「あなたの血を、この呪いを破壊するための触媒として使います」
エリアーナの言葉は、静かな工房に重く響き渡った。それは、カイエンの命を天秤にかける、悪魔の提案に他ならなかった。彼の隣で、忠臣ギデオンの顔から血の気が引いていく。
「公爵様、なりません!あまりにも危険すぎます!このギデオンの命ならば、いつでも差し出しましょう。しかし、公爵様、あなた様のお命だけは……!」
ギデオンの悲痛な叫びも、カイエンの耳には届いていなかった。彼の頭の中では、過去と現在が猛烈な勢いで渦を巻いていた。
『星の血脈』。
呪われた祝福。
両親の死は、ただの裏切りではなかったのかもしれない。自分を守るためだったというのか?
彼の記憶の扉が、軋みながら開く。
父が殺される数日前、書斎で二人きりになった夜のことだ。父は、まだ幼いカイエンの肩を強く掴み、言った。
『カイエン。いいか、何があっても感情に流されるな。ヴォルフシュタインを統べる者は、常に冷静で、論理的でなければならん。……だがな、忘れるな。その論理は、何のためにあるのかを』
『……民を、守るため、です』
『そうだ。そして……家族を、愛する者を守るためだ。もし、お前の論理が、愛する者を守れないと言うのなら……その時は、お前の論理の方が間違っているのだ』
当時のカイエンには、その言葉の意味が理解できなかった。感情を排し、事実のみを信奉することこそが、唯一絶対の正義だと信じていたから。
しかし、今なら分かる。
父は、自らの死を予感していたのだ。そして、残される息子の未来を案じ、彼が「論理」という名の孤独な檻に閉じこもらないよう、最後の教えを遺そうとしていたのだ。
目の前のエリアーナを見据える。
彼女もまた、すべてを奪われ、たった一人で戦ってきた。だが彼女は、腹の子という守るべき存在のために、その絶望を乗り越えようとしている。
彼女の提案は、危険だ。論理的に言えば、生存確率を著しく下げる愚行かもしれない。
だが、何もしなければ、この北方の地も、彼女も、彼女の子も、すべてがあの「脈打つ闇」に飲み込まれる。それもまた、論理的な帰結だった。
「エリアーナ様、どうかご再考を!」
なおも食い下がるギデオンを、エリアーナは静かな、しかし強い意志を宿した瞳で制した。
「これは、感情論や賭けではありません、ギデオン様。私が持つすべての知識と、カイエン公爵から提供されたこの工房の解析結果が導き出した、最も成功確率の高い、唯一の論理的な解です」
彼女は空中に解析データを投影し、瘴気のマナ構造とカイエンの血液の共鳴率、そして呪いの心臓が自壊に至るまでのエネルギー総量を、数式を用いて淀みなく説明していく。
その姿は、カイエンの目に、まるで自分自身の片割れのように映った。
長い沈黙の末、カイエンはゆっくりと口を開いた。
「……やれ」
「公爵様!?」
「ギデオン。お前は、洞窟周辺の完全封鎖と、万が一の事態に備え、外部の魔物を一体残らず駆除しろ。これは命令だ」
有無を言わさぬ、絶対君主の声だった。ギデオンは唇を噛み締め、深く、深く頭を垂れるしかなかった。
カイエンは、再びエリアーナに向き直る。
そのアイスブルーの瞳には、もはや迷いはなかった。
「エリアーナ・フォン・ローゼンベルク。俺の命、お前の論理に預ける。最高の『結果』を、俺に見せてみろ」
それは、二人が初めて、孤独な魂を重ね合わせ、同じ未来を見据えた瞬間だった。
エリアーナの言葉は、静かな工房に重く響き渡った。それは、カイエンの命を天秤にかける、悪魔の提案に他ならなかった。彼の隣で、忠臣ギデオンの顔から血の気が引いていく。
「公爵様、なりません!あまりにも危険すぎます!このギデオンの命ならば、いつでも差し出しましょう。しかし、公爵様、あなた様のお命だけは……!」
ギデオンの悲痛な叫びも、カイエンの耳には届いていなかった。彼の頭の中では、過去と現在が猛烈な勢いで渦を巻いていた。
『星の血脈』。
呪われた祝福。
両親の死は、ただの裏切りではなかったのかもしれない。自分を守るためだったというのか?
彼の記憶の扉が、軋みながら開く。
父が殺される数日前、書斎で二人きりになった夜のことだ。父は、まだ幼いカイエンの肩を強く掴み、言った。
『カイエン。いいか、何があっても感情に流されるな。ヴォルフシュタインを統べる者は、常に冷静で、論理的でなければならん。……だがな、忘れるな。その論理は、何のためにあるのかを』
『……民を、守るため、です』
『そうだ。そして……家族を、愛する者を守るためだ。もし、お前の論理が、愛する者を守れないと言うのなら……その時は、お前の論理の方が間違っているのだ』
当時のカイエンには、その言葉の意味が理解できなかった。感情を排し、事実のみを信奉することこそが、唯一絶対の正義だと信じていたから。
しかし、今なら分かる。
父は、自らの死を予感していたのだ。そして、残される息子の未来を案じ、彼が「論理」という名の孤独な檻に閉じこもらないよう、最後の教えを遺そうとしていたのだ。
目の前のエリアーナを見据える。
彼女もまた、すべてを奪われ、たった一人で戦ってきた。だが彼女は、腹の子という守るべき存在のために、その絶望を乗り越えようとしている。
彼女の提案は、危険だ。論理的に言えば、生存確率を著しく下げる愚行かもしれない。
だが、何もしなければ、この北方の地も、彼女も、彼女の子も、すべてがあの「脈打つ闇」に飲み込まれる。それもまた、論理的な帰結だった。
「エリアーナ様、どうかご再考を!」
なおも食い下がるギデオンを、エリアーナは静かな、しかし強い意志を宿した瞳で制した。
「これは、感情論や賭けではありません、ギデオン様。私が持つすべての知識と、カイエン公爵から提供されたこの工房の解析結果が導き出した、最も成功確率の高い、唯一の論理的な解です」
彼女は空中に解析データを投影し、瘴気のマナ構造とカイエンの血液の共鳴率、そして呪いの心臓が自壊に至るまでのエネルギー総量を、数式を用いて淀みなく説明していく。
その姿は、カイエンの目に、まるで自分自身の片割れのように映った。
長い沈黙の末、カイエンはゆっくりと口を開いた。
「……やれ」
「公爵様!?」
「ギデオン。お前は、洞窟周辺の完全封鎖と、万が一の事態に備え、外部の魔物を一体残らず駆除しろ。これは命令だ」
有無を言わさぬ、絶対君主の声だった。ギデオンは唇を噛み締め、深く、深く頭を垂れるしかなかった。
カイエンは、再びエリアーナに向き直る。
そのアイスブルーの瞳には、もはや迷いはなかった。
「エリアーナ・フォン・ローゼンベルク。俺の命、お前の論理に預ける。最高の『結果』を、俺に見せてみろ」
それは、二人が初めて、孤独な魂を重ね合わせ、同じ未来を見据えた瞬間だった。
