ルーンの後を追い、森の奥深くへと進んでいく。瘴気はさらに濃くなり、普通の人間なら一歩進むごとに体力を奪われていくだろう。しかし、ルーンが私の数歩前を歩くたび、彼の足元から広がる微かな銀色の波動が、瘴気を和らげてくれているようだった。聖獣としての加護なのだろうか。

 (それにしても、この森の植物は異常だわ……)

 エリアーナは、錬金術師の目で周囲を観察する。植物はどれも毒々しい色に変色し、奇妙な形にねじくれている。錬金術の素材になるどころか、触れることさえ危険なものばかりだ。これでは、食べられるものなど見つかりそうにない。

 不安が募り始めた頃、ルーンは苔むした石造りの壁の前で足を止めた。

 蔦に覆われたその壁は、明らかに人工物だった。

 「これは……遺跡?」

 壁に沿って進むと、崩れかけたアーチ状の入り口が見つかった。ルーンは躊躇なくその中へと入っていく。エリアーナも、意を決して後に続いた。

 中は、広大な中庭のようになっていた。かつては美しい庭園だったのだろう、ひび割れた石畳や、役目を終えた噴水の残骸が点在している。ここもまた、長い年月の間に森に飲み込まれようとしていた。

 そして、その中央に、一際異様な光景が広がっていた。

 直径10メートルほどの泉。しかし、その水はヘドロのように濁り、紫黒色の瘴気を間欠泉のように噴き上げていた。泉の周囲だけ、草一本生えていない。この泉こそが、この一帯の汚染源であることは明らかだった。

 (ひどい……マナが澱み、腐敗している)

 ルーンは、その泉の前に悲しげに佇んでいる。彼は、この泉を浄化してほしくて、私をここに連れてきたのかもしれない。

 「できるかどうか、分からない。でも、やってみる価値はあるわ」

 エリアーナは、お腹の子のためにも、安全な飲み水の確保が最優先だと判断した。

 彼女は背負っていた麻袋から、追放前に咄嗟にポケットに隠し持っていた数本の試験管と、研究ノートの破れたページを取り出す。

 (瘴気は、不安定な負の属性を持つマナの集合体。これを中和するには、安定した正の属性のマナをぶつければいい。でも、そんなものはどこに……)

 思考を巡らせるエリアーナの目に、泉のほとりに転がる一つの石が留まった。乳白色で、微かに太陽の光を内包しているかのように温かい。

 「陽光石(サンストーン)……! こんなところに」

 この石には、光のマナを蓄積し、安定させる性質がある。これなら触媒に使えるかもしれない。

 エリアーナは、遺跡の隅でかろうじて自生していた、瘴気に耐性のある数種類の苔や薬草を採取した。ご都合主義ではない。これは、彼女が長年、古文書で読んだ知識――『大崩壊を生き延びた植物一覧』――に基づいた、必死の探索の結果だった。

 陽光石を別の石で砕き、粉末にする。薬草と苔をすり潰し、水筒に残っていたわずかな水と混ぜ合わせる。そして、陽光石の粉末を触媒として加えると、粘土状の塊は、まばゆい黄金色の光を放ち始めた。

 「お願い……!」

 エリアーナは、その光る塊を、意を決して泉の中心へと投げ込んだ。

 ジュウウウッ、と。

 塊が泉の水に触れた瞬間、酸が金属を溶かすような激しい音と共に、黒い蒸気が立ち上る。泉全体が沸騰したように泡立ち、エリアーナは思わず後ずさった。

 失敗か、と誰もが思ったその時。

 泉の中心から、黄金色の光の柱が天に向かって突き抜けた。汚染された水は、光の奔流に飲み込まれ、浄化されていく。

 やがて光が収まった時、そこに現れたのは、底まで透き通る、水晶のように清らかな水をたたえた泉だった。

 「……成功、した……」

 エリアーナが安堵でその場に座り込むと、ルーンが駆け寄り、感謝を示すように彼女の手に鼻先をすり寄せた。

 エリアーナは、生まれ変わった泉の水を両手ですくって口に含んだ。ほんのり甘く、身体の内側から力が満ちてくるような、最高の味だった。

 これで、飲み水の心配はなくなった。

 しかし、エリアーナの表情は晴れない。

 (泉は浄化できた。でも、根本的な原因は別にあるはず。なぜ、この遺跡の泉だけが、これほどまでに汚染されていたの?)

 彼女の視線は、泉の奥、遺跡のさらに深部へと続く、闇に閉ざされた通路へと向けられていた。

 この森の、そしてこの世界の歪みの根源が、あの闇の先で彼女を待っているような、そんな予感がした。