甘い香りが街並みに流れ、それにつられて客足は絶え間ない。そこは街で一番人気の菓子店Le petit bonheur(ル プティ ボヌー)小さな幸せ、という名だった。古びた街並みに、そこだけ花が咲いたような可愛いピンク色をベースにした空間だった。入るだけで幸せな気分になると噂が流れる程だ。何より味は抜群で、甘さが控えめだから、何個でも食べられると、評判をよんでいる。貴族たちまでも夢中にさせた。
公爵家のダニエルも、この店のファンで、月に何度も通っていた。普通、召使いに言いつけ購入させればいいものを、自分で足を運ばなければ気が済まない。ダニエルいわく、この空間も含めて満喫できる一部である。それに入るだけで何を購入しようかと心躍るという訳だ。
良くいえば幸せを感じているのだろうが、それはまんまと店の思う壺に嵌るということになる。甘い物への欲望が、店に来ることで爆発し、多くの菓子を買ってしまうのだ。きっと日々の疲れがそうさせるのだろう。
ここの店主は18才のマリーで、最近、父親を病で亡くし、母親のナタリーと2人で経営している。味は幼い頃から父親の英才教育で、パティシエールとして育てられた。だから新しい店主になろうと、この店の味は1ミリも変わっていないのだ。
その上、ナタリーは愛情深く、誰にでも優しさあふれる接客をする。素晴らしい対応で、この店にナタリーもいてこそ成り立っている。そしてどことなくダニエルの亡くなった母親に似ている。それもあって足を運んでしまうのだ。
店の隙間から厨房のマリーの横顔が見える。ダニエルは真剣な眼差しで菓子を作るマリーが眩しく思えた。こんなに誇り高く自信に満ちた人はいない。尊敬と感謝の気持ちが沸き上がるくらいだ。それに時々愛おしい微笑みを見せるのは、菓子に愛情を注いでいるのだろうとダニエルは思った。
「お客様、何に致しましょうか?」
「もうこれだけですか?」
数ある皿に入った菓子は、数えるくらいになっていた。店の雰囲気に浸っていたため時間を忘れて、気が付くと客はダニエル一人になっていた。
「はい、申し訳ございません」
「じゃ、全部いただきます」
「ありがとうございます」
「薔薇のチョコレートとすみれの砂糖漬けは、もう売り切れたのですか?」
「今日は早くに売り切れてしまったので、よろしければ、すぐに作り、お届け致します」
「いいんですか?」
「はい、いつもお買い上げ頂いているので、特別ですよ」
「それは嬉しい。是非お願いします」
「では、こちらに所とお名前を書いて下さい」
ペンを受け取り注文書に公爵家の場所と名前を書いて渡した。それをナタリーが見て少し驚いたような顔をした。それは公爵家の方が直接、来店されることはないからだ。女性なら時々来店されるが、男性の方は一度もない。直々に来店するとはマリーの作った菓子を、高評価していると思い嬉しくてしかたがない。明るい声でダニエルに話しかけた。
「公爵家のダニエル様でしたか。ダニエル様、自ら来店してくださり嬉しく思います。ありがとうございます」
「礼を言うのは、私の方だ。癒しの時間には、ここの菓子が欠かせないのです。私の好きな物を自ら選ぶ楽しみもあります。注文した菓子は、いつ届けて頂いてもいいですから」
「はい、出来るだけ早く、お渡し致します」
「ありがとう、楽しみだ」
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
ダニエルはナタリーが店に有るだけの菓子を包む様子を見ていた。大事に菓子をあつかい、手際よく包んでいる。受け取った時に可愛い生き物を渡されたような優しい気持ちになった。そして届けてもらう菓子と合わせて代金を払う。奥にいるマリーに感謝しながら自分の物になった菓子を壊れないように抱えて扉を出た。
外にある馬車に乗り込み、公爵家に帰って行った。
それと入れ替わりに黒い馬車が止まった。馬車に不具合がでたのか、馭者が降りて車輪を見ていた。大きな石に乗り上げていたと分かり、後輪に乗り上げないために道の端に投げた。すると一人の若い女が馬車から出て来て、マリーの店に血相を変えて、入り扉の鍵を慌ててかけた。
ナタリーは店の片付けをしていたので、突然入って来た女に驚いた。そして駆け寄って来た女はナタリーに助けを求めた。
「助けて誘拐される」
「どういうことですか?」
「分からないんです。歩いていたら急に拉致されました。このまま何処かに連れていかれたら、どうしていいか分からない」
「歩いていただけで、さらわれるなんて怖かったでしょう」
「はい」女は泣き出した。
「どうしたの?ママ」奥からマリーの声がした。
「マリー、この人が歩いていたら、さらわれたのよ」
ナタリーが言い終わらないうちに、外から扉を激しく叩き、鍵を壊そうとしている。あまりにも荒々しく叩くので木の扉は割れて砕けた。そして3人の男が入って来たと思ったら若い女を連れて行こうとした。
「貴方達、何しているんです。その娘さんを離しなさい」というとナタリーは女の手を握り、男から引き離そうとした。男は横柄な態度をして言った。
「うるさい!お前の出る幕じゃない」
ナタリーは突き飛ばされ、男の一人が女を背負い出て行こうとした。それでもナタリーは抵抗をして、後ろからその男の背中を両手で叩いて女を助けようとした。
