窓の外から薄っすらと明るい光が射した。「きゃー」マリーの叫び声は朝の鳥の囀りをかき消した。慌ててエリックが寝室に飛び込んだ。すると目が合ったマリーがまたしても、子供の姿で鏡の前に立っていた。エリックは頭を抱えた。
「また子供になってる。どうして?」
「やぱりな。実験途中でマウスもその状態だった。昼は子供、夜は大人」
「有り得ない」
マリーの怖い顔を見ないように目をそらしてしまうが、エリックもこのままではいられないのは分かっていた。そして両手を握り誓うように言った。
「マリー、必ず元の姿に戻すから、時間をくれ。」
「本当に元に戻して」
マリーの真剣な眼差しで見つめられると、心が痛いとエリックは感じた。
「うん、必ずな」
マリーの頬につたう涙を優しく拭いた。そして片膝を立て、しゃがみ込み抱きしめた。子供をあやすように。実際に子供の姿だ。エリックは、もしマリーがこの姿のままならば、責任を取って一生、面倒をみようと思った。何らかの事情をつくって結婚をしたい魂胆だ。だが純粋に好きなのは変わらない。(マリーはともかく、俺が幸せになる自信はある)と思うのだ。
この時代は王権と領主の軍隊によって警察活動が行われていた。そこへマリーは子供のままでエリックと一緒に、母親と若い女性が誘拐されたことを通報した。
黒装束の3人の男達と黒い馬車のことも細かく話した。だが、似たような通報が炸裂していたようで、それに行方不明者が多いため、みつけることは容易ではないと言われた。通報することで母親が、すぐにみつかると期待していたが、たった今、絶望の淵に突き落とされた。
目の前が真っ暗になって、母親を探す手立てがない。今頃、母親は苦しんでいるのではないかと、不安ばかりが積のるのだった。その後の家に帰る足取りは重たかった。
「ママ、ごめんなさい。私だけが助かって」独り言のようにつぶやいていた。
「マリー落ち込むな、きっとナタリーさんはみつかるよ。あんないい人には神のご加護がある。大丈夫」
慰めの言葉に優しさを感じ、その反面、神頼みになる現実を受け入れなければならない状況だった。そしてエリックに頼ることを申し訳なく思っていると、自然と涙が出てきて、下を向いたまま一歩も動けなくなった。
すると体がふわっと浮いて、エリックに右側に縦に抱きかかえられた。まるで赤ちゃんを縦抱きにして、あやされているように思えたので、マリーはバタバタと足を動かしてエリックに言った。
「降ろして、子供じゃないわ」
「そんな姿で言うなよ。心が痛む。泣いてもいいよ。大人、子供は関係ない。泣きたい時に泣けば痛嘆が少しは癒える。思いを涙として表して、発散させなければ心が壊れるよ」
その言葉を素直に受け止め、エリックの首に腕を回し肩に顔を埋めて泣きじゃくった。周りから見ると子供が駄々をこねて泣いているように見えた。周りを気にせず泣くマリーは、背中をトントンと叩かれた振動に、優しさを感じて慰められていた。
エリックと相談して当面の間、店を閉めることにした。母親無しで店の切り盛りはできない。マリーひとりでは途方に暮れるに違いない。ナタリーは必ず帰って来ると信じて、店は再開すると強く誓い。休止の決断は早かった。
その後はエリックが、すぐに大家に店を一旦、閉めると伝えた。そして引っ越しをするために、荷物を纏めていた。必要な物を荷作りして、エリックの部屋に置かせてもらうことにした。母の物も纏めマリーの物は少なめにして、あとは処分した。少しでもエリックに迷惑にならないことを考えた。それから一番かさばるのは、お菓子作りの道具だった。父から受け継いだものは、何ひとつ処分できなかった。
処分してしまえば、店を再開できない気がしたからだ。エリックはその様子を見て、すぐにマリーの気持ちを理解できた。
「いいよ、全部持って行こう。全て大切な物だ」
「ありがとうエリック」
エリックは引っ越しの手伝いをしてくれて、優しい心遣いもある。マリーにとって、欠かせない友人であり幼馴染みに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
店の厨房で二人は箱に菓子作りの道具を入れていると出入口から物音がした。何事かと店頭に行ってみると二人組の黒装束の男がいた。マリーは昨日の攫われたことが蘇って、恐ろしくなりエリックの袖口をぎゅっと掴んだ。エリックはマリーを後ろに隠し男達に言った。
「何だ。お前ら何か用か?」
男は後ろに隠れているマリーに気付き押し退けようとしたが、エリックは力強く男の腕を掴み払い除けた。もう一人の男がマリーを横から攫うように引っ張り出した。
「いや!」
叫んだのは少年の姿のマリーだった。エリックが少女の姿では、可愛過ぎて危ないから少年の姿がいいとマリーを説得した。もしものこんな場面を想定していたのだ。
怯えるマリーの顔を見て男はがっかりした。
「何だ。子供か」
「ここにいた娘は、何処へ行った?」
「何でお前たちに、そんなこと答える必要があるんだ」
「この子が、どうなっても、いいんだな」
そう言うとマリーを押さえつけ、腕を後ろに回して捻りあげた。
「痛い」
「やめろ!ここの親子は行方不明だ。困った大家の手伝いで荷物を纏めている」
慌ててエリックは答えた。それを聞くとマリーをエリックにぶつけるようにして手放した。急いでマリーを抱きかかえると、怖がってしがみ付いてきた。
「そうなら早く言え、お前が匿ってると思うだろ!紛らわしい」
「じゃ、他を探しましょうか?」
「そうだな。ここら一帯を、もう一度捜索しよう」
そう言うと黒装束の男達は店から出て行った。マリーの呼吸が激しく苦しそうで、暫く間、抱きしめていた。落ち着くとエリックの腕から離れた。
「もう大丈夫よ」
「無理するな、怖がることは無い。マリーのためなら何でもするからな」
「ありがとう」
心細かった気持ちのせいか、幼馴染みでひ弱なエリックが、初めて頼もしく見えた。持つべきものは友だと思ったのだ。
一方、エリックは、かけがえのないマリーがいなくなると想像しただけで、生きる望みを失うとまで思えた。こんなにも愛しいのかと実感した。
「マリー、早く引っ越しを終えよう。また奴らが来たら、何か感づかれるかもしれない」
「うん、分かった。あっそうだ。忘れていた。あの日のお客様にお届け物があるの。作業台に注文書があった。ママが承った物は責任を持って仕上げないと、今後のために」
「マリー、そんなことをしていたら遅くなる。また・・・」
「エリック、分かっているわ。でもすぐよ。すぐ出来るから」
そう言うとマリーは薔薇のジャムを練り込んだチョコを作り始めた。
エリックは好きになった弱味で、マリーの言うことをへらへらして聞いてしまうのだ。しかもお菓子作りをしているマリーの可愛さにうっとりしながら見ていた。子供の姿でも可愛くて仕方がない。鼻の下を伸ばしたままみとれていた。目が合うとドキッとする。
「何見てんの?早く荷物を運んで」
「はいはい。そんな、きついとこも好きですよ」
「もう、早く」
エリックを店の厨房から追い出し、一人の世界に没頭した。そして薔薇のジャムを練り込んだチョコを仕上げ箱に入れた。もう一つ菫の砂糖漬けを倉庫から出して全部、瓶に詰めた。それらを纏めて袋に入れる。明日届けようと決めた。
辛い思いもお菓子を作ると少し忘れられた。だがその時間もあっという間に終了する。
また現実は母親のいない寂しさに戻されたのだった。
二人は朝から引っ越しの荷物を纏める間に、男達の邪魔が入ったとはいえ丸一日かかった。父親が亡くなり服も家具もシンプルに暮らそうと、ある程度の処分をしていた。それでも二人暮らしは、いつの間にか物が増えていた。エリックが一人
暮らしでなかったら、その荷物はどうしただろうと考えた。
エリックは医者の息子で将来、父親の大きな病院を継ぐことになっていた。今は学生で医師の勉強をしている。家では集中できないと部屋を借りていた。
本当は趣味の研究をしたかったからだ。若返りの薬でこの世の中をあっと言わせると夢見ている。研究とは予算がかかる。エリックの家は王室にも出入りするくらいだから、相当稼いでいるのだ。エリックに甘い父親は、できもしないと分かっていても、つい研究費を出してしまうのだった。
だからエリックの家から何でも借りられた。そこで荷物を運ぶ荷台と馬を借りた。エリックは荷台に荷物を運び終えていた。鍵を閉めエリックの家に向かった。マリーは荷台の後ろに乗り遠ざかる店を見て必ず帰って来ると心に誓った。
エリックの部屋はマリーの荷物を置くと狭くなった。それでもマリーのためだと思うだけで嬉しかった。大人の姿のマリーは、美しくそこにいるだけで全てが華やいで見えた。ずっと見惚れていた。ダニエルの存在を気付かない間は、有頂天になっているのが、ひと時のことだとは知る由もない。

