ブルークレールのソワレ ー甘いお菓子と公爵様の甘い溺愛ー







マリーは荷物の整理をしていた。ふっと目について母が書いていた公爵家の住所を、手にして、もう一度確認する。そしてダニエルに明日、菓子を届けようと思った。めったに注文を受けることがないのに、母が菓子を届けることにしたのは、何か事情があると感じ取った。早く届ければ、この状況から何か前進する予感がした。

「何、見てるの?」
「ああ、母が受けた注文書よ。明日ここに届けようと思って」
「どこ?一緒に行くよ」
「1人で届ける。私の仕事だもの」
「でも、子供の格好なのに大丈夫か?」
「届けるだけよ。どんな格好でも大丈夫よ」
「えー。心配だ」
「届けたらすぐに帰るわ。エリックは明日、学校じゃないの」
「そんなの学校どころじゃあないよ」
「駄目よ。ちゃんと行かなきゃ。研究のためにもね」
「う、うん・・・」

渋々返事をした。でも心の中では(もう子供じゃない大人なんだ。いや子供だけど。もうややこしいな。ああ、それにしても心配だ。)と同じ言葉の繰り返しだ。マリーには過保護過ぎるのだった。

マリーは母親のことを考えて、あまり眠れなかった。昨日の注文書を見たせいで、早く届けたくて仕方がなかった。
明るくなり子供の姿に変わると男の子の服装に着替えた。エリックのお下がりで、お出かけ用のいい服を出してくれた。男の子の姿でもお出掛け用のお洒落な服は嬉しい。鏡を見て服の可愛らしさに満足していた。

身支度を整えたら朝食の用意をした。子供が用意をするのはミルクの瓶にしても重い。大人の時は思わなかったのに、皿やコップまでもが、ずっしりとしていて運ぶのも一苦労だ。果物を剥いてもナイフが、こんなにも大きいのかとびっくりする。いきなり子供になったのだから仕方が無いのだろうと思った。

1年1年成長していくのが子供だと実感した。大人になって、また子供の繰り返しでは出来ることが、狭くなったり広がったりと、子供の大変さを改めて思い知らされる。そう考えるうちに子供頃を思い出した。父親に菓子作りを教えてもらった時の道具の重さに、父は凄い人で何でも軽々と持ち、素早く作り上げ魔法のようだと尊敬していた。マリーの瞳に涙が浮かでいた。
 エリックが起きてきたとき、マリーが泣いているのに気付いた。子供をあやすように抱きかかえて揺らした。

「どうしたマリー?寂しいのか?」
「大丈夫。何でもない。だから降ろして」

相変わらず赤ちゃん扱いされているのは、エリックの愛情表現だった。子供の姿だと、どうしても、そうなるのだろう。考えるといい人だとマリーは思った。身内は母親だけで誰も頼るものはいないと思っていたが、エリックがいたことに救われていた。

「エリック、早く食べないと遅刻するわよ」
「うん、朝食を用意してくれたんだ」
「何もお返し出来ないから、何かしたくて」
「ありがとう」
(マリーと結婚したら、こうして向い合せで食事ができるんだ。今は子供のマリーだけど。そうか、こんな風に子供もマリーに似て可愛いだろうな)と想像力が暴走していた。頭脳は高いが考えは幼稚だった。

なかなか学校に行きたがらないエリックを説き伏せて、やっと見送った。
そして片付けをして、出かける準備をした。注文書と菓子の入った袋を持ちエリックから借りた鍵をかけてボケットに入れた。

「さあ、行こう」

自分に気合を入れるように言った。何か進展がありますようにと心の中で願った。

注文書を頼りに公爵家を探した。分からないので通りすがりの人に道を尋ねた。するとすぐに答えてくれる。(有名な人なんだ)とマリーは思った。菓子作りだけ一筋に来た18年間は、何も不自由はないが、世間には疎いようだ。

「ダニエル様に何の用があるの?」と聞かれても
「注文の物を届けに行くだけです」と答えただけなのに、
「いいわね。ダニエル様に会えるなんて」
と返って来る言葉を聞けば、ダニエルという人物は相当、庶民にも人気があるのだと分かった。マリーが菓子を届けるのさえ、恐れ多いと思えたのだ。

「大丈夫かな。いやママが届けろと用意していた注文書だから、私に変な所へ行けといわないわ。」

自分に言い聞かすように独り言が自然と漏れた。
公爵家は大きな城だった。門番に事情を話して中に入れてもらおうとした。門番は執事に確認してもらうらしい。少し待たされたが、難なく中に入れてもらえた。

そこへ馬車が横を通り過ぎた。客車の後ろ側に紋章があった。それも母親を連れ去った馬車の紋章と同じだ。ベージュ系で色違いではあるが、もしかしてこの屋敷の者が黒幕で、誘拐事件を起こしているのではないかと考えた。自然と足が早まった。母親の居場所が分かるかもしれないと気持ちだけが前進させる。

入口の遠さは馬車で来る人ばかりなのだろう。速足で歩くが急かす心と裏腹に、上手く足は運ばない。焦るせいなのだ。落ち着かせるために一度止まり、深呼吸してから歩み出した。
入口の扉に着くと待ち構えていた執事が、ダニエルの部屋へと招いた。

「ダニエル様、菓子を届ける者が来ました」
「入れ」
「はい、失礼いたします」

扉を執事が開けるとダニエルが立っていた。笑顔を見せていたが、すーっと消えて真顔になった。マリーは菓子を待っていた手に力が入っていた。怖くて足がすくむのだった。

「子供か。そこに菓子を置いて帰っていい」

心を奮い立たせ、部屋にゆっくり入る。執事が扉を閉めると、その音にびっくりして飛び上がった。

「どうした。何も取って食おうとしないぞ」

間近に見るとダニエルの黒髪は、艶があり肩から30㎝くらい長いストレートだ。手足が長く長身に黒髪が映える。長い睫毛に縁どられた瞳は青みがかった灰色で鋭く冷たい感じがした。肌は色白で透き通るせいか、美形がより際立つ。アイドル的人気はこの美しい容姿にあった。

 マリーは誘拐の黒幕かも知れないと思うと、その美しい容姿も恐ろしくて仕方がない。振るえる手で、言われるとおりのテーブルに菓子を置いた。

「ありがとうございました」
「ところで少年。なぜ菓子を届けに来た?前からあの店にいたのか?」
「じ、実は、親戚の所にいて、ママが行方不明と聞き、お姉ちゃんに呼ばれて帰って来たんです」
「え、行方不明。どういうことだ」
「それが、僕も詳しくは聞かされていなくて、ただママを探すために帰って来たばかりなので」

今、ここで誘拐されたことを言えば危ないと思ってマリーは、たどたどしく説明していた。

「じゃ、あの菓子店はどうなる?」
「当面の間、店を閉めるとお姉ちゃんが言っていました」
「じゃ当分あの店の菓子は食べられないのか」

何か変だとは感じた。マリーの菓子店のファンなら母親を誘拐するだろうかと。だが犯人の気持ちは分かる訳ない。なにか企んでいるのなら、嘘もつくと思えた。美しい容姿には感情が読み取れなかった。

「そうか、食べられないとはな」

マリーはひらめいた。(ここで働けば母親を探せる。ダニエルが犯人だと突き止めることができるかもしれない。)そう思ったのだ。

「あの、ここでお姉ちゃんと僕を雇ってくれませんか?」
「雇う。どうして?」
「だって、今、菓子を食べられないのかと、がっかりしていたでしょ。僕達を雇えば、いつでも食べられますよ」
「そう、言われたらそうだな」
「ね、雇いましょう。今、断れれば、お姉ちゃんの菓子を二度と食べられないかも」
「脅かしか?」
「いえいえ。ただお互い困っている者同士。どうかなと思って」
「お互い困る?まあ、お気に入りの菓子を食べられないとは、そうなるかな。よし、雇おう。その代わり私専用だ」
「勿論です。では、お姉ちゃんと一緒に、住み込みでお願いします。部屋のベッドは一つでいいです」
「少年、いくつになる?まだ気持ちは赤ん坊だな」
「違う。1人だから」
「ひとり?」
「いや。姉ひとりだから、姉弟仲がいいんです」
「まあいい。すぐにでも来ればいい」
「明日来ます。よろしくお願いします」
「分かった」

ダニエルはニヤリと笑った。マリーはその様子を見て、また恐怖心が蘇った。だが母親のためだと言い聞かせた。そして、こちら側が罠をかけ本性を暴いてやると、勇気を奮い起こしたのだ。

マリーは働くにあたって条件が必要だと気付いた。それは昼、子供で、夜、大人だから決して、ばれてはいけない。そのための条件だ。帰ろうと思って扉に向っていたが、振り返ってダニエルに言った。

「あの、働くのに条件があるんです」
「何だ。雇い主に対して、いい度胸をしているな」
「例え雇い主でも同じ人間です。尊重して頂かないと」
「ほう、面白い。少年、尊重とは、どうして欲しい」

面白がってダニエルは質問した。この少年は心に2人いるのか、オドオドしていると思ったら、すぐに堂々と大人ぶって、生意気なことを言う。それに綺麗な顔はどことなく、あの菓子店の娘に似ていて可愛い。青い瞳は空の澄んだ色に見える。純粋な心を映すのだろうと考えていた。

「それはですね。夜に下ごしらえを、したいんです」
「何だ。そう言うことか。別に好きにすればいい」
「それから、夜に部屋に来ないこと」
「使用人の部屋には一度も入ったことはない。だから大丈夫だ」
「昼間はマリーには会えないので」
「どうしてだ?」
「マリーは太陽の光にあたるとアレルギー反応がでて、肌に火傷の症状が現れます」

これはエリックの知り合いで、そんな症状がでる人がいるのを聞いたことがあった。それをとっさに思いだして言ってしまった。嘘をついてでも目の前の子供が、マリーだと分かってはいけないのだ。それは犯人だと疑っているからだ。

「部屋の中だったら、大丈夫じゃないのか」
「駄目です。微量な光線でも大変なことになるのです。そういう病気なんです」
「だが店の厨房では支障がないように見えたが」
「あの時より悪化しています」
「待て、それは3日前ではなかったか?」
「日々、悪化しています」
「ふーん。解せないな」
「嫌なら別に雇ってもらわなくていいですよ」

ダニエルは不審に思った。だが、雇ってもらわなくていいと言われると惜しくなる。人間の心理をついてくる。ここで雇わないというのは簡単だが、このまま二度と会えないと思うと断るのは躊躇してしまうのだ。マリーに会うまでは、女に興味がないと思っていた。この時代の女は男に寄りかかり生きている。

もし男の地位が失踪してしまえば共倒れになる。だがマリーは女ながら自分の足で立ち、独立した職業婦人だ。店の主として立派に仕事をしている。しかも母親と二人で店を繁盛させている。そんな娘は稀だ。ダニエルの知る限りでは他に誰もいない。それにあれほどの菓子を、受け継ぎ継承している特別な存在。ダニエル自身も尊敬できる程であるのだから、このまま、いなくなられては困るのだ。

 疑わしいがダニエルには、そんな条件を飲めない訳ではない。逆にあの菓子と娘の存在が手元に入るのだから損はない。即答は癪に障るので、考えるふりをして、もったいぶって答えた。

「別に雇っても雇わなくても私は困らないが、一番困るのはそっちだろ」
「人の足元を見て、卑怯だ」
「人助けと思い、その条件で雇おう。貴族は慈善事業する義務があるからな」
「どれだけ上から目線だ」
「可愛い顔して、可愛げが無いな。子供は子供らしくしろ」
「そんなんじゃ、お姉ちゃんに嫌われるからな」
「大丈夫だ。私の地位と名誉をもってすれば、どんな女も難なく落ちる」
「お姉ちゃんは、そんなのに興味はない」
「それに、この容姿だ」
「ナルシストか」
「私が本気になれば簡単だ」目を閉じて冥想しているダニエルに呆れていた。
「聞こえてない?完全に自分の世界に浸っている。もう帰る」

なんだか無償に腹立たしいとマリーは思った。歩き方まで怒っていて、ドタドタと大きな足音が聞こえそうなくらいだ。扉に向かって歩いていると、後ろからダニエルの声がした。

「早く来いよ。待っている」
「うん、雇ってくれるなら、来てやるよ」

後ろを向いたままマリーは手を振って出て行った。その後ろ姿を見送るダニエルは、弟にも興味を持ちだした。弟がこんな面白い性格なら姉はどうなんだろうと、想像するだけでも楽しみだと思った。これから毎日会えるのだから。