警報が鳴り響く城内を、カイエンと兵士達が疾風のごとく駆け抜けていた。

 「リリアーナ様の部屋からだ!急げ!」

 だが、彼らが部屋に踏み込んだ時、そこには血の海に倒れるリリアーナの姿と、開け放たれた窓があるだけだった。暗殺者の気配は、完全に消えていた。

 その頃、エリアーナの寝室。

 アルヴィンを腕に抱き、不安げに警報の音を聞いていたエリアーナの背後で、ゆらり、とカーテンが揺れた。次の瞬間、カーテンの影と同化していた「無貌」が、毒を塗った短剣を手に、エリアーナへと襲いかかる。

 あまりにも静かで、速い一撃。誰もが、避けられないと思った、その時。

 「グルオオオオオオッ!」

 部屋の隅でアルヴィンを守るように眠っていた聖獣ルーンが、雷のような速さで飛び起きた。その巨体は暗殺者の体を弾き飛ばし、聖なる波動をまとった牙が、影の腕に深々と突き刺さる。

 「……聖獣……だと……!?」

 「無貌」は、想定外の守護者の存在に驚愕し、腕を引きちぎられる痛みも構わず、再び闇の中へと姿を消した。

 そこに、カイエンと、瀕死のリリアーナを抱えた兵士達が駆け込んできた。

 「エリアーナ!無事か!」

 「カイエン様……!姉様!?」

 エリアーナは、血に染まった姉の姿を見て、悲鳴を上げた。彼女は兵士達からリリアーナを受け取ると、その体を強く抱きしめた。

 「姉様!しっかりして!」

 「……エリ……アナ……」

 リリアーナは、薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞って、妹の耳元で囁いた。

 「……気をつけて……組織、『賢者の真眼』の狙いは……『星の血脈』……アルヴィン……そして……私は……たぶん……マーサの……子……」

 その言葉を最後に、リリアーナの体から、ふっと力が抜けた。

 かつて、妹のすべてを憎み、すべてを奪おうとした姉は、最後に、妹とその子を守るために、その命を散らしたのだった。

 姉の亡骸を抱きしめながら、エリアーナは嗚咽した。憎んでいたはずなのに、涙が止まらなかった。蝶と花の記憶、断罪の夜会、そして、診療所での再会。姉との歪んだ歴史のすべてが、今はただ、愛おしい思い出となって胸を締め付けた。

 『姉様、見ていて。あなたの命を奪った者たちを、私が、この手で……』

 姉の死は、彼女の中から、わずかに残っていた甘さを消し去った。母として、錬金術師として、そして、リリアーナ・フォン・ローゼンベルクの唯一人の妹として。彼女は、戦うことを決意した。

 静まり返った部屋で、カイエンは、エリアーナの肩を静かに抱いた。

 彼の顔から、感情というものが、再び消え失せていた。だが、それは以前の彼がまとっていた、自らを守るための氷の仮面ではない。

 怒り、悲しみ、憎しみ、そのすべてを昇華させた、絶対君主としての、鋼の意志だった。

 彼は、窓の外で続く戦場の空と、腕の中ですやすやと眠る、銀色の髪の我が子を見下ろした。

 「……エリアーナ。聞こえるか」

 「……はい」

 「俺は、今、ここに誓う。お前と、アルヴィンと、そして、リリアーナの魂に誓う。俺たちの楽園を脅かす者は、それが王都であろうと、黒獅子であろうと、『賢者の真眼』であろうと、この世から一片残らず消し去る。俺の論理のすべてを懸けて」

 それは、氷の公爵が、復讐の鬼神へと変貌を遂げた瞬間だった。