たった一つの、本当に欲しいものに手を伸ばす。
すると僕は、引き戻されて朝に戻されるんだ。
信じられるかい?
僕は、今日通算32回目の8月31日の朝だ。
なんと丸々1か月分の8月31日を体験しているんだ。
本当に勘弁してほしい。
どうして、手を伸ばしたら駄目なんだろう。
ほらまた繰り返す。俺は鳴り出す前に携帯を握りしめた。
8月31日 8:00
『モーニングコールだよん。おはよー』
幼馴染の愛依(めい)の電話で起こされた。
「毎日毎日、飽きないな、お前も」
『毎日? 8月一回も会ってないじゃない。宿題の答え合わせしようよ』
何回も聞いたセリフ。次にくる言葉もわかる。
「おひさまカフェに九時」
『おひさまカフェに九時』
愛依のタイミングとほぼ同じに言うと、彼女は驚いたのか一瞬言葉を詰まらせた。
けど、俺はそのままおなかを掻きながら起き上がる。
「お前、カバンの中をよく確認しろよ。読書感想文だけ忘れちまうから」
『え……どうして』
「さあ」
中二病のような返事をしてしまう。でも仕方ない。本当に未来が見えてしまうんだから。
そのまま電話を切ると、俺は片手で片目を覆い、ジョジョ立ちしながら鏡の前で、自分の顔を見た。
携帯の充電コードの痕が頬に残っているのも、相変わらず32回目だ。
8月31日 8:40
蝉の声も同じ。クマゼミの鳴き声が空に響いてる。大きな入道雲を横目に、おひさまカフェについた。
そこのは、もじゃもじゃな髭で口が見えないマスターが、子どもにもお洒落な珈琲を飲ませてくれる小粋な店。マスターは手に大やけどして倒れていたところを、俺と愛依の両親が見つけて手当てして看病した過去があるらしい。『太陽に触れてしまった』と両手に白の皮の手袋をしている。手袋の中は大やけどで真っ黒らしい。それぐらい太陽マニアのおじさんで、世界中の太陽のグッズを飾っているので、面白い。国によって太陽の色が違うんだ。赤だったり黄色だったり、銀色だったり。それは瞳の色素に関係しているらしい。同じ目線で同じ色で見えるのは、奇跡的にも同じ日本人に生まれたおかげ。
なのにどうしてこうなってしまったんだろう。
「おーい、浅(せん)ちゃん。遅いよー。先に注文しちゃった」
「ここ、九時開店だろ」
別に俺も遅刻したわけじゃないのに、どうして先に入ってクッキーをかじってるんだ。
前髪をゴムで結んで、ちょんまげにしているショートカットの女。テニス部だから、ワンピ―スから見える長い手足が小麦色にこんがり焼けている。愛依は、俺の同い年の幼馴染だ。いや、夏休み前まで幼馴染だったっていうのが正解かもしれない。
「ちゃんとおばさんに言ってきたのか」
「そういう浅ちゃんだって、言えるの?」
「言うかよ。親父が落ち込んだら面倒だろ」
マスターが太陽の形をしたコップ置きと黄色い透明なグラスにオレンジジュースを入れてもってきてくれた。珈琲が飲みたかったのにちょっと不満だ。
「まあまだ豆が届いてないから、仕方ねえんだよな」
「よくわかったね。浅一くん」
「わかるよ、何回同じ体験したと思ってんだよ」
オレンジジュースを飲みながら、さっさと答えを埋めていく。
「あれ、私のノート見なくていいの?」
「いい。もう答え、覚えた」
「見てもないのに?」
不思議そうに言うけれど、その言葉も10回目だ。
宿題の答え合わせとか言って、ただ俺に答えを見せてくれるだけで、愛依は俺のその様子を、両肘ついてみているだけなのも分かっている。
「浅ちゃん」
「んだよ」
「もう、戻れないのかな、私たち」
その話も32回目。なんど遮ってもカフェにいる間にその話をする。
耳をふさいでもする。
「あはは。うちのパパと浅ちゃんのママが駆け落ちしちゃうなんて驚いたよね。二人とも、幼馴染だったってね」
「……やめろよ」
「隣同士だったのに、お互い引っ越してさ。ママは毎日泣いてるし。パパはどこにいるか分からないし」
「やめろって。そんな話をしに来たんじゃねえし。帰るぞ」
「だって」
9:12
「ほらほら、お店で騒がないで。太陽の神に焼き殺されちゃうぞう」
「地味に怖いこと言うなよ」
「……浅ちゃんのばか!」
ここで愛依が店を飛び出す。追いかけないとそこでバットエンド。追いかけても、バットエンド。だから立ち上がるしかない。
「マスター、ツケで」
「はいはい。荷物取りに来るときに払ってね」
マスターは慣れた様子で、テーブルを片づけだした。その様子ももう32回目だ。
追いかける愛依の後ろ姿。ここで、追いつけないのは、俺が帰宅部代表の運動音痴担当だからだ。
9:14
「愛依!」
「ばか、ばか! あほ! どうてい!」
「愛依!」
「浅ちゃんなんて、二十代で禿げろ!」
地味な攻撃がクリーンヒットしていく。それでも俺は、止めることしかできなかった。
「私は、ずっと浅ちゃんと一緒にいれると思ってたのに。寂しくて部活に打ち込んでこんなに焼けて。なのに浅ちゃんは色白で、私がいなくてもいても、そんな」
「いや、暑いじゃん。クーラーと扇風機ないと死ぬだろ」
「そーゆうとこ!」
9:15
ぐんぐん走っていき、駅前の商店街前の交差点で信号に引っかかる。
振り返った愛依は、泣いていた。
「答えて。浅ちゃんは私のこと、好き?」
「好き。好きだから、その、えっと、とにかく好きだ」
「……うそつき!」
「飛び出すな!」
間に合わない。必死でその手を掴んだ。
「俺だって、愛依が好きなんだよ!」
掴んで歩道に投げ入れると、入れ替わりで俺が道路に倒れていく。
その俺のすぐそばにトラックが突っ込んでくるのが見えた。
バットエンド。
『浅ちゃん、浅ちゃん』
隣の家の、幼馴染。いつも短い髪に、ふわふわのワンピースを着ている。
庭でシャボン玉したり、縄跳びしたり、俺が窓から顔を出すように気を引いてくる。
負けん気が強くて、口では勝てない。自分勝手でわがままで、なのに。
『パパが、パパがいなくなっちゃった』
なのに、脆い。弱い。
幼馴染だったけれど喧嘩別れしていた俺の母親と、愛依の父親は、結婚後実家に戻ってきた。そして隣同士に戻って、昔を思い出して愛が目覚めたらしい。
書置きにはそう書かれていた。俺はただ一言『死ね』と思った。
横で泣きじゃくる愛依を見て、親への愛情なんていっぺんに冷めた。誰よりも強くて、笑顔が可愛いと思っていた愛依を泣かせた。そんな親、いなくなってしまえばいいと願った。
それなのに、愛依の告白に返事をしてしまうと、俺は死んでしまう。
帰り道に車にひかれたり、鉄骨が落ちてきたり、カフェに車が突っ込んできたり。
愛依が死んでしまう場合もある。好きな人間が目の前で死ぬ場面を何回も繰り返してみてしまうなんて、悪夢でしかねえ。
流れていく血が、黒く固まっていく瞬間さえリアルなんだ。
ああ。最悪。どうしたらいいんだよ。俺も好きなんだよ。手を伸ばしたいんだよ。
親もいらねえんだよ。ほしいのは、愛依の笑顔なんだ。なのにどうして、こうも死なないといけないんだよ。
8月31日 8:00
『モーニングコールだよん。おはよー』
幼馴染の愛依(めい)の電話で起こされた。
「毎日毎日、飽きないな、お前も」
『毎日? 8月一回も会ってないじゃない。宿題の答え合わせしようよ』
何回も聞いたセリフ。次にくる言葉もわかる。
「おひさまカフェに九時」
『おひさまカフェに九時』
愛依のタイミングとほぼ同じに言うと、彼女は驚いたのか一瞬言葉を詰まらせた。
けど、俺はそのままおなかを掻きながら起き上がる。
「お前、カバンの中をよく確認しろよ。読書感想文だけ忘れちまうから」
『え……どうして』
「さあ」
中二病のような返事をしてしまう。でも仕方ない。本当に未来が見えてしまうんだから。
そのまま電話を切ると、俺は片手で片目を覆い、ジョジョ立ちしながら鏡の前で、自分の顔を見た。
携帯の充電コードの痕が頬に残っているのも、相変わらず33回目だ。
8月31日 8:15
蝉の声も同じ。クマゼミの鳴き声が空に響いてる。大きな入道雲を横目に、おひさまカフェについた。
そこのは、もじゃもじゃな髭で口が見えないマスターが、子どもにもお洒落な珈琲を飲ませてくれる小粋な店。
マスターは手に大やけどして倒れていたところを、俺と愛依の両親が見つけて手当てして看病した過去があるらしい。『太陽に触れてしまった』と両手に白の皮の手袋をしている。手袋の中は大やけどで真っ黒らしい。それぐらい太陽マニアの叔父さん世界中の太陽のグッズを飾っているので、面白い。国によって太陽の色が違うんだ。赤だったり黄色だったり、銀色だったり。それは瞳の色素に関係しているらしい。同じ目線で同じ色で見えるのは、奇跡的にも同じ日本人に生まれたおかげ。
なのにどうしてこうなってしまったんだろう。
「あれ、いらっしゃい。はやいね」
マスターが、薄暗い部屋の中でグラスを磨きながら俺を見て驚いていた。
「早いよな。いつもなら38分に愛依が先に来るかな」
俺がカウンターに座ると、マスターは目を見開いた。
「俺が店を飛び出して、ツケでって叫ぶと、慣れた手つきでノートを直すようになったよね、マスター」
「……浅一くん」
「気づいてんだよ。マスターも、33回目だろ」
カウンターをトントンと指先で叩くと、ふふふとわらった。それは俺を侮蔑していたり蔑んでいるわけではなかった。
「どうして?」
「浅一くんは、太陽に触れたいとおもったことはありますか?」
「は?」
「太陽に到着するには、何万光年移動しないといけないか知ってしますか。太陽の光よりも早く移動する方法を知っていますか」
「マスター、何を言ってんだよ」
「人は嘘をつきます。人は裏切ります。人は騙します。それでも太陽はいつも空に輝く。太陽は嘘をつかない。太陽は美しい。太陽は尊い」
「マスター?」
マスターは磨いていたグラスを置くと、いつも手に付けていた皮の手袋をとった。
両手は、真っ黒でまるで焦げているようだった。
「太陽の光を超える。太陽の光を超える速さは時間を超える速さと同じって知っていましたか? 太陽の光と同じ速さを体感出来たら時をタイムスリップできるんです」
「……マスター、なんか怖い」
「私は太陽に触れたくて、その速さを知った。おかげで何度も君が死ぬのを助けている。君は死んだら駄目だよ」
マスターは再び手袋をはめると、グラスを磨きだした。
「いい加減あきらめなさい」
「なんでだよ」
「君と愛依ちゃんは、血がつながってるんだよ」
マスターが磨いたコップに、太陽のように黄色いオレンジジュースを注ぎだした。
「7月18日。夏休み一日前に、君の母親と愛依ちゃんの父親がここでコーヒーを飲みながら、そう言っていた。君の母親は泣いていたよ。君たちは、父親が同じなんだよ」
その言葉に、視界が真っ暗になった。
「君たちは今日、両思いになる。そして9月一日にその真実を知らされる。すると二人は学校の屋上から飛び降りてしまったんだ。……何度繰り返してもね。だから君につらい選択をさせるよ」
マスターが時計を見た。
「愛依ちゃんが好きなら、守りたいなら、一緒に死ぬか守るか、君が決めなさい」
その言葉に、額ににじんだ汗がゆったり、ゆったりと頬を伝い顎に流れ、カウンターに落ちていく。小さな海ができるころに、俺は小さくうなずいた。
「私はね、命の恩人の子どもをただ守りたいだけなんだ」
「マスター、太陽に触れるってどんなかんじ?」
「どうしても欲しくてほしくて手を伸ばしただけです。それだけでこんな手になった。どうしても欲しいものは手に入らないと虚無感だけが残りましたね」
マスターはふふふと寂しげに笑ったので、俺ももう一度頷いた。
8月31日 8:40
「あー、浅ちゃんずるい。先に注文しちゃってる!」
前髪をゴムで結んで、ちょんまげにしているショートカットの女。テニス部だから、ワンピ―スから見える長い手足が小麦色にこんがり焼けている。愛依は、俺の同い年の幼馴染だ。いや、夏休み前まで幼馴染だったっていうのが正解かもしれない。
「ちゃんとおばさんに言ってきたのか」
「そういう浅ちゃんだって、言えるの?」
「言うかよ。親父が落ち込んだら面倒だろ」
マスターが太陽の形をしたコップ置きと黄色い透明なグラスにオレンジジュースを入れてもってきてくれた。それに、愛依は飛びつくように吸い付いた。
オレンジジュースを飲みながら、さっさと答えを埋めていく。
「あれ、私のノート見なくていいの?」
「いい。もう答え、覚えた」
「見てもないのに?」
不思議そうに言うけれど、その言葉も11回目だ。
宿題の答え合わせとか言って、ただ俺に答えを見せてくれるだけで、愛依は俺のその様子を、両肘ついてみているだけなのも分かっている。
「浅ちゃん」
「んだよ」
「もう、戻れないのかな、私たち」
その話も33回目。なんど遮ってもカフェにいる間にその話をする。
耳をふさいでもする。
「あはは。うちのパパと浅ちゃんのママが駆け落ちしちゃうなんて驚いたよね。二人とも、幼馴染だったってね」
「……やめろよ」
「隣同士だったのに、お互い引っ越してさ。ママは毎日泣いてるし。パパはどこにいるか分からないし」
「やめろって。そんな話をしに来たんじゃねえし。帰るぞ」
「だって、私は浅ちゃんが好――」
「愛依」
俺は静かに、ただ静かに窓から照らされる太陽に、じりじり焼かれながらその言葉を口にする。
太陽のように真っ赤な嘘を、口にする。
「俺は、お前のことを妹のように大切に思っている。家が離れても、俺はお前のことを妹のように大切にする。戻れなくても俺は大切にする」
涙が出そうになった。大切なものは手に入らない。恋かも愛かもわからない。でも、何度も大切にするといった。何度も妹のようだと連呼した。
俺の口から好きだとは二度と言わない。
愛依は傷ついた顔をしていたが、大切にするって言葉で満足してくれたらしい。
9:12
「ほらほら、宿題を早くしなさい。太陽の神に焼き殺されちゃうぞう」
「地味に怖いこと言うなよ」
「……浅ちゃん、ありがとう」
愛依は宿題の読書感想文を取り出した。
「へへ。なんだか悩んでいた私がばかみたい。私の気持ちもきっと兄を思うような気持ちなんだよね」
9:14
「愛依」」
「宿題片づけたら、バスに乗って水族館行かない? 夏休み最終日にね、無料開放しているんだって」
「俺の宿題の量を考えてみろよ」
「早く終わらせてよ」
9:15
俺は死ななかった。愛依も生きている。33回目の8月31日の夜をようやく見上げることができた。
太陽が見えない夜、俺は一生つき続ける嘘に、悔しくて泣いてしまった。
9月1日。
愛依も俺も死ななかった。太陽のような真っ赤な嘘のおかげで俺たちは死ななかった。
太陽に触れたような虚無感だけがそこに残されていた。
終
すると僕は、引き戻されて朝に戻されるんだ。
信じられるかい?
僕は、今日通算32回目の8月31日の朝だ。
なんと丸々1か月分の8月31日を体験しているんだ。
本当に勘弁してほしい。
どうして、手を伸ばしたら駄目なんだろう。
ほらまた繰り返す。俺は鳴り出す前に携帯を握りしめた。
8月31日 8:00
『モーニングコールだよん。おはよー』
幼馴染の愛依(めい)の電話で起こされた。
「毎日毎日、飽きないな、お前も」
『毎日? 8月一回も会ってないじゃない。宿題の答え合わせしようよ』
何回も聞いたセリフ。次にくる言葉もわかる。
「おひさまカフェに九時」
『おひさまカフェに九時』
愛依のタイミングとほぼ同じに言うと、彼女は驚いたのか一瞬言葉を詰まらせた。
けど、俺はそのままおなかを掻きながら起き上がる。
「お前、カバンの中をよく確認しろよ。読書感想文だけ忘れちまうから」
『え……どうして』
「さあ」
中二病のような返事をしてしまう。でも仕方ない。本当に未来が見えてしまうんだから。
そのまま電話を切ると、俺は片手で片目を覆い、ジョジョ立ちしながら鏡の前で、自分の顔を見た。
携帯の充電コードの痕が頬に残っているのも、相変わらず32回目だ。
8月31日 8:40
蝉の声も同じ。クマゼミの鳴き声が空に響いてる。大きな入道雲を横目に、おひさまカフェについた。
そこのは、もじゃもじゃな髭で口が見えないマスターが、子どもにもお洒落な珈琲を飲ませてくれる小粋な店。マスターは手に大やけどして倒れていたところを、俺と愛依の両親が見つけて手当てして看病した過去があるらしい。『太陽に触れてしまった』と両手に白の皮の手袋をしている。手袋の中は大やけどで真っ黒らしい。それぐらい太陽マニアのおじさんで、世界中の太陽のグッズを飾っているので、面白い。国によって太陽の色が違うんだ。赤だったり黄色だったり、銀色だったり。それは瞳の色素に関係しているらしい。同じ目線で同じ色で見えるのは、奇跡的にも同じ日本人に生まれたおかげ。
なのにどうしてこうなってしまったんだろう。
「おーい、浅(せん)ちゃん。遅いよー。先に注文しちゃった」
「ここ、九時開店だろ」
別に俺も遅刻したわけじゃないのに、どうして先に入ってクッキーをかじってるんだ。
前髪をゴムで結んで、ちょんまげにしているショートカットの女。テニス部だから、ワンピ―スから見える長い手足が小麦色にこんがり焼けている。愛依は、俺の同い年の幼馴染だ。いや、夏休み前まで幼馴染だったっていうのが正解かもしれない。
「ちゃんとおばさんに言ってきたのか」
「そういう浅ちゃんだって、言えるの?」
「言うかよ。親父が落ち込んだら面倒だろ」
マスターが太陽の形をしたコップ置きと黄色い透明なグラスにオレンジジュースを入れてもってきてくれた。珈琲が飲みたかったのにちょっと不満だ。
「まあまだ豆が届いてないから、仕方ねえんだよな」
「よくわかったね。浅一くん」
「わかるよ、何回同じ体験したと思ってんだよ」
オレンジジュースを飲みながら、さっさと答えを埋めていく。
「あれ、私のノート見なくていいの?」
「いい。もう答え、覚えた」
「見てもないのに?」
不思議そうに言うけれど、その言葉も10回目だ。
宿題の答え合わせとか言って、ただ俺に答えを見せてくれるだけで、愛依は俺のその様子を、両肘ついてみているだけなのも分かっている。
「浅ちゃん」
「んだよ」
「もう、戻れないのかな、私たち」
その話も32回目。なんど遮ってもカフェにいる間にその話をする。
耳をふさいでもする。
「あはは。うちのパパと浅ちゃんのママが駆け落ちしちゃうなんて驚いたよね。二人とも、幼馴染だったってね」
「……やめろよ」
「隣同士だったのに、お互い引っ越してさ。ママは毎日泣いてるし。パパはどこにいるか分からないし」
「やめろって。そんな話をしに来たんじゃねえし。帰るぞ」
「だって」
9:12
「ほらほら、お店で騒がないで。太陽の神に焼き殺されちゃうぞう」
「地味に怖いこと言うなよ」
「……浅ちゃんのばか!」
ここで愛依が店を飛び出す。追いかけないとそこでバットエンド。追いかけても、バットエンド。だから立ち上がるしかない。
「マスター、ツケで」
「はいはい。荷物取りに来るときに払ってね」
マスターは慣れた様子で、テーブルを片づけだした。その様子ももう32回目だ。
追いかける愛依の後ろ姿。ここで、追いつけないのは、俺が帰宅部代表の運動音痴担当だからだ。
9:14
「愛依!」
「ばか、ばか! あほ! どうてい!」
「愛依!」
「浅ちゃんなんて、二十代で禿げろ!」
地味な攻撃がクリーンヒットしていく。それでも俺は、止めることしかできなかった。
「私は、ずっと浅ちゃんと一緒にいれると思ってたのに。寂しくて部活に打ち込んでこんなに焼けて。なのに浅ちゃんは色白で、私がいなくてもいても、そんな」
「いや、暑いじゃん。クーラーと扇風機ないと死ぬだろ」
「そーゆうとこ!」
9:15
ぐんぐん走っていき、駅前の商店街前の交差点で信号に引っかかる。
振り返った愛依は、泣いていた。
「答えて。浅ちゃんは私のこと、好き?」
「好き。好きだから、その、えっと、とにかく好きだ」
「……うそつき!」
「飛び出すな!」
間に合わない。必死でその手を掴んだ。
「俺だって、愛依が好きなんだよ!」
掴んで歩道に投げ入れると、入れ替わりで俺が道路に倒れていく。
その俺のすぐそばにトラックが突っ込んでくるのが見えた。
バットエンド。
『浅ちゃん、浅ちゃん』
隣の家の、幼馴染。いつも短い髪に、ふわふわのワンピースを着ている。
庭でシャボン玉したり、縄跳びしたり、俺が窓から顔を出すように気を引いてくる。
負けん気が強くて、口では勝てない。自分勝手でわがままで、なのに。
『パパが、パパがいなくなっちゃった』
なのに、脆い。弱い。
幼馴染だったけれど喧嘩別れしていた俺の母親と、愛依の父親は、結婚後実家に戻ってきた。そして隣同士に戻って、昔を思い出して愛が目覚めたらしい。
書置きにはそう書かれていた。俺はただ一言『死ね』と思った。
横で泣きじゃくる愛依を見て、親への愛情なんていっぺんに冷めた。誰よりも強くて、笑顔が可愛いと思っていた愛依を泣かせた。そんな親、いなくなってしまえばいいと願った。
それなのに、愛依の告白に返事をしてしまうと、俺は死んでしまう。
帰り道に車にひかれたり、鉄骨が落ちてきたり、カフェに車が突っ込んできたり。
愛依が死んでしまう場合もある。好きな人間が目の前で死ぬ場面を何回も繰り返してみてしまうなんて、悪夢でしかねえ。
流れていく血が、黒く固まっていく瞬間さえリアルなんだ。
ああ。最悪。どうしたらいいんだよ。俺も好きなんだよ。手を伸ばしたいんだよ。
親もいらねえんだよ。ほしいのは、愛依の笑顔なんだ。なのにどうして、こうも死なないといけないんだよ。
8月31日 8:00
『モーニングコールだよん。おはよー』
幼馴染の愛依(めい)の電話で起こされた。
「毎日毎日、飽きないな、お前も」
『毎日? 8月一回も会ってないじゃない。宿題の答え合わせしようよ』
何回も聞いたセリフ。次にくる言葉もわかる。
「おひさまカフェに九時」
『おひさまカフェに九時』
愛依のタイミングとほぼ同じに言うと、彼女は驚いたのか一瞬言葉を詰まらせた。
けど、俺はそのままおなかを掻きながら起き上がる。
「お前、カバンの中をよく確認しろよ。読書感想文だけ忘れちまうから」
『え……どうして』
「さあ」
中二病のような返事をしてしまう。でも仕方ない。本当に未来が見えてしまうんだから。
そのまま電話を切ると、俺は片手で片目を覆い、ジョジョ立ちしながら鏡の前で、自分の顔を見た。
携帯の充電コードの痕が頬に残っているのも、相変わらず33回目だ。
8月31日 8:15
蝉の声も同じ。クマゼミの鳴き声が空に響いてる。大きな入道雲を横目に、おひさまカフェについた。
そこのは、もじゃもじゃな髭で口が見えないマスターが、子どもにもお洒落な珈琲を飲ませてくれる小粋な店。
マスターは手に大やけどして倒れていたところを、俺と愛依の両親が見つけて手当てして看病した過去があるらしい。『太陽に触れてしまった』と両手に白の皮の手袋をしている。手袋の中は大やけどで真っ黒らしい。それぐらい太陽マニアの叔父さん世界中の太陽のグッズを飾っているので、面白い。国によって太陽の色が違うんだ。赤だったり黄色だったり、銀色だったり。それは瞳の色素に関係しているらしい。同じ目線で同じ色で見えるのは、奇跡的にも同じ日本人に生まれたおかげ。
なのにどうしてこうなってしまったんだろう。
「あれ、いらっしゃい。はやいね」
マスターが、薄暗い部屋の中でグラスを磨きながら俺を見て驚いていた。
「早いよな。いつもなら38分に愛依が先に来るかな」
俺がカウンターに座ると、マスターは目を見開いた。
「俺が店を飛び出して、ツケでって叫ぶと、慣れた手つきでノートを直すようになったよね、マスター」
「……浅一くん」
「気づいてんだよ。マスターも、33回目だろ」
カウンターをトントンと指先で叩くと、ふふふとわらった。それは俺を侮蔑していたり蔑んでいるわけではなかった。
「どうして?」
「浅一くんは、太陽に触れたいとおもったことはありますか?」
「は?」
「太陽に到着するには、何万光年移動しないといけないか知ってしますか。太陽の光よりも早く移動する方法を知っていますか」
「マスター、何を言ってんだよ」
「人は嘘をつきます。人は裏切ります。人は騙します。それでも太陽はいつも空に輝く。太陽は嘘をつかない。太陽は美しい。太陽は尊い」
「マスター?」
マスターは磨いていたグラスを置くと、いつも手に付けていた皮の手袋をとった。
両手は、真っ黒でまるで焦げているようだった。
「太陽の光を超える。太陽の光を超える速さは時間を超える速さと同じって知っていましたか? 太陽の光と同じ速さを体感出来たら時をタイムスリップできるんです」
「……マスター、なんか怖い」
「私は太陽に触れたくて、その速さを知った。おかげで何度も君が死ぬのを助けている。君は死んだら駄目だよ」
マスターは再び手袋をはめると、グラスを磨きだした。
「いい加減あきらめなさい」
「なんでだよ」
「君と愛依ちゃんは、血がつながってるんだよ」
マスターが磨いたコップに、太陽のように黄色いオレンジジュースを注ぎだした。
「7月18日。夏休み一日前に、君の母親と愛依ちゃんの父親がここでコーヒーを飲みながら、そう言っていた。君の母親は泣いていたよ。君たちは、父親が同じなんだよ」
その言葉に、視界が真っ暗になった。
「君たちは今日、両思いになる。そして9月一日にその真実を知らされる。すると二人は学校の屋上から飛び降りてしまったんだ。……何度繰り返してもね。だから君につらい選択をさせるよ」
マスターが時計を見た。
「愛依ちゃんが好きなら、守りたいなら、一緒に死ぬか守るか、君が決めなさい」
その言葉に、額ににじんだ汗がゆったり、ゆったりと頬を伝い顎に流れ、カウンターに落ちていく。小さな海ができるころに、俺は小さくうなずいた。
「私はね、命の恩人の子どもをただ守りたいだけなんだ」
「マスター、太陽に触れるってどんなかんじ?」
「どうしても欲しくてほしくて手を伸ばしただけです。それだけでこんな手になった。どうしても欲しいものは手に入らないと虚無感だけが残りましたね」
マスターはふふふと寂しげに笑ったので、俺ももう一度頷いた。
8月31日 8:40
「あー、浅ちゃんずるい。先に注文しちゃってる!」
前髪をゴムで結んで、ちょんまげにしているショートカットの女。テニス部だから、ワンピ―スから見える長い手足が小麦色にこんがり焼けている。愛依は、俺の同い年の幼馴染だ。いや、夏休み前まで幼馴染だったっていうのが正解かもしれない。
「ちゃんとおばさんに言ってきたのか」
「そういう浅ちゃんだって、言えるの?」
「言うかよ。親父が落ち込んだら面倒だろ」
マスターが太陽の形をしたコップ置きと黄色い透明なグラスにオレンジジュースを入れてもってきてくれた。それに、愛依は飛びつくように吸い付いた。
オレンジジュースを飲みながら、さっさと答えを埋めていく。
「あれ、私のノート見なくていいの?」
「いい。もう答え、覚えた」
「見てもないのに?」
不思議そうに言うけれど、その言葉も11回目だ。
宿題の答え合わせとか言って、ただ俺に答えを見せてくれるだけで、愛依は俺のその様子を、両肘ついてみているだけなのも分かっている。
「浅ちゃん」
「んだよ」
「もう、戻れないのかな、私たち」
その話も33回目。なんど遮ってもカフェにいる間にその話をする。
耳をふさいでもする。
「あはは。うちのパパと浅ちゃんのママが駆け落ちしちゃうなんて驚いたよね。二人とも、幼馴染だったってね」
「……やめろよ」
「隣同士だったのに、お互い引っ越してさ。ママは毎日泣いてるし。パパはどこにいるか分からないし」
「やめろって。そんな話をしに来たんじゃねえし。帰るぞ」
「だって、私は浅ちゃんが好――」
「愛依」
俺は静かに、ただ静かに窓から照らされる太陽に、じりじり焼かれながらその言葉を口にする。
太陽のように真っ赤な嘘を、口にする。
「俺は、お前のことを妹のように大切に思っている。家が離れても、俺はお前のことを妹のように大切にする。戻れなくても俺は大切にする」
涙が出そうになった。大切なものは手に入らない。恋かも愛かもわからない。でも、何度も大切にするといった。何度も妹のようだと連呼した。
俺の口から好きだとは二度と言わない。
愛依は傷ついた顔をしていたが、大切にするって言葉で満足してくれたらしい。
9:12
「ほらほら、宿題を早くしなさい。太陽の神に焼き殺されちゃうぞう」
「地味に怖いこと言うなよ」
「……浅ちゃん、ありがとう」
愛依は宿題の読書感想文を取り出した。
「へへ。なんだか悩んでいた私がばかみたい。私の気持ちもきっと兄を思うような気持ちなんだよね」
9:14
「愛依」」
「宿題片づけたら、バスに乗って水族館行かない? 夏休み最終日にね、無料開放しているんだって」
「俺の宿題の量を考えてみろよ」
「早く終わらせてよ」
9:15
俺は死ななかった。愛依も生きている。33回目の8月31日の夜をようやく見上げることができた。
太陽が見えない夜、俺は一生つき続ける嘘に、悔しくて泣いてしまった。
9月1日。
愛依も俺も死ななかった。太陽のような真っ赤な嘘のおかげで俺たちは死ななかった。
太陽に触れたような虚無感だけがそこに残されていた。
終



