ヴォルフシュタイン城の大広間は、和平の訪れを祝う饗宴の熱気に包まれていた。
ヴァレリウス伯爵は、カイエンとエリアーナを称え、北方諸侯たちに巧みに取り入り、その心を掴んでいく。
「氷血公爵という、過去の悪評は、すべて『賢者の真眼』による情報操作!カイエン公爵閣下こそ、腐敗した王家から国を救う、真の英雄であられる!」
その言葉に、諸侯たちは熱狂し、カイエンへの忠誠を新たにする。だが、カイエンとギデオンだけは、その完璧すぎるまでの賞賛に、逆に警戒を強めていた。
饗宴の最中、母の隣で退屈そうにしていたアルヴィンが、うっかりテーブルのグラスを倒してしまった。
「あっ……!」
エリアーナが声を上げるより速く、アルヴィンの瞳が、強い光を放った。こぼれ落ちた葡萄酒は、床に染みをつくることなく、まるで意思を持ったかのように、再びグラスの中へと戻っていく。
ほんの一瞬の出来事。だが、ヴァレリウス伯爵の理知的な瞳が、その奇跡を見逃すことはなかった。
(……間違いない。あれこそが、『星の血脈』と『福音』が融合した、完璧なる『器』……)
彼の口元に、一瞬だけ、蛇のように冷たい笑みが浮かんだ。
かつて、彼の家は、国王の気まぐれな寵愛と、それに伴う嫉妬によって、一夜にして没落させられた過去を持つ。その時、彼は悟ったのだ。
『人の感情こそが、世界を乱す、最大の悪なのだ』と。
彼が「賢者の真眼」に与し、その頂点にまで登り詰めたのは、個人的な復讐心からではない。彼が目指すのは、ローゼンベルク家の「福音」の力を使い、全世界の人々の感情と思考を完全にコントロールし、争いも、嫉妬も、悲しみもない、完璧な調和の世界、すなわち、歪んだ理想郷を創造すること。そのためには、アルヴィンという「器」が、どうしても必要だったのだ。
その夜、エリアーナは、眠るアルヴィンの寝顔を見守っていた。
そこに、音もなく、ヴァレリウス伯爵が現れた。
「……何の御用でしょうか、伯爵」
「今宵の月は、美しいですな、エリアーナ様」
ヴァレリウスは、柔らかな笑みを浮かべたまま、続けた。
「王都を蝕む病ですが、あれは、我々が作り出したものです」
「……!」
「ご安心を。北方で、あれを解き放つつもりはありません。ですが、もし、我々の計画にご協力いただけないのなら、話は別です」
ヴァレリウスは、アルヴィンの眠るベッドに、冷たい視線を向けた。
「その子を、渡していただきたい。あの子は、世界を永遠の平和に導くための、『器』となるのです。あの子の力を使えば、人の心から争いを消し去り、すべてを調和させることができる」
「……それは、人の心を殺し、ただの人形に変えることと、同じですわ」
「人形、結構ではありませんか。感情という不完全なものに振り回されるから、人は過ちを犯すのです。さあ、賢明なご判断を。このまま、愚かな抵抗を続け、愛する我が子と、あなたの楽園が、無に帰するのを見たいのでなければ」
絶対的な自信。それは、城内に潜ませた仲間と、 密かに運んできたのであろう呪物が、すでに城の機能を麻痺させ始めているという確信に基づいていた。
エリアーナは、震える体を叱咤し、眠る我が子を守るように、立ちはだかった。
「お断りします。私の理想は、あなたのような独裁者に、誰一人として屈しない、自由な世界を作ること。そのために、私は戦います」
「……愚かな」
ヴァレリウスが指を鳴らした、その瞬間。城の各所で、小さな爆発が起こった。エリアーナが仕掛けた警報トラップが、一斉に作動したのだ。
だが、それは、敵の侵入を知らせる狼煙であると同時に、エリアーナたちが、巨大な鳥籠の中に閉じ込められたことを、告げる絶望の鐘でもあった。
ヴァレリウス伯爵は、カイエンとエリアーナを称え、北方諸侯たちに巧みに取り入り、その心を掴んでいく。
「氷血公爵という、過去の悪評は、すべて『賢者の真眼』による情報操作!カイエン公爵閣下こそ、腐敗した王家から国を救う、真の英雄であられる!」
その言葉に、諸侯たちは熱狂し、カイエンへの忠誠を新たにする。だが、カイエンとギデオンだけは、その完璧すぎるまでの賞賛に、逆に警戒を強めていた。
饗宴の最中、母の隣で退屈そうにしていたアルヴィンが、うっかりテーブルのグラスを倒してしまった。
「あっ……!」
エリアーナが声を上げるより速く、アルヴィンの瞳が、強い光を放った。こぼれ落ちた葡萄酒は、床に染みをつくることなく、まるで意思を持ったかのように、再びグラスの中へと戻っていく。
ほんの一瞬の出来事。だが、ヴァレリウス伯爵の理知的な瞳が、その奇跡を見逃すことはなかった。
(……間違いない。あれこそが、『星の血脈』と『福音』が融合した、完璧なる『器』……)
彼の口元に、一瞬だけ、蛇のように冷たい笑みが浮かんだ。
かつて、彼の家は、国王の気まぐれな寵愛と、それに伴う嫉妬によって、一夜にして没落させられた過去を持つ。その時、彼は悟ったのだ。
『人の感情こそが、世界を乱す、最大の悪なのだ』と。
彼が「賢者の真眼」に与し、その頂点にまで登り詰めたのは、個人的な復讐心からではない。彼が目指すのは、ローゼンベルク家の「福音」の力を使い、全世界の人々の感情と思考を完全にコントロールし、争いも、嫉妬も、悲しみもない、完璧な調和の世界、すなわち、歪んだ理想郷を創造すること。そのためには、アルヴィンという「器」が、どうしても必要だったのだ。
その夜、エリアーナは、眠るアルヴィンの寝顔を見守っていた。
そこに、音もなく、ヴァレリウス伯爵が現れた。
「……何の御用でしょうか、伯爵」
「今宵の月は、美しいですな、エリアーナ様」
ヴァレリウスは、柔らかな笑みを浮かべたまま、続けた。
「王都を蝕む病ですが、あれは、我々が作り出したものです」
「……!」
「ご安心を。北方で、あれを解き放つつもりはありません。ですが、もし、我々の計画にご協力いただけないのなら、話は別です」
ヴァレリウスは、アルヴィンの眠るベッドに、冷たい視線を向けた。
「その子を、渡していただきたい。あの子は、世界を永遠の平和に導くための、『器』となるのです。あの子の力を使えば、人の心から争いを消し去り、すべてを調和させることができる」
「……それは、人の心を殺し、ただの人形に変えることと、同じですわ」
「人形、結構ではありませんか。感情という不完全なものに振り回されるから、人は過ちを犯すのです。さあ、賢明なご判断を。このまま、愚かな抵抗を続け、愛する我が子と、あなたの楽園が、無に帰するのを見たいのでなければ」
絶対的な自信。それは、城内に潜ませた仲間と、 密かに運んできたのであろう呪物が、すでに城の機能を麻痺させ始めているという確信に基づいていた。
エリアーナは、震える体を叱咤し、眠る我が子を守るように、立ちはだかった。
「お断りします。私の理想は、あなたのような独裁者に、誰一人として屈しない、自由な世界を作ること。そのために、私は戦います」
「……愚かな」
ヴァレリウスが指を鳴らした、その瞬間。城の各所で、小さな爆発が起こった。エリアーナが仕掛けた警報トラップが、一斉に作動したのだ。
だが、それは、敵の侵入を知らせる狼煙であると同時に、エリアーナたちが、巨大な鳥籠の中に閉じ込められたことを、告げる絶望の鐘でもあった。
