その日の夜。
夕食もお風呂も済ませた私は、兄を探していた。
いつもならリビングのソファーにいるはずなのに、今日は見当たらない。
「ね、お兄ちゃんは?」
リビングでくつろぐ両親に声をかける。
「え? そういえば今日は見てないな」
「咲夜なら、自分の部屋にいるんじゃない?」
母の言葉にうなずき、階段を上がる。
部屋が近づくにつれて、胸がざわついてきた。
どうしよう……ドキドキしてきた。
私、ちゃんと笑えるよね?
一度深呼吸をしてから、扉をノックする。
「……はい」
返ってきた声は、少し元気がなかった。
「お兄ちゃん、私。入っていい?」
短い沈黙のあと、ぼそりとした声が返る。
「……ああ、いいぞ」
そっと扉を開けると、視線がぶつかった。
兄はベッドの縁に腰を下ろし、じっとこちらを見ている。
胸の高鳴りを抑えながら中に入り、扉を閉める。
部屋には、しんとした空気が流れていた。
「そこ、座れよ」
指さした先には、羊の刺繍入りのふかふか座布団。
私専用で、昔からここが私の定位置だ。
そこに腰を下ろすと、懐かしいやわらかさに少しほっとする。
「……どうした?」
兄は視線を逸らしたまま問いかけてくる。
私も気まずくて、うまく顔を向けられない。
でも、聞きたいことは決まってる。
あの女生徒たちが話していた噂を確かめたかった。
「あのさ……加奈さんと別れたって、本当?」
声を落として問うと、兄の肩がわずかに揺れた。
「え……なんで知って――」
私を見た兄の目は、驚きよりも動揺に揺れている。
ほんとについ最近のことなのかな。
兄は下を向いて、頭をかきながらぼそりとつぶやいた。
「あー、その……まあ、そういうこと」
どこか歯切れが悪い。
加奈さんへの後ろめたさからなのか、それとも私に知られた気まずさなのか。
……なんだろう。そう思った瞬間、はっとした。
もしかして、この間のこと気にしてる?
ふと、あのときのキスが頭をよぎった。
あわわ、なに考えてるの、私。
浮かんだ映像をごまかすように、慌てて口を開いた。
「な、なんで加奈さんと別れたの?」
「はっ!? そ、それはだな……
加奈のこと、本当に好きじゃないから。だから、付き合ってるのが悪いと思ったんだ」
兄の言葉に、私は首を傾げる。
「どういうこと? 加奈さんのこと、好きで付き合ったんじゃないの?」
責めるように聞こえたのか、兄は拗ねたような顔になった。
「男女ってのは、いろいろあんだよ。
おまえにはまだわかんないだろうけど……」
知ったかぶりなその言い方に、少しカチンときた。
「ふーん、そう。加奈さん、可哀そう。
お兄ちゃんのこと、あんなに好きだったのに……きっと泣いてるよ」
「そっ……」
兄は言いかけて、やめた。
そして、辛そうに俯いてしまう。
なんで、そんな顔するの……?
