赤いスポーツカーに乗り込んでしまった。

だけれども、カズキ先輩に振られた可哀そうな大学生を最短ルートで脱却するにはこれしか無かったのだ。

世間様にどう思われてもかまわない。

なぜなら当時の私は自分のプライドをどうしても守りたかったから。

カズキ先輩に振られたことで己の女々しさがむき出しとなったのは、とても屈辱的だ。

だから私は赤いスポーツカーに乗っている。

隣を見ればナンパ男とはいえ、イケメンの横顔が見えた。

それに車を運転しているからかよりカッコよく見える。

どうして男の人って運転していると普段の何倍も素敵に見えるんだろう。

私がそう思っているとイケメンは私に視線を向ける。

「どうしたの?悲しそうな顔をしてるけど。」

低くてとても良い声が車内に響く。

まるでその声に侵食されているような感覚だ。

窓から見える景色は変わっていくのにその時だけ時が止まったみたいだった。

こんな感覚、カズキ先輩とのドライブでは味わえなかった気がする。

どうやらこのイケメンはカズキ先輩が持っていないものを持っているらしい。

それがなんなのか、その全体像を知るのにはまだスタートラインに立っている私。

そのラインを早く飛び越えてしまいたい衝動に思わず駆られる。

今の状況を詩的に表現するのなら、その男はジットリと心の隙間に入ってきただろうか。

絡みついてくる男の視線に思わず私は赤面する。

どうしてだろうか。

大人の余裕というものがその瞳から溢れ出ているような気がした。

思わず男の身体のラインをチェックする。

Tシャツの上からでもわかるしっかりとした胸板からはたくましさが溢れ出ていた。

男らしいというのはこういうものかもしれない。

今思えばカズキ先輩は社会を知らないただの大学生で、あの男は社会を知っている大人だった。

社会を知っているからこそ出る大人の余裕とか色気だとか、そういうものがその男からはにじみ出ていたのだ。

そして私はその男が持っている大人の余裕とやらに思わず心を委ねてしまった。

だから私は男の質問に正直に答えたのだ。

「彼氏に振られたんです。しかも今日。」

気づけばその時の私は泣いていた。

まるでコップに入れていた水が溢れだしたかのように流れる涙は勢いを増す。

洪水のように荒波まみれの私の心模様はこの男によってあらわになる。

人前で泣くことなんて小学生以来だ。

私が泣いていると男は黙って私を抱きしめた。

「え…!?」

突然のことに身体がビクンと跳ね上がり胸の鼓動はドキドキとうるさい。

男が抱き寄せてくるものだから身体がピッタリとくっついている。

だからきっとこの男には私がどれほどドキドキしているのか全部お見通しなのだろう。

私は大人なこの男に包まれている間に涙が止まっていることに気づいた。

それはまるで泣いている子供が大人にあやされているみたいでなんとも滑稽な光景でしかない。

私が思わず赤面していると男は余裕たっぷりにこう言った。

「涙、止まった?」

男は笑みを浮かべる。

その時だけはただのナンパ男から、ただの優しいお兄さんに変わっていた。

たくましいと思えば、この様に柔らかな一面を見せる時もある。

これがカズキ先輩とこの男の違いなのだろうと思った。

だけれども私は男の大人の余裕さの強さに悔しくなり、こう質問したのだ。

「どうして抱きしめたんですか?」

すると男は「今、このタイミングで言う?」とでも言いたげな表情を一瞬浮かべる。

しかしすぐに元に戻りこう言った。

「ほっとけないんだ。女の子が悲しんでいる姿って。」

そう言い終わると男はまたさっきのように淡々と運転しだす。

そしてその端正な横顔をこちらに見せる。

女の子が悲しんでいるのをほっとけないと男が言った時、やっぱりこの男はナンパ男なのだと思った。

きっとこの男が声をかけてこなかったら私たちはいつまでも交わることなく平行線だったに違いない。

そしてそれはまるで磁石のように引き寄せられて運命的だ。