エリアーナが「星雫苔」の万能触媒としての可能性に胸を躍らせていた、まさにその時。

 北方領地の最西端に位置するグラーヴェン村から、凶報がカイエンの元にもたらされた。

 「原因不明の病……だと?」

 カイエンのアイスブルーの瞳が、報告書を睨みつけ、鋭さを増す。

  報告によれば、村人の数割が突如として高熱と呼吸困難を訴え、次々と倒れているという。

 カイエンが即座に派遣した公爵家直属の医師団も、なすすべがなかった。

 「いかなる解熱薬も、マナ回復薬も効果がなく、まるで患者の生命力そのものが、内側から喰い荒らされているかのようです」

 カイエンの脳裏に、両親を蝕んだ原因不明の毒の記憶が蘇る。

 彼の論理は、これが単なる自然発生の病ではないと、瞬時に結論付けていた。

 「ギデオン。村を完全に隔離し、外部からの侵入を一切禁じろ。そして、医師団に追加の物資を。何としても、感染拡大を防ぐ」

  彼の指示は、常に冷静で、論理的だ。

 だが、その声には、自らの民を襲う見えざる敵に対する、氷のような怒りが滲んでいた。

 しかし、カイエンの迅速な対応を嘲笑うかのように、事態は最悪の方向へと転がっていく。

  病の発生から数日後。絶望に包まれたグラーヴェン村に、まばゆい光が差した。王都の紋章を掲げた豪奢な馬車。そこから現れたのは、純白のドレスに身を包み、慈愛に満ちた笑みを浮かべる、聖女リリアーナ・フォン・ローゼンベルクだった。

 「皆様、ご安心ください。わたくしが、女神様の導きにより完成させた奇跡の薬をお持ちしました」

  彼女が高らかに掲げた小瓶には、虹色に輝く液体が入っていた。エリアーナがかつて作り上げた「アルカナ・エリクシル」の、粗悪な模倣品だ。

 彼女の行動原理は、常に「エリアーナを超える」こと、そして「誰よりも注目され、賞賛されること」。

 エリアーナの才能は、彼女にとって最大のコンプレックスであり、同時に最も利用価値のある道具だった。

 『エリアーナがいない今、私が本物の聖女になるのよ。私が作り出した悲劇を、私が救う。これ以上の物語があるかしら?』

  彼女は、自作自演の救世主を演じることで、エリアーナへの劣等感を埋め、民衆の喝采という蜜を貪ろうとしていた。それは、かつて王城の夜会で、妹の研究成果を自分の手柄として発表した、あの日の歪んだ高揚感の再現だった。

 リリアーナは、苦しむ村人一人一人に優しく声をかけ、薬を分け与えていく。

 薬を飲んだ者は、熱が引き、顔色が戻った。

 「おお……聖女様……!」

  「聖女様、ありがとうございます!」

  絶望の淵にいた村人たちは、目の前の奇跡に熱狂し、リリアーナを本物の救世主として崇め始めた。

 その光景を、物陰から見ていたレオンは、満足げに口元を歪める。

 「噂を流せ。『氷血公爵様は、我らを見捨てた。我らを救ってくださったのは、王都の聖女様だけだ』と」

 カイエンの論理的な統治では決して埋められない、人の心の隙間。

 リリアーナの偽善は、その最も弱い部分に、毒のように甘く染み渡っていった。 北方の地で、カイエンへの忠誠が、静かに、しかし確実に蝕まれ始めていた。