地響きと共に現れた北方軍。その先頭で馬を降りたカイエンは、目の前に広がる阿鼻叫喚の地獄を、一切の感情を排したアイスブルーの瞳で見据えた。
彼の視線は、暴徒と化した民の苦悶でも、錯乱するリリアーナの悲鳴でもなく、ただ一点――お腹を庇いながらも、気丈に立つエリアーナの姿だけを捉えていた。
「カイエン様……!」
エリアーナの声に、彼は静かに頷く。
「状況は理解した。――ギデオン!」
「はっ!」
「負傷者を後退させ、これ以上被害が拡大しないよう、村の周囲を完全に包囲。抵抗する者は殺すな。だが、四肢を砕いてでも動きを止めろ。これは、民を救うための『外科手術』だ。感傷は不要」
その命令は、あまりにも冷徹で、合理的だった。
ギデオンは一瞬ためらう。民を傷つけることに、彼の騎士道が悲鳴を上げる。だが、主君の瞳に宿る、民の命を一つでも多く救うという絶対的な意志を前に、彼は唇を噛み締め、深く頭を下げた。
「……御意」
かつての彼ならば、被害を最小限に抑えるため、暴徒と化した村人を躊躇なく切り捨てていただろう。それが最も「論理的」な判断だからだ。
だが、今の彼は違う。エリアーナという守るべき存在を知り、父の言葉の真意を理解した彼の「論理」は、より高次元の目的のために機能する。
『民を守る』という大目的のためには、時に非情な手段も必要となる。だが、それは皆殺しという安易な道ではない。たとえ骨を砕かれようと、命さえあればエリアーナの錬金術で再生できる。彼の非情さは、エリアーナという希望を信じているからこその、絶対的な信頼に基づいた選択だった。
カイエンは、エリアーナの隣に立つと、錯乱するリリアーナと、その隣で顔面蒼白のレオンを一瞥した。
「元凶は、お前たちか」
その地を這うような低い声に、レオンは全身を震わせた。この男には、どんな言い訳も通用しない。捕らえられれば、待っているのは死よりも惨めな結末だろう。
追い詰められたレオンの脳裏に、これまでの人生が駆け巡る。
彼は、常に「正しい」選択をしてきたはずだった。才能はあるが地味なエリアーナより、華やかで次期王妃と目されるリリアーナを選ぶこと。それが、騎士として名誉を得るための、最善の道だと信じていた。
その選択を間違いだったと認めることは、彼自身の人生のすべてを否定することに等しい。
『俺は、間違っていない。間違っているのは、世界の方だ!』
極限状態に追い詰められた彼の精神は、ついに破綻をきたす。彼は、懐に隠し持っていた最後の切り札――「賢者の真眼」から与えられた、禁断の魔道具を取り出した。それは、術者の生命力を対価に、周囲のマナを暴走させる、自爆用の呪具だった。
「聖女様を……僕の信じた正義を、お前なんかに汚されてたまるかあああ!」
レオンは、錯乱したリリアーナの手を取り、魔道具を起動させようとする。リリアーナを人質に、この場から逃れるか、あるいは、全員を道連れにするか。もはや、彼の思考に理性の欠片もなかった。
その狂気に満ちた行動を、カイエンの氷の視線が射抜く。
しかし、カイエンが動くより速く、一つの影が動いた。
エリアーナだった。
「それは、させません」
彼女は、カイエンの制止を振り切り、レオンとリリアーナの前に立ちはだかる。その手には、いつの間にか調合を終えていた、淡い光を放つ液体入りの試験管が握られていた。
「姉様。そして、レオン。あなた達が犯した罪の代償は、ここで、私の手で払わせていただきます」
その瞳は、もはや被害者としての弱さなど微塵も感じさせない。自らの知識と意志で、運命を切り拓こうとする、一人の錬金術師の覚悟に満ちていた。
彼の視線は、暴徒と化した民の苦悶でも、錯乱するリリアーナの悲鳴でもなく、ただ一点――お腹を庇いながらも、気丈に立つエリアーナの姿だけを捉えていた。
「カイエン様……!」
エリアーナの声に、彼は静かに頷く。
「状況は理解した。――ギデオン!」
「はっ!」
「負傷者を後退させ、これ以上被害が拡大しないよう、村の周囲を完全に包囲。抵抗する者は殺すな。だが、四肢を砕いてでも動きを止めろ。これは、民を救うための『外科手術』だ。感傷は不要」
その命令は、あまりにも冷徹で、合理的だった。
ギデオンは一瞬ためらう。民を傷つけることに、彼の騎士道が悲鳴を上げる。だが、主君の瞳に宿る、民の命を一つでも多く救うという絶対的な意志を前に、彼は唇を噛み締め、深く頭を下げた。
「……御意」
かつての彼ならば、被害を最小限に抑えるため、暴徒と化した村人を躊躇なく切り捨てていただろう。それが最も「論理的」な判断だからだ。
だが、今の彼は違う。エリアーナという守るべき存在を知り、父の言葉の真意を理解した彼の「論理」は、より高次元の目的のために機能する。
『民を守る』という大目的のためには、時に非情な手段も必要となる。だが、それは皆殺しという安易な道ではない。たとえ骨を砕かれようと、命さえあればエリアーナの錬金術で再生できる。彼の非情さは、エリアーナという希望を信じているからこその、絶対的な信頼に基づいた選択だった。
カイエンは、エリアーナの隣に立つと、錯乱するリリアーナと、その隣で顔面蒼白のレオンを一瞥した。
「元凶は、お前たちか」
その地を這うような低い声に、レオンは全身を震わせた。この男には、どんな言い訳も通用しない。捕らえられれば、待っているのは死よりも惨めな結末だろう。
追い詰められたレオンの脳裏に、これまでの人生が駆け巡る。
彼は、常に「正しい」選択をしてきたはずだった。才能はあるが地味なエリアーナより、華やかで次期王妃と目されるリリアーナを選ぶこと。それが、騎士として名誉を得るための、最善の道だと信じていた。
その選択を間違いだったと認めることは、彼自身の人生のすべてを否定することに等しい。
『俺は、間違っていない。間違っているのは、世界の方だ!』
極限状態に追い詰められた彼の精神は、ついに破綻をきたす。彼は、懐に隠し持っていた最後の切り札――「賢者の真眼」から与えられた、禁断の魔道具を取り出した。それは、術者の生命力を対価に、周囲のマナを暴走させる、自爆用の呪具だった。
「聖女様を……僕の信じた正義を、お前なんかに汚されてたまるかあああ!」
レオンは、錯乱したリリアーナの手を取り、魔道具を起動させようとする。リリアーナを人質に、この場から逃れるか、あるいは、全員を道連れにするか。もはや、彼の思考に理性の欠片もなかった。
その狂気に満ちた行動を、カイエンの氷の視線が射抜く。
しかし、カイエンが動くより速く、一つの影が動いた。
エリアーナだった。
「それは、させません」
彼女は、カイエンの制止を振り切り、レオンとリリアーナの前に立ちはだかる。その手には、いつの間にか調合を終えていた、淡い光を放つ液体入りの試験管が握られていた。
「姉様。そして、レオン。あなた達が犯した罪の代償は、ここで、私の手で払わせていただきます」
その瞳は、もはや被害者としての弱さなど微塵も感じさせない。自らの知識と意志で、運命を切り拓こうとする、一人の錬金術師の覚悟に満ちていた。
