マリーは帰る道中、これからのことを考えていた。エリックの家に寝泊まりするのは、申し訳なく思っていたから、自力で仕事を探したので住居の心配はなくなる。それに母親をみつけられる可能性が大きくなった。
今は早く元の暮らしに戻りたい一心だ。あの頃が遠い昔のようだった。思い起こせば、母親と菓子の新作を考えていた頃の充実感と客の喜ぶ顔。賑やかな店に母親の笑い声が聞こえる。目を閉じるとそれが頭の中で再生できるのだ。
マリーは寂しさのあまり、道端でしゃがみ込み、膝を抱えて泣き出した。そこへエリックが通りかかった。見覚えのある服は、マリーだとすぐに分かった。肩を優しく叩き声をかけた。
「マリー、泣くな。一緒に家に帰ろう」
見上げるとエリックの微笑みが揺れて見えた。体を持ち上げられて、いつものように縦抱きされた。
「エリック歩けるわ」
「いいの。僕が抱っこしたい」
笑ってマリーを見た。優しいエリックに子供になった気持ちで体を預けた。実際、子供のマリーだ。それを口実にエリックはギュッと抱きしめた。
こうしても男女がイチャイチャしている姿には見えない。ニマニマと笑いながら歩いていた。
「エリック、こんにちわ。なんだい子守りかい」
「そうそう、知り合いの子供を預かっている」
「そう、優しいのね。どうしたの、泣いちゃって可愛い子ね。泣いちゃ駄目よ。可愛い顔が台無しよ」
「うん」マリーが涙を拭いて言った。
「本当、いい子ね」
「おばさん、じゃ、急いでいるから」そう言うとエリックは焦った。
あまりマリーを近所の目に晒すことは、したくなかった。それは子供にした後ろめたさがある。それに危険な目に合わせたくなかった。まるで我が子のように、いや、恋人のように大切な存在だった。エリックがシャイなせいで、その思いはマリーには伝わらず、ただ優しいだけの幼馴染みでしかない。
マリーは母親以外に身内はいなかったので、エリックの存在のありがたさは身に沁みて感じている。それ以上の感情が無いのだ。それでもエリックは、ささやかな望みは捨てていない。
「ねえ、マリー。お菓子を届けられたか?」
「うん、ちゃんと届けた」
「そうか。良かった」
「エリック。仕事も見つけてきた」
「えっ、仕事?」
「そう、仕事」
「どど、どういうこと?」
「仕事するよ。お菓子作りの」
「子供のままで仕事するのか?」
エリックはマリーを抱きかかえたまま、慌てて家に帰った。道端で話すことはできなかった。マリーが子供になったことは、誰にもバレてはいけない。二人だけの秘密なのだから。それなのに子供の姿で仕事をするなんて、信じられなかった。
家に帰るとテーブルに両肘をつき頭を両手で掻いて、難問の回答を探していた。マリーはテーブルをはさんで向かいに座らされていた。
「これは私の問題よ」
「子供のままで仕事なんて、できないだろう」
「大丈夫。夜に下ごしらえするから」
「えっ、泊まり込みか?」
「当たり前でしょう。パティシエールとして雇ってもらったんだから」
「それは、もしかして公爵家で雇われたのか?」
「そうよ」
「どうやって、雇ってもらったんだ?」
マリーは菓子を届けに行った一部始終を話した。先ずは誘拐された時の馬車と同じ紋章を見たこと。母親があの屋敷にいるかもしれないと思っていたこと。雇われたのはマリーで子供のマリーは弟と思わせたこと。これで潜入ができ、犯人を自分の力で捕まえると。
「無謀過ぎる。僕は反対だ。危険、極まりない」
「国の機関が動いてくれないのだから、自分で母親を助けたい」
「じゃ、僕も行く」
「駄目よ。エリックが一緒だと怪しまれる。先ずはママをみつけないと」
「じゃ、僕はどうしたらいい?マリーやおばさんを助けたい」
「それは私を元に戻す薬を作って、子供だと動きづらい」
「分かった」
エリックは不安で仕方がなかった。もしマリーが帰ってこなかったら、取り返しがつかない。
想像すればするほど、恐ろしくてマリーを行かせることはできない。だがマリーは反対しても聞く耳を持たないだろう。今の話だって全て、決めている。絶望的としか考えられなかった。それでもマリーに食い下がる。
「なあ、マリー。果たして1人で犯人を捕まえられるのか?」
「ママのことを思えば、いても立ってもいられない」
「それは分かる。でも無鉄砲に走り出しても上手くいかない」
「それは十分に分かっている」
「じゃ、取りあえず、今できることを考えよう」
「うん」
エリックの説得はマリーに、危険過ぎることを連ねて訴えた。母親を見つけたら、すぐに行動せず、エリックの判断で動いて欲しいという。何事もまずエリックに報告と相談をと。
もし母親がみつかり、母と子供の姿のマリーが脱走したとして、追い付かれるのは目に見えている。作戦を練ってから、念には念を入れて慎重に動くことで、脱出が成功へと繋がる。エリックのマリーへの強い思いが説得力を増した。
マリーは仕方なくエリックに相談することを受け入れた。エリックの熱意がそうさせるのだった。
「マリー、僕がこれほど君のことを、気がかりに思うのは分かるか?」
「それは友情ね。だってエリックは私の親友だもの」
「親友?そんな僕は君が好きだから、君がいなくなると思うだけで恐ろしい」
「え、何いってるの?こんな時に告白?」
「だって、マリーは僕の気持ちも知らず、好き勝手なことをしている」
「別に好き勝手なことはしてない。ママのことで頭がいっぱいになるの」
「それは分かる。おばさんのことは大事だ。でも人の気持ちも考えてみろ、ハラハラして見ていられない」
「心配してくれているのよね。ありがとう。でもエリックの気持ちには答えられない。それにどう考えても、子供の姿のままでは無理でしょ」
「そうか、そうだな。ごめんよ。必ず元に戻る薬を開発するよ」
「うん、お願い」
マリーはエリックが恋人になるという想像がつかない。小さい頃から、いつも一緒で物心ついた時は喧嘩相手でしかなかった。いつもからかうエリックが年上なのに幼稚に見えていた。優しいのは優しいが、いちいち干渉し過ぎて、親戚の口煩い叔父さんのようで、うっとおしい時もあった。これも考えてみれば、マリーのことが好きだったからに違いない。
エリックはマリーが好き過ぎて、断られたことは無かったことになっている。ただ子供の姿で恋愛は考えられないのだ。大人の姿に戻れば付き合ってくれると誤解していた。
(そうだ、そうだよな、薬を急いで研究しないといけないよな)と元に戻す薬を作るのだと強く決心していた。簡単に薬と
言っても若返りの薬でさえ、まだ途中だが幼い頃からの研究で十年以上かかっている。
今は本当にすぐにできるという勢いで、気持ちが先走っているだけだった。愛が手に入ると思うだけで、脳が何でもできると錯覚してしまう。特にエリックのような恋愛初心者は経験値が少ないせいで誤解という、誤った勘違いをするのだ。おめでたいというか、単純というのか言葉に表せない。あえて言えば幸せな気持ちでいるのは間違いない。
エリックは研究に打ち込むと言って、研究室に入った。
マリーは明日からの公爵家に行くための準備をしようと、纏めていた荷物の選別を始めた。箱の中を見てみれば、菓子作りの道具を全て持って行きたくなる。でも荷物が多くなると逃げる時に置いていくかもしれない。逃げる時を考えて、持って行けるように最小限にしょうと思った。
基本的にいる物、数個にして他にも代用ができる物を荷作りした。服は子供用の普段着とお洒落な服、各1枚ずつと大人の服は3枚にした。服よりも菓子作りのほうが好きなのだ。
年頃の娘は美しく見せるためのお洒落をするが、マリーの歓心は菓子作りにあるのだ。見た目のことは清潔で、あればいいと衛生管理は抜群だ。
それでも若さと類稀な容姿でシンプルな服ほど、美しさが際立つ。柔らかな金髪は母親譲りでゆるいカールは可愛くもある。青い瞳は大きく憂いがある。紅を引いていない唇は、ほのかに桜色だ。子供でも隠せない美しさだ。
マリー自身は、一度も美しいと思ったことがない。それが自然で嫌味が無いのだ。誰からも愛されるところは、自然体だからこそだ。
翌朝、二人で朝食を終え、リックに入れた荷物をせおって出ようとした。それにしてもエリックはいつまでも引き止める。昨日の話は、どこへ行ったのだろうと思う程だった。
「エリック、いい加減にして、同じことばっかり言っている」
「だってマリーがいなくなるなんて」
「私は働きに行くだけ、永遠の別れではないわ」
「分かっているけど」
「じゃあね。また来るから薬作ってね」
「うん、分かっている」
「じゃ、いってきます」
エリックを振り切って出た。エルックは玄関で四つ這いになり手を差し伸べ言う。
「必ず帰って来て。マリー」
大袈裟な態度がイラつかせると振り向かなかった。いつものエリックだから相手にするのも煩わしい。後ろ姿のまま、手を左右に振って別れた。

