「おい!」

「え? あ、はいっ!」

 突然声をかけられ、条件反射で返事をしてしまった。

 ゆっくりと立ち上がった兄が、無言のままこちらへ歩いてくる。
 私は気まずさをごまかすように、視線をそらした。

 足音がすぐ近くで止まる。
 顔を上げると、兄が黙って私を見つめていた。

「こんなとこで……何やってんだよ」

 照れ隠しか、それとも見つかったのが気に入らないのか、
 兄は少し不機嫌そうに言った。

「お、お兄ちゃんこそ、こんなところで何してんの?」

 しまった、思わず「お兄ちゃん」って言ってしまった。
 いまの私は優なのに。
 でも、誰もいないから……まあ、いいか。

「俺? ダンスが嫌で逃げてきた。
 加奈がしつこくてさ、踊ろうってうるさいんだよ。
 逃げても他の奴に捕まるし、ここなら誰も来ないと思って」

 兄はふぅっと息を吐き、少し疲れたように笑った。

 モテる人は大変だな……と、心の中でちょっと毒づく。

「でもさ、なんで加奈さんから逃げるの? 彼女でしょ?」

 問いかけると、兄は一瞬ぎくっとしたように顔をこわばらせた。

「あ? まあ、そうなんだけど……。
 まあ、いいじゃねえか。男ってのはそういうもんだ」

 なにが“そういうもん”なんだか。
 納得できずに、私は兄をじっと見つめる。

「なんだよ、その目……
 そうだ、おまえ俺と一緒に踊るか? ここで」

 思わぬ言葉に目を瞬かせた。

「はぁ!? いきなりなに言っちゃってんの? それに、今は優だよ」

 戸惑いながら視線を落とした私に、兄の明るい声がかかる。

「いいじゃん。音もここまで聞こえてるし。
 男同士ってのも、たまには悪くないだろ?」

 そう言って、兄は私の手を取った。
 そのぬくもりに、胸がきゅっとなる。

 最近はこんなふうに手をつなぐこともなかったから……。

 兄はそのまま、私を廊下の真ん中へ引っ張っていく。

 そして、軽く足を踏み出すと、つま先でリズムを刻みながらくるりと回った。
 動きが合っているかはわからないけれど、どこか無邪気で楽しそうで――

 私はただ、その姿に見惚れてしまう。

 やっぱり……格好いい。
 こういうとこ、ほんと、ずるいんだから。

 あきれたようにため息をつきながら、ふっと目を細めて微笑んだ。