳に届いた。








しかし、その言葉が、今の蕾の心に、どれほど響いたかは、定かではなかった。