岩盤がエリアーナに激突する、その刹那。
マナの共鳴による激痛に苛まれていたはずのカイエンが、獣のような速さで動いた。彼はエリアーナを突き飛ばし、自らが盾となって崩れ落ちてくる巨大な岩をその背に受けた。
「カイエン様!」
エリアーナの悲鳴と、岩が砕け散る轟音が洞窟に響き渡る。
カイエンの論理を超えた、本能的な行動だった。彼自身、なぜ動いたのか分からなかった。ただ、彼女を失ってはならない、と魂が叫んでいた。
その瞬間、呪いの心臓が、ガラスのように砕け散った。
禍々しい脈動が止み、瘴気はまるで朝霧が晴れるように、すうっと消えていく。洞窟の天井に開いた亀裂から、数百年ぶりに、本物の太陽の光が差し込んできた。
「……終わった……」
エリアーナが呟くと、全身の力が抜け、その場に座り込んだ。カイエンは背中に深い傷を負いながらも、そのアイスブルーの瞳で、光に照らされるエリアーナの横顔を静かに見つめていた。
彼女は「謎」でも「道具」でもない。共に死線を越えた、かけがえのないパートナーだ。その事実が、彼の凍てついた心に、確かな温もりを灯していた。
洞窟の外では、ギデオンとルーンが呆然と空を見上げていた。
瘴気が消え、ねじくれていた木々が、ゆっくりと本来の姿を取り戻そうとしている。鳥のさえずりさえ聞こえる。黒の森が、生命の息吹を取り戻していく、奇跡の瞬間だった。
「公爵様!」
ギデオンが洞窟に駆け込むと、そこには傷つきながらも互いを支え合う主君とエリアーナの姿があった。安堵と喜びで、歴戦の騎士の目から涙がこぼれ落ちる。
遺跡に戻り、エリアーナがカイエンの傷の手当てをしていた、その時だった。
一人の騎士が、血相を変えて駆け込んできた。
「申し上げます! 北方諸侯の一角、グライフェン辺境伯が、騎士団を率いてこちらへ!」
ギデオンの顔色が変わる。グライフェン辺境伯は、古くからヴォルフシュタイン家に仕える重鎮だが、同時に誇り高く、猜疑心の強い男でもあった。
彼らが遺跡の外に出ると、そこには武装した百名以上の騎士団と、その先頭に立つ初老の男――グライフェン辺境伯の姿があった。
辺境伯は、深手を負ったカイエンと、その隣に立つ身重のエリアーナを一瞥すると、侮蔑を隠さない声で言った。
「これは、一体どういうことでございますか、公爵様」
その声は、王都から流れてきた噂によって、悪意に満たされていた。
『氷血公爵は、国を追われた罪人の魔女に誑かされ、領地の統治を放棄した』
『黒の森の異変は、公爵が魔女と禁断の儀式を行ったせいだ』
彼がヴォルフシュタイン家に仕えるのは、その絶対的な力と、揺るぎない統治の「論理」を信奉しているからだ。彼にとって、カイエンが「感情」に流され、罪人である女を側に置くことは、その秩序を乱す許しがたい裏切りだった。彼は、自らの信じる「正義」と「秩序」のために、主君に刃を向けることも厭わない、古いタイプの武人なのだ。
「噂は、真であったか。貴方様は、そのような女のために、我らが北方を危機に晒しておられたのですな。もはや、公爵としての資格はありますまい」
辺境伯の言葉に、周囲の騎士たちが殺気立つ。
カイエンは深手を負い、万全の状態ではない。エリアーナも、儀式の代償でマナを使い果たしている。
ギデオンはカイエンの前に立ち、剣を抜いた。だが、相手は味方であるはずの北方騎士団。その数はあまりにも多い。
ようやく掴みかけた平穏。愛する我が子のための楽園。
それが今、人の悪意という、最も厄介な脅威によって、再び打ち砕かれようとしていた。
カイエンは、エリアーナを背に庇いながら、静かに、しかし燃えるような怒りを宿した瞳で、かつての忠臣を見据えた。
マナの共鳴による激痛に苛まれていたはずのカイエンが、獣のような速さで動いた。彼はエリアーナを突き飛ばし、自らが盾となって崩れ落ちてくる巨大な岩をその背に受けた。
「カイエン様!」
エリアーナの悲鳴と、岩が砕け散る轟音が洞窟に響き渡る。
カイエンの論理を超えた、本能的な行動だった。彼自身、なぜ動いたのか分からなかった。ただ、彼女を失ってはならない、と魂が叫んでいた。
その瞬間、呪いの心臓が、ガラスのように砕け散った。
禍々しい脈動が止み、瘴気はまるで朝霧が晴れるように、すうっと消えていく。洞窟の天井に開いた亀裂から、数百年ぶりに、本物の太陽の光が差し込んできた。
「……終わった……」
エリアーナが呟くと、全身の力が抜け、その場に座り込んだ。カイエンは背中に深い傷を負いながらも、そのアイスブルーの瞳で、光に照らされるエリアーナの横顔を静かに見つめていた。
彼女は「謎」でも「道具」でもない。共に死線を越えた、かけがえのないパートナーだ。その事実が、彼の凍てついた心に、確かな温もりを灯していた。
洞窟の外では、ギデオンとルーンが呆然と空を見上げていた。
瘴気が消え、ねじくれていた木々が、ゆっくりと本来の姿を取り戻そうとしている。鳥のさえずりさえ聞こえる。黒の森が、生命の息吹を取り戻していく、奇跡の瞬間だった。
「公爵様!」
ギデオンが洞窟に駆け込むと、そこには傷つきながらも互いを支え合う主君とエリアーナの姿があった。安堵と喜びで、歴戦の騎士の目から涙がこぼれ落ちる。
遺跡に戻り、エリアーナがカイエンの傷の手当てをしていた、その時だった。
一人の騎士が、血相を変えて駆け込んできた。
「申し上げます! 北方諸侯の一角、グライフェン辺境伯が、騎士団を率いてこちらへ!」
ギデオンの顔色が変わる。グライフェン辺境伯は、古くからヴォルフシュタイン家に仕える重鎮だが、同時に誇り高く、猜疑心の強い男でもあった。
彼らが遺跡の外に出ると、そこには武装した百名以上の騎士団と、その先頭に立つ初老の男――グライフェン辺境伯の姿があった。
辺境伯は、深手を負ったカイエンと、その隣に立つ身重のエリアーナを一瞥すると、侮蔑を隠さない声で言った。
「これは、一体どういうことでございますか、公爵様」
その声は、王都から流れてきた噂によって、悪意に満たされていた。
『氷血公爵は、国を追われた罪人の魔女に誑かされ、領地の統治を放棄した』
『黒の森の異変は、公爵が魔女と禁断の儀式を行ったせいだ』
彼がヴォルフシュタイン家に仕えるのは、その絶対的な力と、揺るぎない統治の「論理」を信奉しているからだ。彼にとって、カイエンが「感情」に流され、罪人である女を側に置くことは、その秩序を乱す許しがたい裏切りだった。彼は、自らの信じる「正義」と「秩序」のために、主君に刃を向けることも厭わない、古いタイプの武人なのだ。
「噂は、真であったか。貴方様は、そのような女のために、我らが北方を危機に晒しておられたのですな。もはや、公爵としての資格はありますまい」
辺境伯の言葉に、周囲の騎士たちが殺気立つ。
カイエンは深手を負い、万全の状態ではない。エリアーナも、儀式の代償でマナを使い果たしている。
ギデオンはカイエンの前に立ち、剣を抜いた。だが、相手は味方であるはずの北方騎士団。その数はあまりにも多い。
ようやく掴みかけた平穏。愛する我が子のための楽園。
それが今、人の悪意という、最も厄介な脅威によって、再び打ち砕かれようとしていた。
カイエンは、エリアーナを背に庇いながら、静かに、しかし燃えるような怒りを宿した瞳で、かつての忠臣を見据えた。
