マリーはいつもの調子が出ないまま作業をするので、感が狂って思うように菓子作りができない。やっと焼き上がったが、いつもの倍の時間がかかった。ダニエルが横にいるのだから意識するなと言っても無理だ。ずっと見詰められると緊張する。
でも嫌でもないのがマリー自身も不思議に思うのだった。石窯のオーブンから焼き菓子を出すとダニエルは目を輝かせ味見がしたいと言う。子供のような表情に思わず焼き立ての菓子を渡してしまうのだ。
一口食べると満足な表情が見てとれた。ダニエルがこれ程までにマリーの菓子が好きだとは思っていなかったので、更に好感度が上昇する。マリーは自分自身を好きでいてくれる以上に作った菓子を愛される方が、何よりも心を動かされる。ダニエルは無意識のうちにマリーの心を魅了していた。他の女性には決してしない方法で。
「とてもいい味だ。この柑橘系はレモンか?」
「はい、よく分かりましたね。レモンをマーマレイドジャムにして、生地に混ぜ込み焼き菓子にしました」
「なるほど、レモンの酸味が苦手でもマーマレイドにすることで、甘味がよくなる。それで皮の程よい苦みで、大人の味になる」
「そうです」
「これは新作?」
「はい」
新作を1番最初に食べられた喜びで、マリーを思わずギュっと抱きしめた。マリーの菓子のファンとしてダニエルにとっては当然の表現だった。
抱き締められた力で喜びの加減が分かる。(何て子供みたいに喜ぶのだろうか)と、こっちらまで嬉しさが伝わるとマリーは思ったのだ。
ダニエルは喜びのあまり、強く抱き締めたので、腕を緩め離した。
「悪かった。痛くなかったか?」
「いえ、喜んでくれるのが、嬉しくって、全然、痛くありませんよ」マリはー顔を赤らめて笑った。
笑顔のマリーが可愛すぎて、今度は優しく抱き締めてしまった。振り向かせる計算が、もうすでに自身が夢中になっていると自覚した。これまで以上に心を持って行かれるのだ。近くにいるのだから触れたいと思って当然の気持ちだ。だがマリーを大事にしたいと考えると、その感情を押さえるのだった。
(これは重症だな。このままいては、これ以上にマリーを求めてしまう。嫌われないためにも、ここを出よう)
ダニエルはそう思って、マリーをまた離して厨房を出ることにした。
「食後のデザートは楽しみだ。じゃあ、また来る」
マリーは、ぼーっとして厨房を出て行くダニエルを目で追っていた。動揺は隠しきれないので、ダニエルが部屋を出て行ってくれて良かったと思うのだ。ダニエルを意識し過ぎているから、どうなることかと考えただけでも赤くなった。

