治療は、村の広場に設置された、臨時の天幕の中で始まった。
エリアーナは、ぐったりと横たわる少女アンナの血液を少量採取すると、携帯用の分析装置にかける。その間も、天幕の外からは、リリアーナを称え、エリアーナを罵る村人たちの声が聞こえていた。
「見なさい、あの不気味な道具を!あれこそ、魔女の証拠だ!」
レオンが、村人たちの不安を煽るように叫ぶ。
カイエンに完膚なきまでに論破されたあの日から、彼のプライドはズタズタだった。彼が信じる道が「正しい」と証明するためには、リリアーナが勝ち、エリアーナが破滅するしかない。もはや、彼を突き動かしているのは、リリアーナへの忠誠心というよりも、自らの選択を「間違いではなかった」と思い込みたい、悲しいまでの自己正当化の欲求だった。
レオンに扇動された数人の村人が、天幕に乱入しようとする。
「聖女様を惑わすな!」
その前に立ちはだかったのは、鋼の壁と化したギデオンだった。
「これ以上は、一歩も通さん。エリアーナ様は、我らが主君の命により、この村を救うためにここにおられる。それを邪魔する者は、公爵への反逆と見なす!」
ギデオンの気迫と、彼の背後で静かに、しかし神々しい威圧感を放つ聖獣ルーンの姿に、村人たちは怯むしかなかった。
守られていることを確信したエリアーナは、分析に集中する。
モニターに映し出されたマナ構造を見て、彼女は息を呑んだ。
「これは……病気じゃない。マナの遺伝子情報そのものを、強制的に書き換える『呪い』……!」
姉が、そしてその背後にいる組織が、どれほど非人道的な行いをしていたかを改めて思い知り、エリアーナの全身を静かな怒りが貫く。
だが、怒りに身を任せる時間はない。
彼女は、持参した「星雫苔」を乳鉢ですり潰し、アンナの血液サンプルから特定したマナ配列に対応する、数種類の薬草と精密に調合していく。それは、魔法のような奇跡ではない。ウイルスの抗体を作るように、呪いの配列を無力化する「解呪薬」を、論理的に構築していく、極めて科学的な作業だった。
数時間後。夜が白み始める頃、緑色に淡く輝く一服の薬が完成した。
エリアーナは、祈るような思いで、それをアンナの口元へと運ぶ。
薬が、少女の体へと吸い込まれていく。
そして、奇跡は起きた。
アンナの体を蝕んでいた、紫黒色の斑点が、まるで朝日に溶ける雪のように、すうっと消えていく。浅く、苦しげだった呼吸は、次第に穏やかな寝息へと変わっていった。
夜が完全に明け、朝日が天幕に差し込む頃、アンナはゆっくりと、その瞼を開けた。
「……おじいちゃん……?」
そのか細い声を聞いた瞬間、天幕の外で見守っていた村長クラウスは、その場に崩れ落ち、嗚咽した。
「奇跡だ……!」
「アンナが、助かったぞ!」
村人たちの間に、歓喜の輪が広がる。彼らがエリアーナに向ける目は、もはや憎悪ではなく、畏敬と感謝の色に変わっていた。
リリアーナとレオンは、信じられないという表情で、その光景を呆然と見つめていた。自分たちの完璧だったはずの舞台が、音を立てて崩れていく。
だが、その歓喜を打ち破るように、悲鳴が上がった。
「うわああああ!」
リリアーナの偽薬を飲み、一時的に回復していたはずの村人たちが、次々とその場に倒れ、苦しみ始めたのだ。その体は黒い血管を浮き上がらせ、目は赤く充血し、まるで理性を失った獣のように、近くの者に襲いかかろうとしていた。
偽薬の副作用ではない。
エリアーナがアンナの呪いを解いたことが「引き金」となり、他の患者たちの体内に潜んでいた呪いが、第二段階へと進化したのだ。
「賢者の真眼」が仕掛けた、本当の罠。病を治せば、より大きな絶望が生まれるという、悪魔の二段構え。
歓喜に沸いていた村は、一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄へと姿を変えた。
エリアーナは、助けたはずの少女アンナを庇いながら、絶望的な光景を前に、歯を食いしばった。
本当の戦いは、今、始まったばかりだったのだ。
エリアーナは、ぐったりと横たわる少女アンナの血液を少量採取すると、携帯用の分析装置にかける。その間も、天幕の外からは、リリアーナを称え、エリアーナを罵る村人たちの声が聞こえていた。
「見なさい、あの不気味な道具を!あれこそ、魔女の証拠だ!」
レオンが、村人たちの不安を煽るように叫ぶ。
カイエンに完膚なきまでに論破されたあの日から、彼のプライドはズタズタだった。彼が信じる道が「正しい」と証明するためには、リリアーナが勝ち、エリアーナが破滅するしかない。もはや、彼を突き動かしているのは、リリアーナへの忠誠心というよりも、自らの選択を「間違いではなかった」と思い込みたい、悲しいまでの自己正当化の欲求だった。
レオンに扇動された数人の村人が、天幕に乱入しようとする。
「聖女様を惑わすな!」
その前に立ちはだかったのは、鋼の壁と化したギデオンだった。
「これ以上は、一歩も通さん。エリアーナ様は、我らが主君の命により、この村を救うためにここにおられる。それを邪魔する者は、公爵への反逆と見なす!」
ギデオンの気迫と、彼の背後で静かに、しかし神々しい威圧感を放つ聖獣ルーンの姿に、村人たちは怯むしかなかった。
守られていることを確信したエリアーナは、分析に集中する。
モニターに映し出されたマナ構造を見て、彼女は息を呑んだ。
「これは……病気じゃない。マナの遺伝子情報そのものを、強制的に書き換える『呪い』……!」
姉が、そしてその背後にいる組織が、どれほど非人道的な行いをしていたかを改めて思い知り、エリアーナの全身を静かな怒りが貫く。
だが、怒りに身を任せる時間はない。
彼女は、持参した「星雫苔」を乳鉢ですり潰し、アンナの血液サンプルから特定したマナ配列に対応する、数種類の薬草と精密に調合していく。それは、魔法のような奇跡ではない。ウイルスの抗体を作るように、呪いの配列を無力化する「解呪薬」を、論理的に構築していく、極めて科学的な作業だった。
数時間後。夜が白み始める頃、緑色に淡く輝く一服の薬が完成した。
エリアーナは、祈るような思いで、それをアンナの口元へと運ぶ。
薬が、少女の体へと吸い込まれていく。
そして、奇跡は起きた。
アンナの体を蝕んでいた、紫黒色の斑点が、まるで朝日に溶ける雪のように、すうっと消えていく。浅く、苦しげだった呼吸は、次第に穏やかな寝息へと変わっていった。
夜が完全に明け、朝日が天幕に差し込む頃、アンナはゆっくりと、その瞼を開けた。
「……おじいちゃん……?」
そのか細い声を聞いた瞬間、天幕の外で見守っていた村長クラウスは、その場に崩れ落ち、嗚咽した。
「奇跡だ……!」
「アンナが、助かったぞ!」
村人たちの間に、歓喜の輪が広がる。彼らがエリアーナに向ける目は、もはや憎悪ではなく、畏敬と感謝の色に変わっていた。
リリアーナとレオンは、信じられないという表情で、その光景を呆然と見つめていた。自分たちの完璧だったはずの舞台が、音を立てて崩れていく。
だが、その歓喜を打ち破るように、悲鳴が上がった。
「うわああああ!」
リリアーナの偽薬を飲み、一時的に回復していたはずの村人たちが、次々とその場に倒れ、苦しみ始めたのだ。その体は黒い血管を浮き上がらせ、目は赤く充血し、まるで理性を失った獣のように、近くの者に襲いかかろうとしていた。
偽薬の副作用ではない。
エリアーナがアンナの呪いを解いたことが「引き金」となり、他の患者たちの体内に潜んでいた呪いが、第二段階へと進化したのだ。
「賢者の真眼」が仕掛けた、本当の罠。病を治せば、より大きな絶望が生まれるという、悪魔の二段構え。
歓喜に沸いていた村は、一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄へと姿を変えた。
エリアーナは、助けたはずの少女アンナを庇いながら、絶望的な光景を前に、歯を食いしばった。
本当の戦いは、今、始まったばかりだったのだ。
