放課後の賑やかな街並みを、ごく普通の高校生、佐藤 梓(さとう あずさ)は歩いていた。流行に敏感な彼女の耳に飛び込んできたのは、力強く、そしてどこか切ないユーロビートのメロディ。思わず足を止めると、視線の先には大型ビジョンに映し出された、まさに今をときめくガールズユーロビートバンド、Midnight Verdict(ミッドナイト・ヴァーディクト)のライブ映像が流れていた。

「かっこいいお姉さんたちだなあ……私もいつか、あんな風になりたいな」

 梓は、思わず心の声が漏れてしまう。画面の中の彼女たちは、一人一人が強烈な個性を放ち、観客を熱狂させていた。特に目を引いたのは、キーボードを奏でるリーダー、【けいと】だった。

【けいと】さんは、クールで知的な雰囲気を全身から纏(まと)っていた。さらさらと流れるセミロングのストレートヘアは、照明を受けて艶やかに輝き、その上品な服の着こなしは、まるでファッション誌から飛び出してきたかのようだ。普段は表情の変化が少ないせいか、一見すると近寄りがたい印象を受けるかもしれない。しかし、その涼やかな瞳の奥には、確かな情熱と、音楽への深い愛情が宿っているのが、画面越しにも伝わってくる。
 彼女が鍵盤に指を滑らせるたび、紡ぎ出されるメロディは、会場全体を熱狂の渦に巻き込んでいく。まるで、その指先から放たれる音が、観客一人一人の心を鷲掴みにしているかのようだった。

「やっぱり、【けいと】さん、美人だなぁ……」

 梓はうっとりと画面を見つめる。Midnight Verdictは、その圧倒的なパフォーマンスとメンバーそれぞれの魅力で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気を誇っていた。特に、【けいと】が生み出すユーロビートは、一度聴いたら忘れられない中毒性があり、彼女たちの楽曲は常に音楽チャートの上位にいる。
 ネット上でも、彼女たちの人気はすさまじかった。

【ネット民の反応】
「今日のMidnight Verdictのライブやばかった!特に【けいと】さんのキーボードソロ、鳥肌立ったわ!」
「【けいと】さん、あのクールな表情で熱い演奏するの最高。ギャップ萌えってやつ?」
「Midnight Verdictの曲聴くとテンション上がる!通勤中に欠かせないわ」
「【けいと】さんマジで美人すぎん?あの知的な雰囲気、たまらん」
「うちの親もMidnight Verdict好きって言ってた。老若男女に愛されるってすごいよね」
「いつか生で【けいと】さんのキーボード見たい!」

【メディアの反応】
「音楽業界の新たな台風の目!Midnight Verdict、快進撃止まらず!」 (音楽雑誌「Groove Style」) 6人組ガールズユーロビートバンド、Midnight Verdictが快進撃を続けている。特に、リーダーである【けいと】の紡ぎ出すキャッチーで中毒性のあるユーロビートサウンドは、音楽シーンに新たな風を吹き込んでいる。彼女たちのステージは常にソールドアウト。その人気はとどまるところを知らない。
「社会現象化するユーロビート!Midnight Verdictが若者文化を牽引」 (夕刊トレンドニュース) 90年代リバイバルとして再燃の兆しを見せるユーロビート。その火付け役となっているのがMidnight Verdictだ。特にティーンエイジャーを中心に絶大な支持を得ており、彼女たちのファッションやライフスタイルを真似る若者も続出。社会現象を巻き起こしている。

 梓は、大型ビジョンの前でしばらく立ち尽くしていた。Midnight Verdictの音楽は、彼女の心を震わせ、未来への漠然とした憧れを掻き立てる。いつか、あんな風に、すてきな女の人になりたい。
 そんな夢を胸に、梓は再び歩き出した。

 ♪ ♪ ♪

 その頃、都内の小さなライブハウスの楽屋は、先ほどまでの緊張感とは打って変わり、熱気と安堵に包まれていた。興奮冷めやらぬまま、ユージは肩で息をしながら、タオルで汗を拭いている。その隣では、けんたろうが少し戸惑ったような表情で、熱狂する観客の声を聞いていた。そして、二人のマネージャー、佐倉 綾音(さくら あやね)は、目を潤ませていた。

「ハァ……ハァ……やったな、けんたろう!」

 ユージがそう言って、けんたろうの肩を勢いよく叩いた。興奮と達成感で、彼の声はいつもより何倍も力強く響く。

「うん……ユージ、すごかったね」

 けんたろうは、まだ実感が湧かないといった様子で、小さな声で答えた。あんなにも熱狂的な空間を、自分たちが作り出せたことに、まだ信じられない思いだった。
 綾音は、そんな二人の様子を見て、感極まったように声を上げた。

「ユージくん、けんたろうくん……! 本当に、本当に素晴らしかったです! 鳥肌が立ちました……! みんな、ものすごく盛り上がってましたよ!」

 潤んだ目で、綾音は満面の笑みを浮かべる。彼女自身も、ライブの成功に心から感動しているようだった。

「だろ? 俺たちの音楽が、ちゃんと届いたんだ」

 ユージは自信満々に胸を張った。だが、その自信の裏で、けんたろうはどこか不安げな表情を浮かべていた。

(本当に、僕の音楽が、みんなに届いたのかな……?)

 彼の頭の中には、【けいと】さんの顔がよぎっていた。【けいと】さんは、僕の音楽をどう評価するだろうか。そして、Midnight Verdictのメンバーは? 彼女らのようなプロの耳に、僕たちの音楽は響くのだろうか。
 ユージは、そんなけんたろうのわずかな動揺を見逃さなかった。ユージはけんたろうの顔を覗き込むようにして、真剣な眼差しで語りかけた。

「おい、何を不安がってんだ、けんたろう」
「だって……まだ、始まったばかりだし……」

 けんたろうの声は、弱々しかった。大きな一歩を踏み出したばかりで、これから待ち受けるであろう厳しい現実や、大きな壁に、漠然とした不安を感じていたのだ。
 そんなけんたろうの頭を、ユージはポンと叩いた。

「お前は、俺の相棒だ。いや、それ以上だ。お前は、俺のブラザーだ!」

 ユージの言葉に、けんたろうはハッと顔を上げた。ブラザー。その言葉には、単なるビジネスパートナーやバンド仲間を超えた、強い絆と信頼が込められていた。ユージの真っ直ぐな言葉が、けんたろうの胸にじんわりと染み渡る。

「……ユージ」

 ユージの言葉に、隣で聞いていた綾音も、再び感動で胸がいっぱいになる。

「ユージくん……」

 綾音は、涙を拭いながら、力強く頷いた。彼女は、この二人の才能と、その間にある絆を信じている。けんたろうが、ユージという兄貴分に支えられながら、その才能を存分に発揮できる場所が、このSynaptic Driveなのだと確信した。
 ユージは、けんたろうの目を見据え、力強く言った。

「これからも、何があっても俺がお前を守る。だから、お前は何も心配いらねぇ。最高の音楽を、最高のユーロビートを、俺と一緒にお前が作ればいい。俺たちは、これからもっとデカくなるんだからな!」

 その言葉に、けんたろうの不安は少しずつ溶けていった。ユージという、絶対的な兄貴分が隣にいる。そして、綾音という頼れるマネージャーが、僕たちの音楽を信じて支えてくれる。

 その時だった。僕のポケットで、スマホが静かに震えた。 画面に表示された通知に、心臓が跳ね上がる。

 送信者は**『けいと』**。

 ゴクリ、と息をのむ僕の隣で、ユージがスマホの画面を覗き込み、ニヤリと笑った。
「お、来たか」

 メッセージは、たった一言だけだった。

『いつもの場所で20時に』

(僕たちの活動が、もうバレたんだろうか……?) 不安と期待が入り混じった僕の顔を見て、ユージは背中を叩いた。

「上等じゃねえか。行ってこい、けんたろう」

 ♪ ♪ ♪

 夕暮れが迫り、空が茜色から深い藍色へと変わっていく頃、梓は家への遠回りの散歩ルートとして、近所の公園を選んだ。昼間は賑わっていた公園も、この時間になると人影もまばらになり、静けさに包まれる。

 ベンチに腰掛けて少し休憩しようかと思ったその時、梓の目に飛び込んできたのは、公園の奥、街灯の薄明かりの下でひっそりと佇む二つの人影だった。見慣れた、しかし同時に予想外の組み合わせに、梓は思わず息をのんだ。

「会いたかった……【けいと】さん」

 その声は、普通の高校生、いや、梓と同じ高校に通う同級生、けんたろうの声だった。梓は目を丸くし、声も出せずにその場に立ち尽くす。

「ひさしぶりね。でも、今は我慢してね、けんたろうちゃん」

 そして、その声に応えるのは、梓が憧れてやまないMidnight Verdictのリーダー、【けいと】さんの声だった。クールで知的なあの【けいと】さんが、目の前で、こんなにも甘い声を出していることに、梓は驚きを隠せない。しかも、相手は自分と同じ高校生であるけんたろう。

 まさか、あの【けいと】さんが、けんたろうとこんな場所で密会しているなんて。梓の頭の中は、衝撃と混乱でいっぱいになった。けんたろうが、今をときめくユーロビートバンドSynaptic Driveのキーボード兼作曲家であることは、まだ世間に知られていない。梓の目には、けんたろうはただの高校生にしか見えていなかった。

(あの、クールな【けいと】さんが……なんで、うちの高校の男子と……?)