昼食を終えると、大きな厨房に行き、食べ終わった食器を片付けようとした。するとアマンダがウインクして、奪い取るように、その食器の乗ったトレイを持っていった。マリーは後ろから小さな声でありがとうと言った。アマンダは振り向いて人懐っこい笑顔をした。マリーはつられて笑った。アマンダの後ろ姿を目でおってしまう。そして厨房に消えて行った。アマンダの笑顔は温かい気持ちになり余韻のように残った。
マリーは部屋に戻って片付けをしているうちに、時間がだいぶと過ぎたのに気付いた。地下の部屋だったので、外が見えないから時計が頼りだ。慌てて大人の服に着替えるのだった。
間もなく外の暗さと共に元のマリーの姿になった。体が変化する度に、1日は早いものだと感じている。午前中に公爵邸について、もう夜になったという感じがしていた。
少ない荷物は、すぐに整理し終わった。夜になると菓子作りの下拵えをするので、道具を厨房へ持っていくために用意していた。そこへアマンダが食事を持って来た。マリオットとマリーは別人と思っているので、また挨拶をしてくれた。
「初めまして、アマンダです。マリオに聞いてくれました?」
「初めましてアマンダさん。マリーです。聞くとは何かしら」
「ほら、お菓子の味見です」
「ああ、分かっていますよ。アマンダさんは何か好きなお菓子はある?」
「アマでいいですよ。お菓子は何でも好き、何でも食べたい」
「はい、分かったわ。沢山、用意するわね」
「ありがとうございます。それにしてもお姉さんも美形ですね。ダニエル様が特別扱いするのが分かります」
「違うの。彼は、私のお菓子のファンみたいなの。ル プティ ボヌーって言うお菓子屋でね。そこの常連客なのよ」
「えー!凄い!貴族にも人気な有名菓子店だ。生涯、一度でいいから食べてみたかったの」
「そうなの」
「そうよ。この最近、店が閉店になったって聞いて、食べることは叶わぬ夢かと思ったわ。ねえ、なぜ?閉店になったの?
悪い奴に騙されて、夜逃げしたんじゃないかって噂になってる。それ本当?」
マリーはその噂は、まんざら嘘ではないと思っていた。悪党どもから逃げて来たのは、本当だからだ。母親の顔が浮かんだ。(見てなさい。今から逆襲よ)と心の奥で沸々と、怒りと共に、その感情が沸き上がっていた。
「ねえ、本当なの?」
「事情があって暫く休んでいるだけよ。また再開するつもりよ」
「へえ、そうなんだ。噂って、あてにならないのね」
「うん、まあ」
「明日、楽しみ。有名店のお菓子が食べられる。じゃ、約束ね。そうそう食器は厨房に置いておくだけで、いいからね。じゃ、また」
「うん、ありがとう。じゃあね」
アマンダは元気がいい、マリーと同じぐらいの年で、メイドとして3年間働いている。厨房のことは何でも知っていて、愛嬌があって親しみやすい。また食いしん坊を発揮するのは、食べ盛りのせいか、凄ましい勢いだ。
マリーだけではなく、他のコックもアマンダに味見と称して、食事以外にも提供している。そのせいか低身長でコロコロした体系は、可愛く余計に親しみがわくのだ。アマンダとは仲良くなれそうな予感がした。
マリーは菓子作りの下拵えをするために厨房に入った。焼き菓子が焼き上がると、間もなくダニエルが入って来た。マリーがびっくりした様子にダニエルは笑って話してきた。
「今日はなかなか会えなかったので、会いに来た」
「公爵様がこんな所まで来て、大丈夫ですか?」
「私の家だ。どこへ行こうと自由だ。それに私が雇ったのだから、会いに来て当たり前だ。どんな人物に雇われたのか、分からないでは不安だろう」
「いえ、母からは公爵様が、店に来て頂いているのは、聞いていました。公爵様だとは、その時は知りませんでしたが」
「母親からは、どんなことを聞いているのかな?」
「大層お菓子がお好きで、ご贔屓にして下さっているのだと」
「大層どころか、この世から貴女の菓子が消えるとならば、絶望の人生になるとまで思ったのだ」
「そんな大袈裟過ぎますよ」
「大袈裟なものか、現に脅迫まがいに、弟が貴女の菓子を食べられなくなると脅されて、すぐに雇ったのだから」
「脅迫まがいだなんて、弟はそんなつもりではなく、明日をも分からない生活に不安を感じたのです。雇って頂いてありがとうございます」
「礼なんかは要らない。一番、得をしているのは私だ。貴女の菓子を独占、出来るのだからな」
「感謝しています。どうぞ好きなお菓子を言って下されば、作りますので何でもご遠慮なく」
「貴女の作る物は何でも好むので、好きに作って下さい」
「はい、では新作を作りますね」
「それは楽しみだ。さあ、私を気にせずに作業を続けてくれ」
作り笑いでなくダニエルは、心から優しさ溢れる微笑みを浮かべてくれていた。本当にこの人が犯人なのか?マリーは戸惑った。またダニエルの視線にドキドキしている自分がいる。どうしてなのか分からず、病気ではないかと心配になった。
(落ち着こう、落ち着いて、今病気になれない)
そう思うと胸に手を当てて深呼吸した。
「どうした?気分でも悪い?」
「動悸がして何だか変なんです」
ダニエルは慌てて、マリーの額に手を当てた。マリーは更に鼓動が、激しくなるのを感じた。こんなに近くで自分に触れている。激しく鼓動を打つ音が、体中に響く。あまりの衝撃で体が放心状態で動かない。
「熱はないようですね」
「大丈夫です」
ダニエルはマリーの肩に左手を回して、体を近くに寄せた。そして左腕に肩を抱いて、右手で顎をぐいっと持ち上げた。先程より更に近づいた距離に何もできず、固まった状態のマリーだった。どうなっているのか、頭の中はパニくり動けないのだから、されるがままでいるのだった。
ダニエルは軽々と体を持ち上げ、お姫様抱っこをした。マリーは(これがお姫様抱っこ?)そう考えるだけで更に顔を赤くした。壁の横にある片肘かけのベッドとしても使えるソファまで行き、持ち上げた体を降ろした。マリーの頭にクッションを置いて、楽になるように寝かせた。近くにある顔はキスさるのかと、思わずマリーが目を閉じた。だがダニエルは額に自分の額を寄せて、また熱を測っているようだ。
「やはり熱はないようだ。あまりに赤い顔をしているので心配になる」
「大丈夫です。動悸が激しくなって、落ち着かなかっただけです」
「何もないといいが、体が弱いと聞いている。無理しなくていい」
「はい、大丈夫、もう落ち着きました」
マリーはキスしてくると思い、目を閉じた自分が恥ずかしかった。
(何を期待しているんだろう。犯人だと思っている人にどういう感情なの?)
初めての心の動きは、裏腹で感情が整理できない。そう考えるマリーは恥ずかしくなり両手で顔を覆った。それを見ていたダニエルは心配していた。
「部屋に帰って休んだ方がいい」
「いえ、もう大丈夫ですので、お菓子作りを始めます」
「本当に大丈夫?私に手伝えることがあるなら言ってくれ?」
「いえ、これは私の仕事なので、本当に大丈夫です」
ダニエルはソファに腰かけていて、マリーの体に接触している。それからマリーの額にキスをした。まさかの額にキスで、驚いた顔をしたマリーに優しく言った。
「これは幼い時に熱をだすと、母がおまじないと言って、額にキスをしてくれた。こうすると元気が出るそうだ。私も貴女に元気になって欲しい」
「わー!もう元気になったので、本当に大丈夫です」
マリーはソファから飛び起きて、菓子作りの作業台に行き作り始めた。だが動揺していて上手く動けない。その様子を見られたくないので、平常心を装って道具を作業台のテーブルに揃えた。
「もう良ければ、お部屋にお帰り下さっていいです」
「いや、貴女の作る様子を見たい」
「そんな普通に作るだけなので、面白い所はないです」
そう言いながらボールに粉を入れようとすると手がいうことをきかず、「ああ・・・」と言いながらこぼしていた。卵を割ると殻が混じる。その度にマリーは「あっ」とか「ああー」とか声を発してはダニエルを意識した。
(どうにか、なりそうだわ)と心の中で呟いていた。
ダニエルは面白がってマリーを見ていた。自分を悪くは思っていないようだ。それどころか興味があるはずだと手応えを感じていた。マリーに密かな好意を持っていたので、ここで近寄らなくては一向に発展がないと考えていたのだ。

